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第27話 呉越同舟 ③ ~魔王~
しおりを挟む塔を出た瞬間、まず耳に飛び込んできたのは――何もなかった。
あまりに静かすぎて、逆にうるさいくらい。
まるで音が吸い込まれていくような、墓場のような静けさだった。
「……ゴーストタウン、じゃないよね?」
鈴音は思わずそう呟いた。
楽器の音も、人の話し声も、子どもの泣き声も、水の音すらもしない。
町にあるべき音が、何一つ聞こえてこないのだ。
でも、完全に無人というわけでもなさそうだった。
石畳の大通りにはゴミひとつ落ちておらず、よく見ると砂埃が立たないように水を撒いた跡まである。
整いすぎていて、逆に不気味なほど。
もし今、鈴音たちを先導する女性たちがいなければ、この町に人がいるなんて到底思えなかっただろう。
彼女たちは塔から斜めに伸びる大通りをまっすぐ進み、町の中心――あの巨大な城へと鈴音たちを案内していく。
近づくにつれて、空気が変わった。
静かに流れる弦楽器の音色、そしてそれに重なるように響く、女性の神秘的な歌声。
まるで聖歌隊のような、心を洗うような音だった。
さらに、ふわりと鼻をくすぐるのは――料理の匂い。
煮物、焼き魚、香ばしく炙られた肉の香りが、風に乗って漂ってくる。
時折、笑い声や拍手の音も混じっていて、どうやら宴が開かれているらしい。
ぐ~っ……きゅるるる……
「ひゃっ!」
突然、お腹が鳴ってしまい、鈴音は思わず声を上げた。
顔どころか耳まで真っ赤に染まる。
そういえば、昨日の夜からまともな食事をしていなかった。
バンボラにもらった木の実だけで、もう三日近く空腹と戦っていたのだ。
「もう少しの辛抱です。今夜の宴の主役は鈴音様。城の天守で、我らの主が晩餐を整えてお待ちしております」
先導していた女性の一人が、優しく振り返ってそう言った。
鈴音はさらに赤くなりながらも、気まずさを笑顔に変えて、礼を述べた。
気を使われるより、こうして軽く流してもらえる方がずっとありがたかった。
でも、礼を言った時には、もう食事のことなんて頭から吹き飛んでいた。
それよりも気になるのは――
「宴の主役が私? しかも、地界の王が待ってる…?」
妖精と出会うまでは、地界の民は敵だと思っていた。
それが今、自分を歓迎してくれるなんて、どうにも腑に落ちない。
「……宴に招かれるのは光栄だけど、出てくるのが毒入りだったら笑えないわね」
鈴音の戸惑いを察したのか、バンボラがリカートの耳元で皮肉っぽく囁いた。
「その場合、私たちが毒味役ってことになるわね」
リカートがさらりと返すと、バンボラは一瞬だけ黙り込んだ。
考え込んだわけじゃない。
ただ、今さらながら「護衛って、そういう役目もあるんだっけ…」と気づいて、ちょっと唖然としただけだった。
でも、嫌じゃなかった。
剣を振るうだけが護衛じゃない。
そう思えば、なんだかちょっと面白くなってきた。
とはいえ、口から出たのは別の言葉だった。
いかにも彼らしい、ちょっと達観したセリフ。
「それも悪くないさ。次にいつ飯が食えるか分からないしな。もしかしたら、これが本当に『最後の晩餐』ってやつかもしれないし。だったら、毒が入ってようが関係ないさ」
バルボアの言葉は冗談とも本気ともつかない響きだったが、どこかに真実の影があった。
この世界では、いつ命を落としてもおかしくない。
とはいえ、リカートにとって「毒で死ぬ」なんて選択肢はあり得なかった。
鈴音を守るために剣を振るうのが自分の役目。
戦わずして倒れるなんて、戦いの女神ラファエラに顔向けできない。
とにかく今は、先導する女性たちについていくしかない。
胸の奥に焦燥感を抱えながら、3人は無言で歩を進めた。
延々と続く階段を登り続け、ようやく天守にたどり着いたとき――3人は、思わずその場で固まった。
