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幽冥竜宮
六道辻
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二人の立つ畦道は、先を進めば小路につながり、鴨川を渡ると五条大路と繋がる道であった。大路に屋敷を構える者など、貴族しかいない。
町中の者達は小路に家を構え、露店なども丁度、その辺りになることから生活において栄えているのは、小路一帯であった。
それならば、畦道は人目につくのではなかろうか?と思うだろうが、刻限次第である。早朝であれば畦道から山へ入る為、二人の立つ畦道は人の行き来は多い――が、昼を過ぎるとパタリと止まる。それは昼過ぎから山に入ることは、山賊にでも襲ってくれと言っているようなものだからだ。
無論、六郎のように何かしらの理由で通る者もいるかもしれないが、芳乃からすれば、六郎以外の者とかち合えば、相手が腰を抜かしている間に一旦、引こうと考えていた。運が良いことに、一番に通りかかったのは六郎であったのだが。
「芳乃、お前は人を殺め、逃げもせずに突っ立っておるが……良いのか?」
「お前様が、番所に突き出しますか?」
「まさか」
芳乃は、六郎の一言に甲高い笑い声を上げた。それは掌を口許に寄せ、優雅に笑う――地べたに転がる元妻を真似たものだった。大きく違う所は、醜女であった元妻との美醜の違いだ。
「左様でございますよねぇ、番所へ突き出せば貴方様の悪行も明るみに出ますもの」
「悪行?何だそれは」
「私と吾子を殺した」
「まさか、あれはこれの仕業じゃ」
六郎は、転がる死人を顎でしゃくる。それには芳乃も微笑んだまま、答えることはなかった。
このままでは、日が落ちる。早く片付けなければ……。
そう思ったのは、どちらだろうか。
芳乃か?六郎か?はたまた双方かもしれぬ。
常世で浄玻璃鏡を覗き込む者達は、一つの動作も見逃さないとばかりに鋭い視線を芳乃、六郎、そして地蔵菩薩へ向けていた。
「響殿、ここは……」
「ああ、六道辻だ」
険しい視線を鏡に向けたまま、響が答えたが、次に関白の声が割り込んだ。
「六道辻とは、あの世と繋がるとされる、あれか?」
関白も、聞いたことがある六道辻とは、五条大路のずっと先だ。鴨川を渡り清水に向かう途中に小路がある、そこを六道辻と呼ぶ。
六道とは、死者が業により輪廻転生する六つの世界のことを指す。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上だ。
この六道辻というのが、地獄に繋がる道とされ、昔小野篁が冥府を行き来したというのも、六道辻と言われていた。
「ああ、芳乃は畦道で筵を引き、商いをしていたと思っていたが、よくよく見れば辻の向かい側ではないか。畦道は地蔵の所だ」
響の言葉に、関白も鏡を覗き込んだ。
確かに芳乃が、母と共に座っていたのは畦道ではなく、その入口にあたる場所だった。
五条大路から鴨川を渡り、清水へ向かう小路にあたるので人の往来もあり、商売が出来たのだ。そして太郎地蔵が鎮座するのは芳乃が陣取る場所から、一つ入り込んだ畦道であった。
ザリッ……と草履が泥を食む音と共に、芳乃の足が一歩踏み出された。
「空木の花が咲いていないのが残念……」
「ああ、そうだな。そなたは卯の花のように愛らしかった」
「かった……確かに。貴方様も、真っ直ぐな心根でした」
「でした……か、確かに」
クククッ……と喉を鳴らした六郎は、不敵な笑みを浮かべ昔、口にした歌を諳じた。
