26 / 36
第25話 呉越同舟 ① ~眼下に~
しおりを挟む夜もすっかり更けているはずなのに、空はまだ夕暮れ前のように明るいままだった。
鈴音たちは、長く伸びた魔龍アイオーンの背を伝って、地界へと降りていく。
その体は、まさに巨大な蛇そのもの。
背中はウロコでごつごつしていたが、腹側は意外にも滑らかで柔らかかった。
鈴音、リカート、バンボラの三人は、登山のようにウロコの隙間に手足を引っかけながら、慎重に背中側を下っていた。
ありがたいことに、アイオーンが体をわずかにくねらせてくれているおかげで、完全に寝転ぶのは無理でも、座って一息つくくらいの余裕はあった。
ウロコも年季が入っているのか、角が丸くなっており、鈴音の肌を傷つけるようなこともなかった。
下を見なければ、案外快適――そう思えるほどだった。
だが、下を見たら終わりだった。
その高さに足がすくみ、動けなくなるのは目に見えていた。
鈴音もそれはよく分かっていた。
……分かっていたのに、だからこそ気になってしまうのが人間というもの。
「見ちゃダメ」と思えば思うほど、見たくなる。
誘惑に勝てず、鈴音はついに視線を地平線の方へと向けた。
そして――
「……!」
思わず息をのんだ。
そこに広がっていたのは、山も荒野もない、血のような色をした雲の海。
しかも、それがものすごい勢いで渦巻いていた。
まるで地獄の手前、いや、それ以前の混沌。
あまりの光景に、鈴音は思わず笑ってしまった。
怖すぎて、笑うしかなかったのだ。
それでも彼女は気を取り直し、そっと視線を足元へと戻す。
アイオーンは落ち着いており、体もまったく揺れていない。
ということは、あの雲海が地界のすべてというわけではない。
案の定、雲の下には砂漠、荒野、マグマの海、火山――そして、ようやく町らしきものが見えてきた。
まだ豆粒のように小さかったが、確かに文明の気配があった。
アイオーンの尻尾は、その町の西の端、ちょうど太陽が沈みかけて止まっているあたりに降りていた。
それを確認し、鈴音は再び降下を再開する。
リカートとバンボラは、すでにだいぶ下の方で、鈴音を待っていた。
「早く降りてきなさいよ! ここで野宿なんてごめんだからね!」
リカートの怒鳴り声に、鈴音はふっと笑った。
「登るんじゃなくてよかった……」
◇
「行ったわね」
「おう、行っちまったな」
艶やかな女性の声と、年季の入ったしわがれ声が交差する。
話題は、鈴音たちのことだ。
「……天界、精霊界、妖精界、人間界。全部片付いたんだな?」
問いというより、確認のような口ぶり。
「ええ。天界は主神ケイファスタン、精霊界は運命の女神アルタミラ、妖精界は書物の女神エスティリア。そして人間界は、私ラファエラがそれぞれ取り込んだわ。あとは、あなたが地上界を収めれば、計画の八割は完了よ」
即答するラファエラの声には、ほんの少しの哀しさと、それ以上の寂しさがにじんでいた。
「『八割終われば、まだ半ば』って言葉が人間界にあったな」
魔龍の乾いた声が、皮肉っぽく響く。
ラファエラの安堵したような口調に、ちょっとした嫌味を添えたのかもしれない。
「そうね、まだ半分……いえ、それ以下かもしれない。でも、私たちにできるのはここまで。あとはオーリンと、彼がすべてを託したあの少女に任せるしかないわ。女神の私が言うのも変だけど、『人事を尽くして天命を待つ』って気持ちよ」
自分の言葉に自分で納得したように、ラファエラはどこか晴れやかな声で言った。
やるべきことはやった。
あとは流れに任せるだけ。
そんな心境だった。
「でもさ、本当は全部話しちゃった方が早いんじゃないのか? あの娘に」
『あの娘』とは、もちろん鈴音のことだ。
「それも考えたわ。でも、もし裏目に出たら、すべてが水の泡。遠回りでも、今のやり方が一番うまくいく可能性が高いの」
ラファエラは穏やかにそう答えると、地界の方へ視線を向けた。
その目は、少しずつ崩れていく世界をじっと見つめている。
「……正直に言うとね。世界なんて、このまま終わってしまった方がいいんじゃないかって、ふと思うこともあるの。無理に作り直すより、自然に壊れて、自然に再生されるのを待つ方がいいんじゃないかって」
女神は瞬きもせず、まるでこの世界を心に焼きつけるかのように、静かに本音を漏らした。
この世界は、もともと一つの意識の願いから生まれた。
だからこそ、あちこちに歪みが生まれてしまった。
それをまた誰かの意志で作り直したところで、本当に意味があるのか――そんな疑問が、彼女の胸に渦巻いていた。
「その気持ち、わからんでもない。だがな、それはわしらのエゴってもんじゃ。わしらは、ありえないほど長く生きて、やりたいこともやり尽くした。もう命に未練はない。 でもな、生きてる限り、生きようとする。それが命ってもんじゃ。たとえそれが悪あがきでも、生き抜くことに意味がある。……違うか?」
老いた魔龍が、まだ若さを残す女神に静かに語りかける。
ラファエラの顔に、ふっと微笑みが浮かんだのを見て、アイオーンはゆっくりと立ち上がった。
「鈴音たちが地界に降りた。わしも、そろそろ動くとしようか」
そう言って、長年腰を下ろしていた『ストイックの魔窟』を後にし、空へと舞い上がる。
残されたラファエラは、しばらくその背を見送っていたが、ふと何かを思い出したように呟いた。
「そういえば、アルタミラが言ってたわ。『運命は待つものじゃなく、自分で作るもの』だって」
その言葉を胸に、ラファエラは他の三神が待つ『創命宮』へと歩き出した。
アイオーンも、すぐに合流することになるだろう。
0
あなたにおすすめの小説
恋い焦がれて
さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。
最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。
必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。
だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。
そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。
さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。
※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です
※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません)
※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。
https://twitter.com/SATORYO_HOME
マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】
remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。
地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。
水村ゆい、23歳、シングルマザー。
誰にも言えないけど、愛息子の父親は、
今人気絶頂バンドのボーカルなんです。
初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。
待っている…
人生で、一度だけの恋。
【完結】ありがとうございました‼︎
【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※
リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした。今度こそ幸せになります!!〜
ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。
イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。
8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。
※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。
〖完結〗終着駅のパッセージ
苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。
彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。
王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。
夫と婚姻してから三年という長い時間。
その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。
※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。
【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる
仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。
清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。
でも、違う見方をすれば合理的で革新的。
彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。
「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。
「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」
「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」
仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。
王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました
水上
恋愛
【全18話完結】
「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。
そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。
自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。
そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。
一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる