異境の人 ~鈴音が紡ぐ世界~

葉月奈津・男

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第11話 河図洛書 ⑤ ~進む道~

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 街を出た一行は、すぐに森へ入ることはせず、いったん西へと進路を逸らし、森の外縁を反時計回りに迂回するルートを取った。

 これは、森に不慣れな鈴音とリカートのため、できるだけ森の中を歩かずに済むようにというバンの判断によるものだった。

 この森は南北に長い紡錘型をしており、北の街から真っ直ぐ中心を目指すよりも、東か西に迂回してから入った方が、森の厚みが薄く、移動が楽になる。

 さらに、東側には川が流れているが、西側にはない。
 獣たちは水辺に集まりやすく、ヘビやヒルも湿気を好む。
 そういった意味でも、森の中心に向かうだけが目的であれば、東から入るより西からの方が安全といえる。

 もっとも、それはあくまで『比較的マシ』というだけの話だ。

 ここは、整備された自然公園ではない。
 神々が意図して創り上げたこの世界において、真の自然とは、常に予測不能で、完璧とは程遠いものなのだ。

 森を左手に見ながら、鈴音たちは南へと歩を進めていく。
 見渡す限り、なにもない草原が広がっていた。

 この世界は、神々の意志によって造られた。
 そのため、意図的に設けられた聖地を除けば、不自然に高い山や深い谷、そして深い森は存在しない。

 ときおり、涼やかな風が頬を撫でていく。
 次第に火照ってくる身体に、その風は心地よく感じられた。

 ――だが、それは長くは続かなかった。

「!!」

 風が、変わったのだ。

 強さではない。
 温度が、だ。

 先ほどまで涼しかった風が、いつの間にか生ぬるくなっていた。
 一歩進むごとに、気温が一度ずつ上がっていくような錯覚すら覚える。

 風が肌にまとわりつく。
 どこか鉄のような匂いが鼻をかすめた

 数分後、周囲の景色は変わらないのに、気温だけがまるで熱帯のように変わっていた。 
 まるで、夏のクーラーの効いた部屋で快適に過ごしていたところに、突然ブレーカーが落ちてサウナのような暑さに包まれたかのような――そんな、劇的な変化だった。

「な、なんなのよ。なんでこんな急に気温が変わるの?」

 犬のように舌を出してハァハァと息をしながら、鈴音が苛立ちをにじませて呟く。
 怒鳴りたい気持ちはあるのに、その気力すら奪われていた。

「変わったんじゃねぇよ。俺たちのほうが、暑い場所に足を踏み入れたのさ」

 平然としているのはバンボラだけだった。
 鍛えられたはずのリカートですら、額にうっすらと汗を浮かべている。

「これ以上暑くなるって言うの!!」

 語気は荒いが、迫力のない声でバンに噛みつく鈴音。
 かすれたその声は、妙に艶やかだった。

「いや、これが最高さ。もっとも、このまま森に入れば、熱よりやっかいなものが待ってるがな」

 そう言いながら、バンは進路を西へと変え、森の中へと歩き出した。
『熱よりやっかいなもの』という言葉に不安を覚えながらも、鈴音とリカートはその後を追った。

 やがて三人は、否応なく森へと足を踏み入れる。

 そこに広がっていたのは、鈴音が想像していた『森』とはまるで違う光景だった。
 それはまさに、密林――ジャングルだった。

 ただ——
 鳥の声も、虫の羽音もない。
 ただ、風の音すら吸い込まれるような沈黙が支配してい

「……あのう、熱よりもやっかいなことって、なんなんですか?」

 危険に対する恐怖はもうなかった。
 だが、未知のものに対する不安が心の中で膨らみ続け、弾けそうになったその一部が、鈴音の口からこぼれ出た。

「そうだな……おもしろいものを見せてやろう」

 バンはそう言って、足元の小石を拾い上げ、前方へと投げた。
 まるで飛んでいる鳥を撃ち落とすかのような勢いで。

 だが、その石は普通の軌道を描かなかった。

 本来なら、緩やかな放物線を描いて地面に落ちるはずだった。
 だがその石は、ある地点に差しかかった瞬間、まるで何かに叩き落とされたかのように、垂直に落下したのだ。

「わかるかね?」

 不自然すぎる現象に呆然とする鈴音とリカートを振り返り、バンが笑う。

「……重力異常地帯?」

 何かの本で見たことがあっただけに、鈴音にはその現象の正体がなんとなく想像できた。

 よく見ると、そこだけ木々の様子が明らかに違っていた。
 まっすぐに伸びる針葉樹の中に、ねじれ、曲がった木々が密集する区域がある。

 枝葉も、太陽を求めて上へ伸びるものと、地に向かって垂れ下がるものとに分かれていた。

 まるで、見えない力によって線引きされたかのように、その区域は円を描くように区切られていた。

 見事なまでの、完璧な曲線。

「どういうことなの?」

 まだ状況を飲み込めていないリカートが、バンに聞かれてバカにされるのを恐れてか、小声で鈴音に尋ねてきた。

「つまり、今度は歩くたびに重力が強くなる。要するに、体が重くなるってことよ」

 鈴音はげんなりした表情で答えた。
 リカートに対して不機嫌だったわけではない。
 ただ、体重が増えていくという現実に、気が滅入っていたのだ。

 一キロ、二キロの増減に一喜一憂する現代の娘にとって、『体が重くなる』というのは、まさに悪夢そのもの。

 鈴音はそうした風潮に流されないタイプではあったが、それでも、基本的な価値観は同じだった。
 やっぱり、重くなるのはつらい。

 一方で、同じ女性でも、リカートの受け止め方はまったく違っていた。

「暑い上に体が重くなったんじゃ、体力の消耗が激しすぎるわね。いざって時に、ちゃんと動けるかしら」

 リカートは神官である前に戦士だった。
 体重が増えることに悩むことはない。
 日焼けで肌が荒れようと、筋肉がついて腕が太くなろうと、彼女にとっては些細なことだった。

 彼女の身はすでに女神に捧げられており、男との関係も、俗世の美意識も、彼女には無縁だった。

 問題は、体が重くなって動きが鈍ること。
 それが、彼女にとっての最大の懸念だった。
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