異境の人 ~鈴音が紡ぐ世界~

葉月奈津・男

文字の大きさ
21 / 36

第20話 巧遅拙速 ② ~木から下がるのは~

しおりを挟む
 

「……あまり気は進まねぇが、行くしかねぇんなら、行くしかねぇわな」

 のんびりとした口調で呟きながら、バンボラが先に立って森へと歩き出す。

 すでに彼の頭の中には、森の地形が鮮明に描かれていた。
 バンボラに関して言えば、道に迷う心配はなかった。

 その腕には、巫女頭から借りた魔導書が抱えられている。
 どんな細かなことでも、確認する手段はある。

 ……もっとも、その魔導書に書かれていることが正確であること、そして森が今もその姿を保っていることが前提ではあったが。

「……その魔導書、本当に信用できんの? っていうか、いつの時代のものなの? ちゃんと役に立つんでしょうね!!」

 わずかに垣間見えた義人の影に、期待と不安が入り混じる鈴音。

 小刻みに震える彼女の肩に、そっと右手を置いたまま、リカートがバンボラの後に続く。

 その問いは、『前提の必要性』に気づいた者の、当然の確認だった。

 「……。役に立つことは確かだが、信用はしないほうがいいだろうな。なんせ四千年前のものだからな」

「よ、よんせんねん!!」

 あまりにもかけ離れた数字に、思わずしゃべりが平仮名になってしまうリカート。
 もはや頭を抱えてため息をつく以外、反応のしようもなかった。

「だめだ、こりゃ…」

 小声でぼそりと呟いたリカートは、ふとある疑問を思いつく。

「…この賢者って、何のためにこんな地の果てまで来たのかな。人間が好き好んで来るような場所じゃないと思うんだけど」

 腕を組み、真剣な表情で考え込み始めるリカート。
 その仕草にバンボラはチラリと視線を向けたが、何も言わずに歩き続けた。

 その後ろを鈴音が、さらにその後ろをリカートが歩いていく。

「ねぇ、なんかしんないけどさ。興味、沸かない?」

 露骨に不自然なはしゃぎっぷりで鈴音に問いかけるリカート。
 もちろん、それは演技だった。
 鈴音の気を逸らすための。

 今、彼女は言い知れぬ不安にさいなまれているはずだった。
 黒鳥が語った戦いの規模の大きさ、その熾烈さ。
 そして、『勇者』が義人なのではないかという期待と、もしそうならば傷ついているのではないかという不安。
 死への恐怖――自分のことではないからこそ、心をかき乱す妄想に襲われているに違いなかった。

 こんなときには、他に気を取られるものがあると楽になる。
 人間を十数年もやっていれば、辛いことや哀しいことの一つや二つはある。
 リカートにだって、そんな経験があった。
 だからこそ、思いついた精一杯の演技だった。

 だが――やり慣れないことはするものではなかった。

 その気遣いは、逆に『何かを隠している』というサインとなって、鈴音の集中力を周囲の森へと向けさせてしまった。

 そして、ようやく気づいた。

 バンボラが、彼女たちの歩きやすいように繁みの下枝を短剣で払いながら進んでいること。

 リカートが、常に鈴音の視界の先に立とうとしていること。

 それは明らかに、鈴音の目に『何か』を入れさせまいとする行為だった。

 ――なにを隠そうとしているの?

 そう問いかけかけて、鈴音は開きかけた唇をつぐんだ。

 問うて、素直に答えるようなら、初めから隠すわけがない。
 黒鳥の言葉ではないが、真実は自分の目で確かめなければならないのだ。

「…そうね、興味はあるわね」

 本心を悟られぬように、話を合わせる鈴音。
 右手を下顎に当て、思案するような仕草を見せる。
 集中力を高めるように、目を細めながら。

 だが、その細められた目の奥では、眼球が忙しく動き、リカートがカバーしきれていない隙間を探していた。

 そして――その行為は、すぐに報われた。

 異常を探すまでもないほど、異質な森が、そこに広がっていた。

 見た目には、どれも樹齢千年近い赤松のような色と葉を持ち、奇妙な形の赤い実をつけた木々にしか見えなかった。

 だが――その枝や赤茶色の幹に絡みついた蔦が、風とは無関係に揺れていた。

 まるで、獲物を狙う蛇のように。
 鎌首をもたげ、じりじりと獲物を追うように。

 それでも鈴音は、平静を保っていた。
「奇妙な生き物だな」と、どこか他人事のように観察していた。

 だが、その余裕は、完全な勘違いだった。

 森の暗さに慣れてきた鈴音の目が、それまでシルエットにしか見えなかった『実』の正体を捉えたとき――彼女の頭の奥で、何かがプツリと切れた。

「ヒィッ!!」

 喉の奥にこびりつくような悲鳴が漏れ、鈴音の目が大きく見開かれる。

 それは『実』などではなかった。

 それは――引き千切られた肉だった。

 腕、足、胸、臀部、首…… どれもが血の気を失い、白くなった肌を、自らの血で赤く染めていた。

 改めて見直すと、赤茶色の幹だと思っていたものも、実は大量の血が幹にこびりつき、 かさぶたのように固まっていたのだと気づいた。

「見ちゃ駄目よ!」

 鈴音の様子からすべてを察したリカートが叫ぶ。
 だが、もう遅かった。

 森の中を再び風が吹き抜け、枝に引っかかっていた首のひとつが、くるりと回ってこちらを向いた。

 その目が、鈴音の目を捕らえる。

 四つの眼球が、無形の線で結ばれた。

「イ、イヤー!!」

 自分から見ようとした光景だったはずなのに――鈴音は堪らなくなって叫び、我を忘れて駆け出していた。

 目を手で覆い、足の赴くままに――。

「待ちなさい!!」

「あ!!」

 リカートにもバンボラにも、止めることはできなかった。

 二人は慌てて鈴音の後を追う。

 この森で、彼女を一人にするわけにはいかなかった。
 彼女の力では、森の獣たちにとって『獲物』どころか、『エサ』にしかならないのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋い焦がれて

さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。 最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。 必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。 だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。 そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。 さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。 ※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です ※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません) ※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。 https://twitter.com/SATORYO_HOME

マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】

remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。 地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。 水村ゆい、23歳、シングルマザー。 誰にも言えないけど、愛息子の父親は、 今人気絶頂バンドのボーカルなんです。 初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。 待っている… 人生で、一度だけの恋。 【完結】ありがとうございました‼︎

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!

藤原ライラ
恋愛
 ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。  ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。  解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。 「君は、おれに、一体何をくれる?」  呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?  強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。   ※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした。今度こそ幸せになります!!〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。 夫と婚姻してから三年という長い時間。 その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる

仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。 清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。 でも、違う見方をすれば合理的で革新的。 彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。 「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。 「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」 「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」 仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

処理中です...