風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

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(R18)ファタール用改稿版

第12話 歌と舞

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 少年は、マルコと名乗った。

 母はすでに亡くなり、父は大型商船の船長として航海に出たまま、半年近く帰ってこないという。 それが『いつものこと』なのか、『もう帰ってこない』のか——誰にもわからなかった。

「母さん、旅の吟遊詩人だったんだ」

 誇らしげに胸を張って語るその姿は、どこか無理に背筋を伸ばしているようにも見えた。 彼が歌う曲は、すべて母譲りのものだった。

「北の大陸へ渡ろうとした冒険者の一人でもあったんだ。結局、母さんの一行は失敗しちゃったけどね」

 その言葉に、シレーネとアモールは顔を見合わせた。
 なんとも奇妙な縁だ。
 これから北の大陸へ向かおうとする者と、かつて挑んで果たせなかった者の子供が、こうして出会うなんて。

 マルコがわずかに息を吸った。
 呼吸を整える気配が立つ。

「『北の果て 氷の門 風も凍る 白の地へ 竜の影 眠る森 呼ぶは誰ぞ 夢の声』 『帰らぬ旅路 母の歌 雪に消えた 足跡よ けれど今も 耳に残る “北へ行け”の 囁きが』 『進む先 道を尋ねよ 知る者あれば 歌を継いで時を待つ』 ……っと」

 その旋律は、確かに母の声と重なっていた。
 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
 シレーネは、幼い頃に聞いた母の鼻歌を思い出していた。
 あの女性の声と、どこか重なる気がした。

 でも、それは運命なんて大げさなものじゃない。
 マルコの次の言葉が、それをあっさり否定した。

「ま、この街はもともと、冒険者と、それ目当ての商人たちでできたようなもんだから。 そんな話、自慢にもならないよ」

 陽気な口調だった。
 けれど、その瞳は一瞬だけ、感情のない人形のように見えた。

 まるで、別の世界を見ているような——
 それは、歌の中にしか母がいないという現実を、何度も飲み込んできた者の目だった。

 母が死んだのは、北の遠征の帰りだった。
 船が沈んだのか、獣に襲われたのか、誰も詳しくは語らなかった。
 ただ、遺体は戻らず、遺品もなく、歌だけが残った。

 マルコは、母の歌を売って生きている。
 それは誇りでもあり、呪いでもあった。

「まだ早いけど、今日は結構稼げたし、僕は寝ぐらに帰るよ」

『寝ぐら』という言葉に、シレーネはわずかに眉をひそめた。
 それは、家ではなかった。

 港の倉庫の隅か、廃屋の屋根裏か。
 誰にも邪魔されず、誰にも守られない場所。

 明るく言って、マルコは席を立とうとした。

「楽しかったよ」

 アモールが声をかけ、もう一枚金貨を手渡す。
 マルコの歌声が、まだ耳に残っていた。

 少年は、笑った。
 けれどその笑顔は、どこか『演技』のようだった。
 まるで、誰かに見せるためだけに作られた仮面。
 そして、彼は酒場の喧騒の中へと、音もなく消えていく――はずだった。

「ありがとう、にいさん!」

 マルコはペコリと頭を下げ、勢いよく椅子から立ち上がった——
 店内のざわめきがゆっくりと戻ってきた。

 そのとき、シレーネの胸の奥で、また鼓動が早くなるのを感じた。

(……二階に行くんだ)

 アモールがさっき言った言葉が、遅れて胸の奥に落ちてくる。

『二階』
『部屋』
『二人きり』

 その三つが並ぶだけで、身体の奥がじわりと熱を帯びていく。

 喉が渇く。
 息が浅くなる。
 視界が少しだけ滲む。

(……また、ぼーっとしてきた)

 歌で冷めたはずの熱が、今度はもっと深いところから湧き上がってくる。
 アモールの横顔を見るだけで、胸の奥がざわついて、落ち着かなくて、何かがはじけそうになる。

(……どうしよう)

 そう思った瞬間だった。

「ずいぶん稼いだようだな、小僧」

 低い声が、まるで冷たい刃のように空気を裂いた。
 シレーネの意識が一気に現実へ引き戻される。

 マルコが、三人組の男に襟首を掴まれていた。
 店の空気が凍りつく。
 誰も助けようとしない。

 視線だけが、冷たく、遠くから突き刺さる。
 胸の奥の熱は、一瞬で冷たい緊張に変わった。

(……また、世界が冷たくなる)

 シレーネは息を呑んだ。
 さっきまでの熱が嘘のように消えていく。

 けれど、その消え方は『救い』ではなく、どこか『奪われた』ような感覚だった。
 ほんの少しだけ、未練が胸の奥に残ったまま——
 彼女は立ち上がった。
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