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第4話 晴天霹靂 ④ ~旅立ち~
しおりを挟む「はい、勇者様。着替えをどうぞ」
そう言って、何枚かの服を鈴音に差し出す。
リカートは落ち着いた雰囲気の少女で、髪は短く、動きやすさを重視した服装をしていた。
その態度にはどこか慣れた風格があり、鈴音は思わず「この人、年下なのかな?」と首をかしげた。
リカートは、鈴音のことはそっちのけで荷物を整理しながら、ひとりごとのように呟いていた。
だが、それは鈴音にとってはむしろ好都合だった。
今なら、誰にも見られずに着替えられる――そう思ったのだ。
(気を失ってるときに見られるのと、自分から見せるのとじゃ、全然違うもん……)
そう心の中でつぶやきながら、鈴音はそっと毛布をたぐり寄せ、着替えを始めた。
幸運なことに――いや、同じ人間なのだから当然かもしれないが――用意された服は、これまでに着たことのあるものと大差ないデザインだった。
その中でも、動きやすくて露出が少なく、通気性の良さそうな服を選んで身につけていく。
結果的に、少し男の子っぽい格好になったが、今はお洒落を気にしている場合ではないだろう。
ただ、服の上から羽織る『マント』だけは、少し戸惑った。
どうやらこの世界では、それが常識らしく、セスタもリカートも身につけていたし、用意された着替えの中にも何枚か入っていた。
コート類が苦手な鈴音にとっては、あまり気が進まなかったが――「郷に入っては郷に従え」 そう自分に言い聞かせて、試しに羽織ってみる。
「うん、結構似合ってるよ」
マントを整えて振り返った瞬間、リカートがそう言ってくれた。
「見てたんですか、ずっと……?」
耳まで真っ赤にして問いかける鈴音に、リカートはさらりと答える。
「途中からですよ。……じゃ、行きましょうか? みんな待ってますから」
『みんな待ってる』――その言葉に、鈴音は少しだけためらいを覚えた。
けれど、躊躇はせず、先に歩き出したセスタの背を追って歩き始めた。
リカートが、その後に続く。
◇
部屋を出ると、薄暗い通路が横たわっていた。
右側にはかすかな光が差し込んでおり、そこが外への出口であることがわかる。
左側は建物の奥へと続いているようだった。
ヒタヒタと、夜の学校や病院の廊下を歩くような足音だけが響く中、三人は無言のまま奥へ、奥へと進んでいく。
鈴音の感覚で測るなら、百メートルほど歩いた頃だろうか。
通路は一枚の重厚なドアに行き当たった。
セスタは何も言わずにそのドアを開けた。
――瞬間、どよめきが三人を包み込んだ。
個々の声を聞き分けることなど到底できない。
無数の声が圧力となって左右から押し寄せてくる。
ファンに追われるアイドルって、こんな気持ちなのかな――。
一瞬、そんな感情が鈴音の胸をよぎる。
だが次の瞬間、殺人的な音量と、好奇と敬意が入り混じった視線の嵐に、神経を貫かれたような感覚に襲われ、鈴音は顔を引きつらせて絶句した。
「はい、どいてどいて、ちょっと通してね~」
混乱の中、ただ一人リカートだけが冷静だった。
人々をかき分けながら、鈴音を導いていく。
興奮のるつぼと化した群衆を、軽蔑と嘲りを含んだ目で見つめていた。
「呆れてものも言えない」とでも言いたげな表情で、鈴音を後ろに連れて歩いていく。
鈴音は、できれば周囲をじっくり観察したかった。
けれど、気づけば自分の足取りはどんどん速くなっていた。
――今は、とにかく彼女の後ろについていくしかない。
やがて、リカートは通路の反対側にある扉の前で立ち止まった。
その扉の左右には、警備の者だろうか、剣を腰に吊るした女性が一人ずつ立っていた。
リカートの服装が少し崩れていたため気づかなかったが、どうやら彼女たちは『神官戦士』と呼ばれる存在のようだった。
「お連れしました」
リカートの一言に、神官戦士の一人が無言で頷き、扉を開けた。
リカートは迷いなくその中へと進み、鈴音もそれに続く。
中は思った以上に広く、まるで教会の礼拝堂のようだった。
中央には、幅広く、そして不必要なほど長いテーブルが鎮座しており、その周囲には同じく不必要なほどの数の椅子が並んでいる。
すでに三人の人物が着席していた。