「佐伯山、卯の花持ちし、愛しきが、手をし取りてば、花は散るとも。そなたの手を取れるなら花が散ろうが、この世がどうなろうが構わないと思ったものだ」
「気の迷いでございましたね、それでも私は竜宮は見てみたいと思っているのですよ」
「竜宮?ああ、厳島か?」
「ええ、朱色の御殿が竜宮のようであると。安芸の国司のお供で下れたら……とお忘れですか?ああ、答えられなくて結構、今更」
「本題に入ろう、人に見咎められては事だ。……それにしても、顔を潰すとは……」
「暫くは身元を特定されますまい?」
「恐ろしい女子になってしまったものじゃ」
六郎の言葉に芳乃は、答えはしない。その面も、さもどうでもいいと言わんばかりだ。六郎は、沈む夕日を浴び眼を細め、
「このまま、何事もなかったことにし逃げるのが得策だと思うが?無論、追わぬし役人に告げることもせぬ。わしは何も見なかったことにする」
「死ぬ気でおる者に、損得を語られても……ふふ」
「馬鹿だなぁ……」
失笑を含む言葉を漏らした六郎は、小刻みに肩を揺らしながら一歩踏み出した。芳乃は柳眉をひそめ、ザリッと土を鳴らす六郎を凝視した――その時、
「女の細腕で男に敵うと思うておるのかッ!! 」
叫ぶが早いか、六郎は地面を蹴り芳乃へ飛びかかった。初めから首を締めるつもりだったのだろう、伸ばされた両腕は芳乃の細い首を掴み取り、締め上げると思われた、刹那
「うわぁぁぁぁ!! 」
六郎の叫び声と共に、首を掴んでいた両腕は簡単に外れ、顔を覆うと悶絶する。
芳乃の手は、袂に差し込まれたかと思うと直ぐ様引き抜かれ、握り締めた拳からは、砂がバラバラとこぼれ落ちた――
「予め、袖の袂に砂を仕込んでいたのか!」
関白が叫んだ。浄玻璃鏡に映る芳乃は、二度目の目潰しを試みたが、顔を覆っている者には効き目がない、それに一度目をまともに喰らっている為、その必要もないようだ。
引き上がる唇から、奇声を発した芳乃は、未だに目を開けられず痛みに悶える六郎に体当たりを喰らわせると、吹き飛ぶように倒れ込んだ体躯に馬乗りになった。
町中の者達は小路に家を構え、露店なども丁度、その辺りになることから生活において栄えているのは、小路一帯であった。
それならば、畦道は人目につくのではなかろうか?と思うだろうが、刻限次第である。早朝であれば畦道から山へ入る為、二人の立つ畦道は人の行き来は多い――が、昼を過ぎるとパタリと止まる。それは昼過ぎから山に入ることは、山賊にでも襲ってくれと言っているようなものだからだ。
無論、六郎のように何かしらの理由で通る者もいるかもしれないが、芳乃からすれば、六郎以外の者とかち合えば、相手が腰を抜かしている間に一旦、引こうと考えていた。運が良いことに、一番に通りかかったのは六郎であったのだが。
「芳乃、お前は人を殺め、逃げもせずに突っ立っておるが……良いのか?」
「お前様が、番所に突き出しますか?」
「まさか」
芳乃は、六郎の一言に甲高い笑い声を上げた。それは掌を口許に寄せ、優雅に笑う――地べたに転がる元妻を真似たものだった。大きく違う所は、醜女であった元妻との美醜の違いだ。
「左様でございますよねぇ、番所へ突き出せば貴方様の悪行も明るみに出ますもの」
「悪行?何だそれは」
「私と吾子を殺した」
「まさか、あれはこれの仕業じゃ」
六郎は、転がる死人を顎でしゃくる。それには芳乃も微笑んだまま、答えることはなかった。
このままでは、日が落ちる。早く片付けなければ……。
そう思ったのは、どちらだろうか。
芳乃か?六郎か?はたまた双方かもしれぬ。
常世で浄玻璃鏡を覗き込む者達は、一つの動作も見逃さないとばかりに鋭い視線を芳乃、六郎、そして地蔵菩薩へ向けていた。
「響殿、ここは……」
「ああ、六道辻だ」
