紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
65 / 96

ペテン師

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆

「だいぶ、よろしいですね」

 半挿盥はんぞうたらいで、手を濯ぐ男が言った。
 黒の紋付きに、小さな岡持ちを携えやって来た男は、玄関先で医者を名乗ったという。確かに、傷を診る手際は が、だからと云って本物とは限らない。
 ペテン師の可能性もあると羽倉崎は、一挙手一投足を観察する。今のところ、ボロを出す様子もなく里が、差し出す手拭いを、当然と言わんばかりに受けとる動作は、板についていた。
 男は、岡持ちの引き出しから蛤の貝合わせを取り出すと「日に2度」と、里に手渡す。
 何処の誰とも知れぬ不審な医者を招き入れた理由は「華族の御用医師」を名乗ったからだが、そもそもの御用医師などという身分がある訳がない。
 差し向けたのが誰なのか、容易に見当がついた。

「華族様の御用医師……様、貴方を差し向けた人は 何と?」
「特には、ただ診て欲しい人がいると。それではお大事に」

 無駄口を叩くこともなく退席する医者は、何かを言い含められている様子もない、羽倉崎はチラリと視線を流すと、それが合図だったのだろう、里は 懐から懐紙に包まれた物を差し出した。
 薬礼やくれいだ。この頃は、診療費という考えがない。単純に、診てくれた礼として高額な薬代を払う。
 しかし、男はスイッと手のひらをかざした。無用だと意思を示し、立ち上がるのも 差し向けた男の言い付けなのか?と考えると、面白くない。
 羽倉崎の舌が、微かに鳴った。畳を擦る足袋の音に紛れる程の小さなそれに、気付く者はいない。
 薬代を受け取ったら、引っ捕らえて警察に突き出そうと考えていた。この際、男が本物だろうが偽物だろうが、どうでも良いと思うのは 人を使い、探りを入れてくる者に 一泡吹かせてやりたいと思ったからだ。
 勝手にやって来て、御殿医紛いの詐欺を働いたと騒げば、差し向けた者まで洗い出されるだろう。そうなれば困るのは、あの洋行帰りの男なのだと。
 しかし、金を受け取らなければ、突き出すことは難しい。落胆と思える溜め息と「お見送りを」という、静かな声が辺りに広がった。
 招かれざる客に収穫は得られず、家に立ち入らせただけの事態に、憮然と口に咥えた煙草を突きだす。擦られたマッチの火薬の臭いに「コホン」と、小さく咳をした咲を尻目に、深く呑んだ。


 ◆◆◆◆◆

 店先の路上に並ぶ茶碗を手に取り、道草をするのは、大通りまで医者を見送った里だ。
 先日、額を切った羽倉崎を見た時は、大層 驚いたが 傷も残らないと知ると現金なもので、鬼怒川行きが流れたことに、嬉々としたのは言うまでもない。
 「大したことはない」と話した羽倉崎は、尾井坂邸の階段から足を滑らせたと言うが、咲はともかく、里はいぶかしんでいた。あの程度の傷ならば鬼怒川へ行くのではないか? 他に何かあるのでは?――と。
 それと同時に、先日の光留の言葉が引っ掛かりを覚える原因でもある。
 あの日の光留は、人当たりの良い様は消え去り、現実を突きつける酷い男だった。
 分かってはいるが、歯に衣着せぬ物言いで 2人して 打ちひしがれたのは、最近の話だ。
『妾は、使用人』
『羽倉崎の1番は、晃子である』
 今、思い出しても気落ちする。どんなに頑張っても晃子には、勝てないと言われたのだから。しかし、光留は言った。
『2人の結婚をなくしましょう』と。
 やる気だ といい放ったが、あれは何だったのか?羽倉崎に恨みでもあるのか?と、後々思ったが あれから光留の訪れはなく、言われるがまま羽倉崎の行動は、大通りを飛び越えた先にある官吏かんしの屋敷から、子爵家の女中頭に言付けることになった。
 勿論、話は 通してあったので、迷惑がられることもなく、2度 連絡した。
 1度目は、司法省へ呼ばれ その足で尾井坂家へ向かうという予定を。
 2度目は、羽倉崎が怪我をし、鬼怒川がなくなったこと。
 何が起こっているのか わからないが、羽倉崎の怪我は、光留が絡んでいるのではないか?もしかしたら、羽倉崎を殺す気なのか?と、とんでもない考えが過り、ふとした瞬間モヤモヤと心を燻らせ、落ち着かない。願わくば、ハッキリとさせたいと、日に何度も思い至る。今が、その何度も――の、内の1回に含まれた。

「はぁ、スッキリとしない。どうにかしてお会いできないか……」
「里さん、里さん」

 漏れた独り言と、重ねられた問い掛けに顔を上げるが、誰もいない。
 店主が 中から声を掛けているのか?と、店内を覗くが、帳面を眺めていることから違うようだ。キョロキョロと見渡すと、玄蕃桶げんばおけの裏から、ひらひら――と、招く指先が見えた。
 真っ白な手袋に「あ!」と 急ぎ駆け、影に入り込むと、隣接する建物の間、人ひとりが通れる程の小路に男が立っていた。
 フロックコートに、明るい髪がよく映える。里の知る者の中で、1番高貴な人間かもしれない男は、煙草を咥え、ふっ――と 白いものをくゆらす。
 煙草を呑まれるのか――と、少々意外だったが、結局は 何をしても文句の付けようがない程、様になる。思わず見惚れる里の目に気づいたようで、にっこりと微笑む顔は 当然だと言わんばかり。
 光留は、指先から滑り落とした物を靴先で踏みつけると「ごきげんよう」と、歩み寄った。

「光留様、どうされました?」
「少々、考えていた計画とは違ってしまいましたが、鬼怒川は阻止できたということで。羽倉崎さんのお怪我は?」
「ああ、大したことはないと。10日もすればガーゼを取ることになると思いますけど……」

「けど……?何です?」
「いえ、あのお怪我は一体……」

「何も聞いていないのですか?」
「はい、尾井坂家で怪我をしたと言われていましたが、階段から落ちたのですかね?」

 里は、羽倉崎が階段から落ちたと言ったことは、伏せた。

「はは!晃子さんに殴られたんですよ」
「はあ!? 」

 嘘か、本当か、いや嘘だろう――
 里は「嘘はお止めください」と、睨んでみせたが光留は、首を横に振ると「時間がありません、簡単にお話します」と、内ポケットから銀細工が施された煙草入れを、チラリと覗かせた。

「それは!旦那様の……」
「ええ、羽倉崎さんが晃子さんへお渡しになった物だとか」

「何故、光留様が……」
「何故? 晃子さんが今、僕の元へいるからですよ」

 意味が理解できない――が、羽倉崎が晃子へ渡した物を、光留が持っている。そして、晃子が光留の元へいる状況に、一つの考えが浮かんだ。

「ひ、人さらいとは……!さすがにやり過ぎです!旦那様に知れたら、咲様までもが巻き添えになってしまいます!! 貴方様は、本当に子爵家の方ですか!? まさかペテン師……!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...