目の前に広がる光景が、現実だと認めた瞬間、自分たちの存在すら揺らぎそうな気がしたのだ。
左右に広がる宴の場では、先導してきた女性たちと同じ姿の者たちが、酒を酌み交わし、歌い、笑っていた。
もし頭上に桜でも咲いていれば、まるで人間界の花見のような光景だったろう。
でも、問題はその奥――
そこに、まるで奈良の大仏が阿修羅にコスプレしたかのような巨人が、どっかりと鎮座していたのだ。
三つの顔に六本の腕
まさに三面六臂の阿修羅像。
しかもその巨体が、牛の丸焼きをサイコロステーキ感覚でバクバク食べている。
まともな精神で受け止められるわけがない。
特に、過去の伝承や神話に詳しいリカートにとって、それは『死』そのものの具現だった。
「……大魔王、サンディムーア……」
喉が引き裂けそうなほどの緊張の中、リカートがようやく声を絞り出す。
顔は真っ青、肌はまるで干からびたイカのように青白く変わっていた。
「そんなに固くならんでもよい」
そのかすれ声を聞き取ったのか、巨人――大魔王が、意外にも穏やかな声で話しかけてきた。
その声は低く、柔らかく、まるで重厚なベースのように響いた。
「わしは常に地界以外の世界の敵というわけではない。
わしの使命は、光と闇の均衡を保つこと。光が強すぎれば、影は濃くなる。闇が深すぎれば、光は見えなくなる。均衡とは、常に揺らぎの中にあるのだ。
そのためなら敵にもなるし、味方にもなる。
かつては敵だったが、今は――味方だ」
その言葉に背中を押されるように、鈴音は一歩、また一歩と前へ進んだ。
ゆっくりと、大魔王の前へ。
料理が山のように積まれたテーブルの手前で立ち止まる。
恐怖ではない。
ただ、これ以上近づくと、顔を見上げるだけで首が痛くなりそうだったから。
「そなたが鈴音か。オーリンの奴がずいぶん気にかけていたから、どんな女傑かと思えば……ただの小娘ではないか」
大魔王の巨大な口から漏れた言葉は、まるで洞窟の中から響いてくるようだった。
「オーリン……義人くんのことですね! 知ってるんですか? 今どこに? 何をしてるんです?」
鈴音は思わず前のめりになって問いかけた。
妖精が言っていた通り、オーリンは義人の地界での名だった。
だが、大魔王は片手を軽く上げて、彼女の言葉を制した。
「三年前、わしはオーリン――義人とその仲間たちに封印された。知っていて当然だろう。何をしているか? そなたの片棒を担いでいる。それで十分だ。どこにいるか? それは明日になれば分かる。我らは明日、そこへ向かう。そのための宴なのだ」
「……あたしも、連れて行ってもらえますか?」
鈴音の声には、強い決意が込められていた。
もし断られても、ついていくつもりだった。
その瞳が、すべてを語っていた。
「そなたが来ずにどうする。そなたを送るために、わしらは行くのだ。だからこそ、今宵の宴はそなたが主役なのだ。くだらぬことを言ってないで、食え。遠慮や慎みなどしていれば、飢えて倒れるぞ」
そう言って、大魔王は牛の丸焼きをひとつつまみ、バリバリと音を立てて噛み砕いた。
その光景は、正直ちょっと怖かった。
でも、鈴音は大魔王の言葉を信じ、そっと腰を下ろすと、普通サイズの料理に手を伸ばした。
そして、むさぼるように食べ始めた。
「義人くんに会えたら、まず思いっきり抱きついて……そのあと全力でビンタしてやる」
それくらいの権利はある。
そう思いながら、鈴音はもぐもぐと口を動かす。
今はとにかく、体力をつけておかなくちゃ。
ふと後ろを振り返ると、リカートとバンボラもすっかり宴モード。
バンボラなんて、すでに上半身裸で酒をあおっていた。
「……二日酔いにならなきゃいいけど」
鈴音は小さくため息をついた。
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