風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

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(R18)ファタール用改稿版

第48話 空白を埋める声

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 崩壊は一気に進み、氷柱は完全に砕け、女神の実体が姿を現した。

「スラインローゼ!」
「……おかぁさん……?」
 アモールとシレーネが同時に声を上げる。

 だが、倒れかける女神の表情はどこか遠く、娘を見ても驚きも喜びも浮かばなかった。
 アモールは安堵の息をつく。
 シレーネは……胸の奥がざわついた。

「……おかぁさん。って、どういうことなんだ。シレーネ、君が女神の娘だってのか?」
「……あたしも知らなかったのよ。でも……感じるの。この人が……あたしを産んだって……」
 言葉とは裏腹に、シレーネの声はどこか不安定だった。

 彼女は女神を抱きしめる。
 だが、スラインローゼの腕は娘を抱き返すことなく、ただ力なく垂れていた。

「……シレーネ、ですか。あなたが……そうなのですね」
 その声は淡々としていた。
 七年ぶりの再会とは思えないほどに。

「……お母さん……?」
 シレーネの声が震える。
 期待と不安が入り混じった、痛いほどの声。

「……あなたを守れなかったことは……申し訳なく思っています。ですが……わたしは神。母としての役目を果たせる存在ではありません」
 その言葉は、優しさでも拒絶でもなく、ただ事実を述べるだけの冷たさだった。
 シレーネの胸の奥で、小さな火がチリ、と音を立てた。

(……そう……なんだ……)

 抱きしめた腕に力が入らない。
 期待していた温もりは、どこにもなかった。
 アモールは二人を見つめ、
 胸の奥が締めつけられるような痛みを覚えた。

(……シレーネ……)

 彼女の火は、母ではなく、アモールの方へと揺れ始めていた。

「だったら……なぜ生んだの……?」
 シレーネの声は震えていた。

 怒りでも憎しみでもない。
 ただ、どうしようもない『空白』が胸を締めつけていた。
 スラインローゼは、娘の問いに一瞬だけ目を伏せた。

「……その必要があったのです」
 その声は、母のものではなく、世界を俯瞰する『神』の声だった。

「ですが……望んだ結果ではなかっただけです」
 シレーネの胸の奥で、火がチリ、と音を立てた。

「……必要……? あたしは……必要だから生まれたの……? それだけ……?」
「ええ。あなたは『器』として生まれました。わたしの意志を継ぐために。……ですが、あなたはあまりにも『人』として強すぎた」
 スラインローゼは淡々と告げる。

「だから……わたしはあなたを手放した。あなたは、わたしの計画には……向いていなかった」
 シレーネの視界が揺れる。
 涙ではなく、胸の奥の火が揺れた。

(……あぁ……そうなんだ……あたしは……望まれなかったんだ……)

 その瞬間、アモールがそっとシレーネの肩に手を置いた。

「シレーネ……お前は、お前のために生きていいんだ」
 その言葉に、シレーネの火がふっと温かく揺れた。

「盛り上がってるとこ悪いけど、もうそろそろ先に進まないと間に合わなくなる。
 親子水入らずは、ゼナの暴走を止めてからにしてくんないかな」
 アモールの言葉は、喉が焼けるような思いだった。

 だが、誰かが言わなければならなかった。
 スラインローゼは、娘を抱く腕をそっとほどき、淡々と立ち上がった。

「……そうですね。今はゼナを止めるのが先決です。アモール、サラサ。協力をお願いできますか?」
「ここまで来てやめるわけにはいかないさ」
「わたくしはそのためにこそ、ここにいるのです」
 二人の答えに、スラインローゼは静かに頷く。

 その表情には、母としての情よりも、
『神としての使命』が色濃く浮かんでいた。

「シレーネ、メモリー。あなた方はここで待ちなさい。ここから先は危険すぎます。あなたたちを守りながら戦えるほど、ゼナは甘くありません」
 シレーネは、母の瞳を見つめる。
 だがそこには、『娘を案じる温度』はほとんど感じられなかった。

「……どうして……そんなに冷静でいられるの……?」
 思わず漏れた問いに、スラインローゼはわずかに瞬きをしただけだった。

「あなたを守ることは、わたしの『責務』です。母としての情ではありません。……それが、わたしの在り方です」
 シレーネの胸の奥で、小さな火がチリ、と揺れた。

(……責務……? あたしは……ただの『役目』なの……?)

「……わかったわ。あたしたちはここで待ってる。……だから、ちゃんと帰ってきて」
 声は震えていた。
 その奥で揺れていた火——想いは母ではなく、アモールの方へと静かに傾いていた。

(……あたしを必要としてくれたのは……お母さんじゃなくて……アモールだった……)
 胸の奥で、火がかすかに疼く。

「……」
 メモリーがアモールに向けて、小さく、しかし確かな頷きを送る。
 それは、無言の誓いだった。

「シレーネは、わたしが守っとくわ」
 スラインローゼには聞こえないほどの小声。
 その声音には、軽さではなく、どこか痛みに耐えるような硬さがあった。
 メモリーはこめかみを押さえ、眉をひそめる。

「……また……記憶が……ざわついてる……困ったものね。でも……大丈夫。あんたは行きなよ、アモール。シレーネは……わたしが守るから」
 その言葉に、シレーネがわずかに目を見開く。

「メモリー……」
「心配しないで。あんた『たち』の大切なモノが消えないように……
 ちゃんと見てるから」
 メモリーの瞳は、スラインローゼの冷たい視線とは対照的に、確かな温度を帯びていた。
 アモールは二人を見つめ、静かに息を吸う。

「……頼んだ」
 その一言に、シレーネの火がふっと揺れた。

(……帰ってきて……アモール……あたしの……火……)

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