異境の人 ~鈴音が紡ぐ世界~

葉月奈津・男

文字の大きさ
11 / 36

第10話 河図洛書 ④ ~案内人~

しおりを挟む
      

「……なるほどな。いいだろう、案内はしてやる」
 不承不承、そんな感じで大きく息を吐き出す。

 あの笑顔を見ちまったら、断れねぇだろうがよ。
 目をそらして呟く姿に、わずかに彼の純朴さがうかがえた。

「ただし、俺の安全はあんたらが保障しろ。俺はあんたらの安全には責任を持たない。それが条件だ。もちろん、報酬もそれなりにもらうぜ」

 先ほどまでの頑なな態度が嘘のように、話はあっさりとまとまった。

 鈴音もリカートも、危険は承知の上だったし、案内人に自分たちの命を預けるつもりもなかった。
 報酬に関しても、ラファエラとエスティリア両教団がすでに用意してくれていた。

「ありがとう、助かります」

 鈴音はもう一度、あの微笑みを浮かべて右手を差し出した。
 握手のつもりだった。

 だが、男にはその意図が伝わらなかった。
 何を思ったのか、彼はその手を思い切り叩いた。

 肩が外れそうなほどの衝撃だったが、それは不興からではなく、握手という習慣を知らない彼なりの反応だった。
 むしろ、自分の力を示すための行動だったのだろう。

 その力強さは、十分すぎるほど伝わった。
 酒さえ抜ければ、頼れる案内人になるに違いない。

「俺の名はバンボラ。バンと呼んでくれ」

「私は鈴音よ。よろしくね」

 出会って三十分、ようやく互いの名を交わした瞬間だった。

「あたしは鈴音様の護衛、ラファエラの神官リカート。あたしはともかく、鈴音様に失礼を働いたら、 あんたの空っぽの頭をくり抜いて酒杯にしてやるから、気をつけることね」