険しい視線を鏡に向けたまま、響が答えたが、次に関白の声が割り込んだ。
「六道辻とは、あの世と繋がるとされる、あれか?」
関白も、聞いたことがある六道辻とは、五条大路のずっと先だ。鴨川を渡り清水に向かう途中に小路がある、そこを六道辻と呼ぶ。
六道とは、死者が業により輪廻転生する六つの世界のことを指す。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上だ。
この六道辻というのが、地獄に繋がる道とされ、昔小野篁が冥府を行き来したというのも、六道辻と言われていた。
「ああ、芳乃は畦道で筵を引き、商いをしていたと思っていたが、よくよく見れば辻の向かい側ではないか。畦道は地蔵の所だ」
響の言葉に、関白も鏡を覗き込んだ。
確かに芳乃が、母と共に座っていたのは畦道ではなく、その入口にあたる場所だった。
五条大路から鴨川を渡り、清水へ向かう小路にあたるので人の往来もあり、商売が出来たのだ。そして太郎地蔵が鎮座するのは芳乃が陣取る場所から、一つ入り込んだ畦道であった。
ザリッ……と草履が泥を食む音と共に、芳乃の足が一歩踏み出された。
「空木の花が咲いていないのが残念……」
「ああ、そうだな。そなたは卯の花のように愛らしかった」
「かった……確かに。貴方様も、真っ直ぐな心根でした」
「でした……か、確かに」
クククッ……と喉を鳴らした六郎は、不敵な笑みを浮かべ昔、口にした歌を諳じた。
「佐伯山、卯の花持ちし、愛しきが、手をし取りてば、花は散るとも。そなたの手を取れるなら花が散ろうが、この世がどうなろうが構わないと思ったものだ」
「気の迷いでございましたね、それでも私は竜宮は見てみたいと思っているのですよ」
「竜宮?ああ、厳島か?」
「ええ、朱色の御殿が竜宮のようであると。安芸の国司のお供で下れたら……とお忘れですか?ああ、答えられなくて結構、今更」
「本題に入ろう、人に見咎められては事だ。……それにしても、顔を潰すとは……」
「暫くは身元を特定されますまい?」
「恐ろしい女子になってしまったものじゃ」
六郎の言葉に芳乃は、答えはしない。その面も、さもどうでもいいと言わんばかりだ。六郎は、沈む夕日を浴び眼を細め、
「このまま、何事もなかったことにし逃げるのが得策だと思うが?無論、追わぬし役人に告げることもせぬ。わしは何も見なかったことにする」
「死ぬ気でおる者に、損得を語られても……ふふ」
「馬鹿だなぁ……」
失笑を含む言葉を漏らした六郎は、小刻みに肩を揺らしながら一歩踏み出した。芳乃は柳眉をひそめ、ザリッと土を鳴らす六郎を凝視した――その時、
「女の細腕で男に敵うと思うておるのかッ!! 」
叫ぶが早いか、六郎は地面を蹴り芳乃へ飛びかかった。初めから首を締めるつもりだったのだろう、伸ばされた両腕は芳乃の細い首を掴み取り、締め上げると思われた、刹那
「うわぁぁぁぁ!! 」
六郎の叫び声と共に、首を掴んでいた両腕は簡単に外れ、顔を覆うと悶絶する。
芳乃の手は、袂に差し込まれたかと思うと直ぐ様引き抜かれ、握り締めた拳からは、砂がバラバラとこぼれ落ちた――
「予め、袖の袂に砂を仕込んでいたのか!」
関白が叫んだ。浄玻璃鏡に映る芳乃は、二度目の目潰しを試みたが、顔を覆っている者には効き目がない、それに一度目をまともに喰らっている為、その必要もないようだ。
引き上がる唇から、奇声を発した芳乃は、未だに目を開けられず痛みに悶える六郎に体当たりを喰らわせると、吹き飛ぶように倒れ込んだ体躯に馬乗りになった。
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