風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

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(R18)ファタール用改稿版

第11話 余韻

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 席に着いた瞬間、シレーネは胸の奥がふっと熱を帯びるのを感じた。
 アモールが、向かいの席に着くのを見つめる。

 彼を見ているだけで不安が和らいだ。
 いや、そうじゃない。
 何もかもがどうでもよくなっていく。

 何よりも大事なことがある。

 山小屋では、アモールはずっと横にいた。
 視界の端に、肩越しに、彼の横顔だけが見えていた。
 けれど今は——

 真正面。
 灯りに照らされたアモールの顔が、隠しようもなく目の前にある。
 その瞬間、山小屋で触れた唇の感触が、まるで今よみがえったかのように胸を揺らした。

(……だめ。思い出さないで)

 そう思うのに、視線は勝手に彼の口元へ吸い寄せられる。

 薄く笑ったときの形。
 触れたときの柔らかさ。
 近づいたときの息づかい。

 全部、思い出してしまう。
 気づいたときには、自分がじっと彼の唇を見つめていた。

(……なにしてるの、あたし)

 頬が熱くなる。
 慌てて視線を逸らすけれど、心臓の鼓動は隠せなかった。

 アモールは、何も言わない。
 ただ、静かに彼女を見ていた。
 その沈黙が、逆にシレーネの胸をさらに揺らした。

 宿の娘が、明るい声で注文を聞きに来た。
 アモールが軽く頷き、言葉を選ぶように口を開く。

「二階を――」

 その瞬間、シレーネの胸の奥で、何かがふっと跳ねた。

『二階』
『部屋』
『二人きり』

 言葉の意味はただそれだけなのに、身体の奥が、熱を帯びるようにざわめいた。

(……祈りを、したい)

 その思いが浮かんだ瞬間、シレーネは自分で自分に驚いた。
 巫女になってから、『祈りたい』と自分から思ったことなんて一度もなかった。
 祈りは義務で、役目で、与えられたものだった。
 なのに今は——

 アモールと向かい合って座っているだけで、
 胸の奥が落ち着かなくて、何かを鎮めたくて、“祈り”という言葉が自然に浮かんでしまった。

(どうして……?)

 祈りは心を整えるためのもの。
 でも今の自分は、心を整えたいのか、それとも——

 揺れを隠したいだけなのか、わからなかった。
 アモールが娘に金貨を渡す。
 その仕草を見ただけで、また胸が熱くなる。

(……あたし、どうしちゃったの)

 自分の変化に戸惑いながら、
 シレーネはそっと視線を落とした。

 祈りたい。
 でも、それは巫女としての祈りなのか、『信仰』のない祈りはできない。
 してはいけない、はず。
 それでも——


 アモールの隣にいる自分を落ち着かせるための祈りなのか。
 答えはまだ出なかった。
 ただ、胸の奥で静かに揺れ続けていた。

 気づけば、皿の上の料理は半分以上なくなっていた。
 頭がぼんやりしていて、味をほとんど覚えていない。

 胸の奥の熱と、身体の火照りが、
 食事の感覚をすべて上書きしていた。

 アモールと向かい合って座っているだけで、視線が勝手に彼の口元へ吸い寄せられる。
 山小屋で触れた唇の感触が、ふいに蘇ってしまう。

(……だめ。落ち着かなきゃ)

 そう思っても、
 胸の奥のざわめきは消えなかった。
 そのとき——

 軽やかな足音とともに、
 少年の澄んだ声が耳に届いた。

「歌、聞いていく?」
 歌い踊っていた少年だった。

 彼の歌は、巫女の舞とはまったく違う。
 祈りでも、導きでもない。

 ただ、旅と冒険を語る明るい旋律。
 軽やかで、跳ねるようで、

 どこか子どもの無邪気さが混ざっていた。
 その歌声が、シレーネの胸の奥に溜まっていた熱を少しずつ、静かに冷ましていく。
 淫靡な想像も、身体の奥の火照りも、歌のリズムに溶けていくようだった。

(……助かった)

 ほっと息をつく。
 けれど同時に、胸の奥に小さな空白が生まれた。
 熱が引いたことで、何か大事なものまで一緒に遠ざかってしまったような——

 そんな、言葉にできない未練。
 アモールの口元を見つめてしまった自分。
 祈りたいと思ってしまった自分。
 そのどれもが、歌にかき消されていく。

(……あたし、さっきまで……)

 自分が何を期待していたのか、
 何を怖がっていたのか、はっきりとはわからない。

 ただ、胸の奥に残った『わずかな物足りなさ』だけが、静かに、確かに疼いていた。
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