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第22話 巧遅拙速 ④ ~霧の中で~
しおりを挟む「な、なんなのよ、これ!!」
霧のようなものが自分の周囲にまで迫ってきているのを見て、鈴音は恐怖に駆られ、引きつった声で叫んだ。
視界を奪われる――それは、彼女にとって恐怖そのものだった。
本物の戦士や魔導師なら、気配やオーラで状況を把握できるかもしれない。
だが、鈴音にはそんな芸当はできない。
霧は容赦なく迫り、ついに彼女の姿と視界を完全に包み込んだ。
もともと視力には自信があっただけに、その視界を奪われた瞬間、鈴音の勇気は脆くも崩れ去った。
この世界では、自分は産まれたての赤ん坊のように非力なのだ――その現実を、改めて思い知らされた。
「逃げて、逃げて……!」
妖精が鈴音の前方に飛び出し、「ラクロア族の追手が近づいています!」と叫んでいた。その声は確かに優しかった。けれど、どこか『命令』のようにも聞こえた。
だが、その姿は霧の向こうにあり、鈴音の目には映らなかった。
少女の身体がピクリと震え、硬直する。
見えてはいないが、灌木の繁みがザワザワと揺れる音が、はっきりと聞こえていた。
続いて、枝を分ける音――その瞬間、繁みから黒い物体が飛び出してきた。
「キャッ!」
思わず悲鳴を上げる鈴音。
その黒い影もまた、霧に紛れて姿は見えない。
見えないからこそ、不安が増し、恐怖が膨れ上がる。
「イ、イヤー!」
再び悲鳴を上げた鈴音は、リカートから預かった幅広の中剣を引き抜いた。
攻防のバランスに優れ、扱いやすいその剣を、彼女は震える手で構える。
「ヤァッ!」
鋭さに欠ける声とともに、鈴音は剣を振るった。
――その頃。
森を抜けた瞬間、斬りかかってくる気配を、リカートは敏感に察知していた。
全身に緊張が走る。
反射的に飛び退くと、紙一重で何かが掠めていった。
レイピアを構え、相手の動きを探ろうとするリカート。
「待て、剣を使うな!」
バンボラが早口で制止する。
「鈴音だ。斬りつけてきたのは鈴音だぞ」
その言葉に、リカートも気づいた。
さっきの声は、確かに鈴音のものだった。
しかも、剣の動きは素人そのもの。街の道場に通う子供よりも稚拙だった。
「森に住む虫の中には、幻覚を見せる毒を持つやつもいる。それに刺されたのかもしれないな」
「この場合、魔術だと考えるのが妥当じゃない? この霧の異常さからしても」
リカートは、困ったことになったと感じていた。
この霧の中で、鈴音は容赦なく剣を振るう。
こちらは反撃できない。
このままでは、圧倒的に不利だ。
「なんとか、術の元を絶たなきゃ駄目ね。たぶん、術師も近くにいるはずよ」
周囲に気を配りながら、リカートが言う。
「……判った。鈴音の面倒は俺が見る。あんたは術師のほうを頼む」
言われるよりも早く、リカートは女神の名を唱え、精神を昂揚させていく。
「……とは言え、こいつぁちぃっとばかしきついかな?」
祈りの態勢に入ったリカートを視界の隅に捉えながら、バンボラが呟いた。
その額には、冷たい汗がにじんでいた。
鈴音は、剣を振り回していた。
一瞬でも手を止めれば、あいつらが再び襲ってくる――そんな恐怖に突き動かされていた。
奇怪な生き物だった。
人の姿をしていながら、翼を持っている。
本来なら腕であるはずの部分が、翼になっていたのだ。
「ハーピー……人面鳥、か。まさか、本物にお目にかかれるとは思わなかったわ」
神話好きの鈴音は、その姿を見た瞬間、思わず苦笑していた。
それは間違いなく、ギリシア神話に登場する怪鳥――英雄アゲノールの息子ピネウスを苦しめた、ハルピュイアたちだった。
妖精に続き、またもや夢想の世界の住人に出会えたことで、一瞬だけ笑みが浮かんだ。
だが、それが自分に襲いかかってくるとなれば、気分のいいはずがなかった。
ハルピュイアたちは神話の通りに空を飛び回り、飛びながら汚物を投げつけてくる。
耐えがたい悪臭が辺りに漂い、鈴音は思わず意識を失いかけた。
そのとき――
視界の隅を、ハルピュイアよりもはるかに小さな影が掠め飛び、いつの間にか地面に降り立っていた。
妖精だった。
彼女は地面に降り立ったハルピュイアを指さし、声を限りに叫んだ。
「早く、殺しなさい!」
その声に、鈴音はハッとした。
今が攻撃の好機であること。
そして、目の前にいるそれが『敵』であること。
すべてを悟った。
大きく振りかぶった剣が、頭上で一度静止し――風のような唸りをあげて、振り下ろされる。
「消えて!!」
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