 リカートは本気の殺意を込めた目で、バンを睨みつけた。

 だが、酔っ払いのバンも黙ってはいなかった。
 リカートの戦士として鍛え上げられた均整の取れた身体を、じろじろと舐めるように見つめて、にやりと笑った。

「じゃあ、あんたなら襲ってもいいのか?」

 ――その直後。

 リカートの肘が、バンの鳩尾に突き刺さった。

 彼は盛大にアルコールと胃液を吐き出し、床に崩れ落ちた。

 女神官とはいえ、戦士として鍛えられた者をからかうべきではない――バンは身をもって、それを学んだのだった。

 まさに、自業自得の見本である。

「……やりすぎたかも」
「いいの。あれくらい、当然よ」

 鈴音たちがバンを連れて教会へ戻ったとき、旅の準備はすでに巫女たちの手によって整えられていた。

 巫女頭の部屋には、鈴音たちのために用意された荷物が山のように積まれていた。

 だが――

 森に詳しいバンは、その荷物の山を一目見るなり、あからさまに舌打ちをし、両手で山をかき分けると、次々と荷物を床に放り投げ始めた。

「な、なにをっ!!」

 八方手を尽くして集めた荷物を、無造作に扱われてはたまらない。
 部屋の隅で控えていた巫女たちが、狼狽の声を上げた。

「森に行くのに、こんな荷物はいらねぇ。必要なのは武器と薬、あとは腕のいい案内人だけだ。森の中じゃ、こんなもん屁の役にも立たねぇ。……まったく、素人ってのはよ」

 ぶつぶつと文句を言いながら、バンは荷物の山を小さなリュック一つにまとめ、残りはすべて放り出してしまった。

 捨てられた中には、保存の利く干し肉や、鈴音への気遣いから用意された衣類――特に下着類――も含まれていた。

「出発は明日の朝、夜明けとともにだ。寝坊すんじゃねぇぞ、お嬢ちゃんたち」

 荷物の『選別』を終えると、バンはそのまま床に寝転がり、いびきをかいて眠り始めた。

 ここが神聖なる教会の一室であることも、周囲にいるのが神に仕える巫女たちであることも、彼にはまったく意に介していないようだった。

「これだから男は……」

 巫女頭は、表情一つ変えずに呟いた。
 舌打ちすらせず、ただ静かに言葉を飲み込んだ。

 その言葉の続きを、誰もがなんとなく察していた。

 ともあれ、いかに重要な案内人とはいえ、男を鈴音やリカート、そして巫女たちと同じ部屋に寝かせるわけにはいかない。

 やむなく、鈴音たちは最も離れた部屋に案内され、その間の部屋には巫女たちが詰めて休むことになった。

 また、バンが寝ている部屋は、重要な書物が保管されている場所でもあったため、念のため封鎖されることとなった。

 とはいえ、封鎖といっても、持ち出し禁止の書物を別室に移し、神官と巫女が交代で廊下を見張る程度の措置である。

 正直なところ、森しか知らないこの男が、書物に興味を持つとは思えなかったのだが――。
        ◇

「よ~し! 出発だ!!」

 威勢のいいかけ声とともに、バンが歩き出した。
 その後ろには、鈴音とリカートが続いていたが――二人の間には、どこか白けたような空気が漂っていた。

 本来なら、夜明けとともに出発するはずだった。
 だが、実際に出発したのは、太陽がすでに空の四分の一ほど昇った頃。
 つまり、かなりの寝坊である。

 だが、誤解してはいけない。
 寝坊したのは、鈴音でもリカートでもない。

 リカートは神官であり、朝には強い。
 夜明け前には目を覚まし、鈴音を起こして軽く朝食をとる余裕すらあった。

 鈴音もまた、寝つきも寝起きも良い。
 誰かが起こしてくれれば、どんなに早朝でも問題なく起きられる。

 つまり――寝坊したのは、バンボラ本人だった。

 それだけなら、鈴音もリカートも、大きなため息ひとつで水に流していたかもしれない。

 だが、問題はその後だった。

 ようやく姿を現したバンは、二人の顔を見るなり、大きなあくびをひとつして、こう言い放ったのだ。

「おう、すまねぇ。久しぶりに酒抜きで寝たもんだから、寝過ぎちまった」

 ――この一言が、すべてを台無しにした。

 温厚な鈴音ですら、思わず眉をひそめた。
 リカートに至っては、今にも爆発しそうな活火山のような表情を浮かべていた。

 それでも、なんとか怒りを飲み込んでいるのは、ここでバンに逃げられては困るという、ただその一点のためだった。

 リカートにとっては、最大限の譲歩。
 まさに、期限付きの執行猶予である。

 今後、森の中で案内に不備があれば――そのときは、遠慮なく蹴り飛ばしてやるつもりでいた。

 そんな一触即発の空気を孕んだまま、一行の旅は、ついに始まった。
 いや、始まってしまった。

 彼女たちを見送る者たちは、その行く手に立ちはだかるであろう、形なき雷雲の気配を、どこか肌で感じずにはいられなかった。

 いろいろな意味で――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋い焦がれて

さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。 最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。 必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。 だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。 そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。 さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。 ※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です ※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません) ※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。 https://twitter.com/SATORYO_HOME

マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】

remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。 地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。 水村ゆい、23歳、シングルマザー。 誰にも言えないけど、愛息子の父親は、 今人気絶頂バンドのボーカルなんです。 初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。 待っている… 人生で、一度だけの恋。 【完結】ありがとうございました‼︎

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした。今度こそ幸せになります!!〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。 夫と婚姻してから三年という長い時間。 その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる

仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。 清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。 でも、違う見方をすれば合理的で革新的。 彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。 「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。 「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」 「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」 仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

捨てられた悪役はきっと幸せになる

ariya
恋愛
ヴィヴィア・ゴーヴァン公爵夫人は少女小説に登場する悪役だった。 強欲で傲慢で嫌われ者、夫に捨てられて惨めな最期を迎えた悪役。 その悪役に転生していたことに気づいたヴィヴィアは、夫がヒロインと結ばれたら潔く退場することを考えていた。 それまでお世話になった為、貴族夫人としての仕事の一部だけでもがんばろう。 「ヴィヴィア、あなたを愛してます」 ヒロインに惹かれつつあるはずの夫・クリスは愛をヴィヴィアに捧げると言ってきて。 そもそもクリスがヴィヴィアを娶ったのは、王位継承を狙っている疑惑から逃れる為の契約結婚だったはずでは? 愛などなかったと思っていた夫婦生活に変化が訪れる。 ※この作品は、人によっては元鞘話にみえて地雷の方がいるかもしれません。また、ヒーローがヤンデレ寄りですので苦手な方はご注意ください。 ※表紙はAIです。

処理中です...