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第2話 晴天霹靂 ② ~対話~
しおりを挟む「なんだ、おまえか」
光の珠に包まれ、閉じていた瞳を開けた義人は、眼前に浮かぶ巨大な翼の少女を見上げて、そう呟いた。
都庁ほどのスケールを持つその存在を前にしても、彼の声には驚きも畏れもなかった。
むしろ、どこか皮肉めいた響きすらあった。
女神の登場という異常事態も、義人にとっては『想定内』だったのだ。
「フィアンナ……いや、今は『女神ラファエラ』と呼ぶべきか」
義人の言葉に、女神は無言で頷く。
そして、右手を高々と掲げた。
空がスクリーンのように変化し、映像が浮かび上がる。
ぼやけていた像が徐々に鮮明になっていく。
「相変わらず、愛想のない奴だな」
嫌味をこぼす義人の目の前で、映像がはっきりと像を結んだ。
その瞬間、彼の表情から余裕が消える。
映っていたのは、黒い影のような存在と人間たちの激しい戦闘だった。
義人は、その『黒いもの』が何であるかを知っていた。
映像とともに、太古の神話が脳裏に蘇る――
かつて、世界を創造したのは、ひとりの巨人だった。
孤独を悲しみ、やがて命を絶ったその巨人の肉体から、いくつもの世界が芽吹いた。
喜びが天界を、寂しさが人間界を、助け合いの心が精霊界を、共存の祈りが妖精界を生んだ。
だが、巨人の内にあった怒り、妬み、憎悪――それらが凝縮され、地界が生まれた。
天界と精霊界は精神の世界。
人間界と妖精界は肉体の世界。
そして地界は、巨人の内臓、血管、骨から成る、闇の世界。
住人たちもまた、それぞれの性質を受け継いだ。
天界と精霊界の者たちは不死のエーテル体。
人間と妖精は定命の肉体を持ち、地界の者たちは、肉体を持ちながらも異常な再生力を持つ『不滅』の存在だった。
不滅の地界の者たちに、他の世界の住人たちは太刀打ちできなかった。
やがて地界の勢力は膨れ上がり、神々の座す天界すら脅かすようになった。
神々は決断した。
地界と人間界の間に『地上界』を創り、そこに神の血を引く一族を住まわせ、封印の監視と管理を託したのだ。
そして今、映し出されている戦場こそが、その地上界。
戦っている者たちの一方は、間違いなく――その一族だった。
「……封印、破れたのか。せっかく千人の戦士と五人の勇者を犠牲にしてまで完成させたのに、マジかよ」
呑気そうに言いながらも、義人の足元はわずかに震えていた。
その目は、遠くの未来を見据えていた。
この事態がもたらす結末を、彼は誰よりも知っていたからだ。
三年前――地界の民は、オルゲスと呼ばれる一族から現れた『消滅の王』に率いられ、全世界の制圧に乗り出した。
その動きを察知した各世界は、選りすぐりの戦士たちを招集し、迎え撃った。
義人もその中にいた。
戦士として選ばれたわけではない。
ただ、偶然にも千年前にオルゲスと戦った魔導師マーリンが持っていた『石版の破片』を手にしていたからだ。
石版の魔力に引きずられ、彼は別次元の世界へと迷い込んだ。
――完全に、間違いだった。
一度、世界の境界を越えてしまえば、自力で戻るのは困難。
ましてや、石版の力で引き寄せられた義人には、帰還の術などなかった。
だから、彼は生き延びるために必死だった。
知識を集め、力を鍛え、技を磨いた。
そして、オルゲスの封印に命を懸けた。
封印が完了したとき、次元の揺り返しが生じ、義人はその隙間を通って元の次元へ戻ることができた。
だが、あのとき目にした地上界の光景は、今も彼の心に鉛のように沈んでいる。
都市という都市が、まるで核戦争の後のように焼け落ち、人々は通信も食料も失い、瓦礫の中で飢えと寒さに震えていた。
難民キャンプよりも酷い状況だった。
神々の加護があったとしても、復興は容易ではない。
しかも、戦いに長けた者たちの多くは、すでに命を落としていた。
今、オルゲスと再び戦える戦士など、ほとんど残っていない。
つまり――人間界を含む三世界の存続は、風前の灯火なのだ。
その現実に、義人の背筋を冷たいものが這い上がる。
だが、事態は彼の予想すらも超えていた。
義人の言葉に、女神は応えなかった。
掲げたままの右手を軽く振ると、空中に粒子が集まり、ホログラムのような映像が浮かび上がる。
映し出されたのは、人型の黒い影。
その影は、周囲から集まってくる小さな影を次々と吸収し、より完全な姿へと変貌しようとしていた――。
「これは……」
義人は、映像に映る人型の影に見覚えがあった。
それは、かつて魔法の書を探しに訪れた神殿の広間に飾られていたレリーフに、酷似していたのだ。
「魔蟲ウォルヅァル……!? オルゲスの力を神の領域にまで引き上げた元凶……? 一万年前の神魔戦争で滅んだはずだろ!?」
『神々はその肉体を切り裂き、叩き潰し、他の者どもへの見せしめとして投げ捨てた』
――たしか、伝説にはそう書かれてたはずだった。
「まさか……あいつ、肉片になっても生きてたってのか? 完全に消滅してなかったってことか? だから、今になって蘇ろうとしてる……?」
義人の問いに、女神はやはり何も答えなかった。
だが、その沈黙こそが答えだった。
そして同時に、別の意図――『命令』すらも含んでいた。
神々は、地界の封印を維持しながら、魔蟲の復活阻止に全力を注がねばならない。
精霊界も妖精界も、自分たちの復興で手一杯。
だからこそ、義人に託すのだ。
地上界――人間界とは異なる種族が暮らすその世界を、オルゲスの軍勢から守る役目を。
ただの人間にすぎない義人が、そんな大役を担えるはずもない。
だが、オルゲスと正面から戦い、生き残った四人のうちの一人――その肩書きは、地上界の者たちをまとめるには十分すぎる。
女神の狙いは、そこにあった。
凍らせたかのように表情を亡くした顔。
その下で表情筋が震えていた。
(……勝手な話だよな)
義人は心の中で毒づいた。
だが、拒否したところで、どうせ強制的に転移させられる。
戦わざるを得ないのは、目に見えていた。
やり残した『仕事』感も強く感じている。
抗議の声は出なかった。
「おかしなことになっちまったな……」
そう呟いた義人の心情を察したのか、女神の左手が再び光を放つ。
その光に包まれ、義人の脳裏に十日前の記憶がよみがえった。
――生まれて初めて、女の子から告白された日。
その気持ちに、答えられなかった自分。
「どうせ長くはない」
そう言って、彼はその場を去った。
世界が数百年以内に滅びると知っていたから。
でも、彼女と過ごす時間は、確かにあったはずなのに――そのときの自分には、どうでもいいことに思えた。
(途中で逃げたこと、謝るつもりだったんだけどな……もう、その暇もなさそうだ)
自嘲気味に笑い、義人は空を見上げた。
その視界に、十二階建てのビルの屋上が映る。
逆光の中、誰かが立っていた。
(物好きなやつもいるもんだな……)
そう思った瞬間、逆光に目が慣れ、シルエットがはっきりと見えた。
「……嘘だろ」
そこにいたのは、羽音鈴音。
驚愕する義人の目の前で、鈴音は――なんと、屋上から義人めがけて飛び降りた。
「ダメ! 行っちゃ、だめぇぇぇっ!!」
反射的に義人は腕を伸ばした。
その手が鈴音の身体に触れた瞬間――女神の左手の光が、最高潮に達した。
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