老若入り混じった二人の男と一人の女。
その中で、最初に口を開いたのは年配の女性だった。
「リカート、ご苦労でした」
その声にはねぎらいと、同時に威厳を示す響きがあった。
着ている衣装や装飾の華やかさからして、神官というよりも、司祭、あるいはそれ以上の地位にある人物なのだろう。
年配の女性の一瞥を受け、扉の左右にいた者たちが、静かに一礼した。
開け放たれたままの扉から、部屋を後にする。
扉が背後で静かに閉まる音を聞きながら、鈴音は自分を見つめる三人の視線を、真正面から受け止めた。
――腹を据えた。
これは、自分の運命に立ち向かう覚悟の証。
あるいは、本来義人が背負うはずだった運命に、自分が代わって挑むのだと。
どこをどう進むにしろ、いずれは義人のもとに行く。
そのつもりだ。
その時、胸を張って会えるぐらいには『役目』とやらを果たしておきたい。
その視線の先を、リカートが横切った。
彼は女三人の中央に座る、最も年長と思われる老人の前まで進み出ると、小声で何かを囁いた。
老人は静かに、しかし鷹揚に頷いた。
その仕草からして、彼がこの村の長老であることは疑いようがなかった。
リカートの報告が終わると、長老は再び鈴音に視線を向け、白い髭に隠れた口元から、そよ風のような声を発した。
「勇者様」
その言葉が出ることは、ある程度予想していた。
けれど、自分の祖父や曽祖父ほどの年齢の人に『勇者』と呼ばれるのは、やはり気恥ずかしく、鈴音は思わず身を縮めた。
「あ、あの……あたし、鈴音っていいます。そう呼んでください。勇者なんて言われても、ピンとこないもので……」
テレを含んだ声でそう告げると、老人は静かに微笑み、言葉の表現を変えた。
「では、鈴音殿。すでに承知のこととは思いますが、わしらの村は女神と共にある。常に女神様の先兵として戦ってきた。今回もそうしたい。じゃが、先の戦いで戦士は全滅状態でな……村を挙げての支援はできかねます」
そう前置きしながら、老人は現在の状況について語り始めた。
その内容は、鈴音にとっては難解で、すぐには理解しきれなかったが、大まかな状況だけはつかむことができた。
ある邪悪な種族が、全世界を強大な力で支配しようとし、すでに全土に宣戦を布告していること。
そして、この地上界がその最前線となり、熾烈な戦場と化していること。
そしてもう一つ――鈴音にとって最も重要な事実が告げられた。
それは、彼女に課せられた『使命』についてだった。
手違いかどうかは別として、現在、神々に名指しされた『勇者』は鈴音ただ一人。
地上界に住まう者たちに希望の火を灯す、唯一の存在。
ゆえに、何があっても生き延び、戦い抜く姿を見せ続けること。
それが、鈴音に与えられた使命だというのだ。
もちろん、こうした抽象的な言い回しは、後にいかようにも解釈を変えられるようにするための『保険』でもあった。
長老は鈴音を信頼しつつも、万が一に備えて言葉を選んでいたのだ。
きなのかははっきりせず、不安ばかりが募っていく。
「とりあえず、アーシェラー山のティアット神殿にある『ヴァルナ聖典』を手に入れ、その導きに従うが良かろう」
長老の隣に座っていた三十代ほどの男が助言を口にした。
その怪しげな風貌と、周囲の反応からして、預言者か賢者、あるいは魔導師といった存在なのだろう。
「ヴァルナ聖典……?」
リカートが、露骨に不審そうな声でつぶやいた。
どうやら、彼女にとってはあまり重要視すべきものではないらしい。
「リカート、あなたが不審に思うのも当然ですが、女神様の神託でもそうするよう示されています。黙って従いなさい」
神託――神のお告げ。
女神との深い関わりの中で生きてきたこの村の者たちにとって、それは何よりも尊ぶべきものであり、理由もなく逆らうことなどできるはずがなかった。
「……わかりました。じゃ、とりあえず行くだけは行ってみます。女神様のおっしゃることなら、たぶん間違いないんでしょう」
小さな溜め息をひとつ漏らしながら、リカートがそう言った。
その表情には、あきらめと、何よりも深い疲労の色がにじんでいた。
――まだ、旅立ってもいないというのに。
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