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第24話 巧遅拙速 ⑥ ~アイオーン~
しおりを挟む一時間ほどの休憩を挟み、三人は再び歩き出す。
今度は、横穴の中へ。
リカートは神官戦士らしく、抜いた剣の鞘の先に魔法の灯をともして、鈴音に手渡した。
戦闘には参加させないつもりの鈴音に明かりを持たせ、自分たちはいつでも戦えるように剣を構える。
なかなかに理にかなった判断だった。
魔法の灯は、洞窟の滑らかな岩肌に青白く反射し、まるで宝石を散りばめた装飾品のように輝いていた。
足元は相変わらず滑りやすく、気を抜くことはできない。
やがて、洞窟は巨大な空洞へとつながっていた。
下りてきた穴のスケールからすれば小さな空間だったが、それでもサッカーができるほどの広さはあった。
空洞の中央には澄んだ水が溜まり、池のようになっていた。
水深は浅く、深いところでも鈴音の膝を濡らすことはないだろう。
だが――その池の底には、想像を絶する量の白骨と、錆びた武具が沈んでいた。
岩の壁は淡い青白い光を放っていた。
光苔がびっしりと生え、自然の光源となっていたのだ。
まるで、自然にできた王宮の広間のようだった。
巨大で、荘厳で――そして、その空洞の一番奥。
まるで玉座に腰を下ろすかのように、この森の主が、そこにいた。
「これが、魔龍アイオーン!」
リカートが驚きの声を上げた。
鈴音はそのあまりの巨大さに言葉を失い、バンボラに至っては口を閉じるのも忘れて、ただ見つめていた。
アイオーンの全身には光苔が生え、青白い光に包まれている。
その姿は『ドラゴン』というよりも、『龍』と呼ぶほうがしっくりくる。
蛇のように長い身体。
どこまでが胴体で、どこからが尻尾なのかも分からない。
巨大な翼はコウモリではなく、カラスのような形をしており、四本の足がとぐろの合間から垣間見えていた。
アイオーンは三重のとぐろを巻きながら、岩の上に静かに横たわっていた。
「『神を食らうもの』、魔龍アイオーン……」
リカートが再び呟く。
その声には、強い嫌悪の色がにじんでいた。
どう聞いても、目の前の存在に向けて言うべき言葉ではない。
「それは誤解じゃ。確かに噛みつきはしたが、食ったことなぞはないぞ」
頭上から、乾いた紙を擦るようなカサカサした声が響いた。
三人は一斉に身を強張らせ、ゆっくりと声の主を見上げる。
そこには、巨大な蛇の頭があった。
鈴音は思わず目が合い、慌てて視線を逸らす。
「だいいち、わしが噛みついたとき、ラファエラはフィアンナという名の人間であったし、わしはただの蛇にすぎなかったのじゃ。だから、その呼び名は少々不正確じゃな」
弁解めいた口調ではあったが、この龍が噂ほど残忍ではなく、話せば通じる相手であることが、はっきりと伝わってきた。
「人間だった? ラファエラ様が!!」
女神に命を預ける立場のリカートが、信じられないというように声を上げた。
「ほんの千年前まではな。わしはその前のことはあまり覚えておらんが、あの娘に噛みついたとき、わしはカラスの野郎に捕まっていて、息も絶え絶えじゃった。
で、噛みついたと同時に力尽きて死んだのじゃが、娘のほうもショックで心の臓が止まってしまった。
死ぬと魂は二つに分かれ、善の心は天界、悪の心は地界へ還る。
だが、同時に死んだせいで、娘の魂にわしの善の心が、わしの魂に娘の悪の心が混ざってしまった。
その結果、娘は実体を持たぬ精神体――すなわち女神に、わしは肉体を持つ魔物へと変わったのじゃよ」
アイオーンは、どこか遠い目をして語った。
「あのとき、噛みつかなければ……いや、あれは運命だったのかもしれんがな」
「神が人間だった?」
それは、信仰の根幹を揺るがす事実だった。
リカートの手が、わずかに震えた。
『神が人間で、魔龍が蛇だった』
それは、興味深い話ではあったが、今はそれを聞いている余裕などない。
いち早くそのことを思い出したのは、少女たちの後見人を自任するバンボラだった。
「昔話はそれぐらいにして、地界への道を教えてほしいんだがな。それとも、あんたを倒さなきゃ通れないのか?」
神の存在は認めていても、信じてはいないバンボラにとって、女神の話には興味がなかった。
鈴音とリカートも、ようやく目的を思い出し、緊張が走る。
「……逆じゃな。わしを倒してしまっては、地界には行けぬぞ。エスティリアから借りた本にも、そう書いてあるじゃろうが」
そう言って、魔龍は目を細めた。
おそらく笑っているのだろうが、見ている側には恐ろしくしか見えなかった。
「『地界の入り口はカプリチオ盆地の中央、ストイックの魔窟と呼ばれる穴の奥にある。 なれど、その入り口とは天に開けられた一つの穴であり、翼を持たぬ人の身にて、これを下りること叶わざるなり』」
魔龍の言葉に促され、バンボラが本の記述を読み上げた。
他の二人にも聞こえるように、そして内容が一致しているかを確かめるために。
魔龍の目はさらに細くなり、満足げに光った。
「そう、四千年前にはわしがいなかったから、誰も下りられなかった。だが、今は違う。わしがここにいることで、それが可能になったのじゃ。さあ、地界を覗かせてやろう……近くに来なさい」
言われるまま、三人は魔龍の側へと歩み寄った。
鱗の一枚一枚が見分けられるほどの距離まで。
池の水が足を濡らすが、予想通り膝にも届かない浅さだった。
鈴音はスパッツより少し長いズボンを履いており、バンボラは膝まである防水の革靴を履いていたため、濡れる心配はなかった。
マントだけはたくし上げて、準備は万端だった。
「あっ!」
もう二、三歩で魔龍に触れそうな距離まで近づいたとき、鈴音が声を上げた。
魔龍アイオーンのとぐろの隙間から、彼女は下を覗き込んだのだ。
そこに広がっていたのは――高い山々が連なり、血のように赤いマグマが川のように流れる、鳴動する『別世界』。
そして、その世界へと垂れ下がるように、魔龍の尾が続いていた。
「わしの尾は、地界の地上にまで届いておる」
アイオーンが、どこか誇らしげに呟いた。
その言葉が意味するところは、明白だった。
「つまり、あんたの身体を伝って行けって事なわけなのね」
リカートが深いため息をつきながら、おもむろに魔龍の背中――いや、腹かもしれない――にしがみつき、スルスルと下りはじめた。
もちろん、バンボラもそれに続く。
そして、鈴音もやむなく後を追った。
普通の女の子である鈴音にとって、製品化されていない『生の蛇皮』は、決して気持ちのいいものではなかった。
「しっかりと掴まっていくんじゃぞ。落っこちても助けてなんぞやれんからな」
アイオーンの、どこか老婆心めいた忠告が頭上から響く。
三人は魔龍の背を、まるで足跡を刻むように、一歩一歩、慎重に降りていった。
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