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(R18)ファタール用改稿版
第15話 ねぐら
しおりを挟むシレーネの足取りは重かった。
身体は前へ進んでいるのに、心だけがまだ酒場の階段の前に置き去りにされているようだった。
扉の向こうで過ごすはずだった数時間が、胸の奥に冷たい影を落としながら、
そのすぐ隣で、まだ消えきらない熱が静かに燻っていた。
それらは形を持たず、
ただじわりと広がっていく。
(……振り返らないで)
そう思っても、足元の冷気が、あの渇望を思い出させた。
でも、進むしかない。
シレーネは、凍てつく風の中でそっと唇を引き結んだ。
マルコが案内したのは、港の古い貨物置き場だった。
今は使われていないらしく、何もない広々とした空間。
けれど、見通しが良く、誰かが近づけばすぐに気づける。
マルコにとっては、身を守るには最適な場所だった。
掃除も行き届いていて、意外なほど清潔感がある。
ゆらゆらと洗濯物が揺れているのは、ご愛敬だろう。
「……?」
ふと、シレーネが首を傾げる。
洗濯物の中に、あるはずのものがない。
そんな表情だった。
「ごめんね、お兄ちゃんたち。僕のせいで巻き込んじゃって……」
マルコがうなだれて謝る。
その手がさりげなく、布の塊を握りこんでいた。
ちらりと見えたレースの端に、シレーネは目を細める。
「気にしないで。あたしたちが勝手に手を出したんだから。でも、あの人たちって……いったい何者なの?」
シレーネの問いに、マルコは少し黙っていた。
やがて、意を決したように話し始める。
あの三人組は、最近この街に現れた海賊。
港に出入りする中型商船ばかりを狙う、いわば『二流以下』の連中らしい。
寒波で流氷が増え、船腹に穴が開いて沈没。
それでも運良く生き延びて浜辺に打ち上げられた彼らは、新しい船を手に入れるため、必死に金を集めている。
船がなければ海賊じゃない。
かといって、山賊に転職できるほど器用でもない。
結局、船を失った海賊なんて、ただの山猿と変わらない。
だから彼らは、《安心税》と称して港の商人たちから無理やり利益の三割を巻き上げている。
三人組は、その集金係——つまり、使い走りの下っ端だった。
「まずいな……そんな連中を敵に回したら、俺たちの計画にも影響が出るかもしれない」
アモールの声は低く、
どこか震えていた。
彼の指先がわずかに強張っているのを、シレーネは横目で見た。
その強張りが、なぜか胸の奥に小さな痛みを落とした。
『計画』とは、もちろん北の大陸への上陸のことだ。
その言葉に、シレーネは静かに目を伏せた。
『北へ』——
その響きが胸の奥で疼いた。
まるで古い傷口を押されたように。
それは、痛みなのか、呼び声なのか、
もう自分でも判別できなかった。
「……北の大陸に渡りたいんだよね? だったら、僕が案内してあげるよ。今なら、安全に渡れるはずだから」
マルコがさらりと言ったその一言に、アモールとシレーネは思わず身体を固くする。
その言葉は、まるで何気ない提案のようだった。
けれど、今の彼らには、あまりにも重すぎた。
「な、なんで……北の大陸に行くって……?」
焦りながら尋ねるアモールに、マルコは笑顔で答える。
「さっきも言ったでしょ? この街は、北の大陸に渡る冒険者と商人でできた街なんだ。 わざわざ歩いて来る人なんて、冒険者か一山当てたい商人くらい。お兄さんたちは、どう見ても商人じゃないから、たぶんそうかなって思っただけだよ」
楽しそうに笑うマルコ。
けれど、その笑顔が、今はどこか遠く感じられた。
シレーネとアモールの胸中は、複雑だった。
——こんな少年にまで見透かされるなんて。
それだけならまだしも、今の自分たちが『冒険者』と呼ばれるに値するのかすら、わからなかった。
マルコは、そんな二人の沈黙を気にする様子もなく、話を続ける。
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