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ペテン師
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◆◆◆◆◆
「だいぶ、よろしいですね」
半挿盥で、手を濯ぐ男が言った。
黒の紋付きに、小さな岡持ちを携えやって来た男は、玄関先で医者を名乗ったという。確かに、傷を診る手際は それっぽいが、だからと云って本物とは限らない。
ペテン師の可能性もあると羽倉崎は、一挙手一投足を観察する。今のところ、ボロを出す様子もなく里が、差し出す手拭いを、当然と言わんばかりに受けとる動作は、板についていた。
男は、岡持ちの引き出しから蛤の貝合わせを取り出すと「日に2度」と、里に手渡す。
何処の誰とも知れぬ不審な医者を招き入れた理由は「華族の御用医師」を名乗ったからだが、そもそも華族の御用医師などという身分がある訳がない。
差し向けたのが誰なのか、容易に見当がついた。
「華族様の御用医師……様、貴方を差し向けた人は 何と?」
「特には、ただ診て欲しい人がいると。それではお大事に」
無駄口を叩くこともなく退席する医者は、何かを言い含められている様子もない、羽倉崎はチラリと視線を流すと、それが合図だったのだろう、里は 懐から懐紙に包まれた物を差し出した。
薬礼だ。この頃は、診療費という考えがない。単純に、診てくれた礼として高額な薬代を払う。
しかし、男はスイッと手のひらをかざした。無用だと意思を示し、立ち上がるのも 差し向けた男の言い付けなのか?と考えると、面白くない。
羽倉崎の舌が、微かに鳴った。畳を擦る足袋の音に紛れる程の小さなそれに、気付く者はいない。
薬代を受け取ったら、引っ捕らえて警察に突き出そうと考えていた。この際、男が本物だろうが偽物だろうが、どうでも良いと思うのは 人を使い、探りを入れてくる者に 一泡吹かせてやりたいと思ったからだ。
勝手にやって来て、御殿医紛いの詐欺を働いたと騒げば、差し向けた者まで洗い出されるだろう。そうなれば困るのは、あの洋行帰りの男なのだと。
しかし、金を受け取らなければ、突き出すことは難しい。落胆と思える溜め息と「お見送りを」という、静かな声が辺りに広がった。
招かれざる客に収穫は得られず、家に立ち入らせただけの事態に、憮然と口に咥えた煙草を突きだす。擦られたマッチの火薬の臭いに「コホン」と、小さく咳をした咲を尻目に、深く呑んだ。
◆◆◆◆◆
店先の路上に並ぶ茶碗を手に取り、道草をするのは、大通りまで医者を見送った里だ。
先日、額を切った羽倉崎を見た時は、大層 驚いたが 傷も残らないと知ると現金なもので、鬼怒川行きが流れたことに、嬉々としたのは言うまでもない。
「大したことはない」と話した羽倉崎は、尾井坂邸の階段から足を滑らせたと言うが、咲はともかく、里は訝しんでいた。あの程度の傷ならば鬼怒川へ行くのではないか? 他に何かあるのでは?――と。
それと同時に、先日の光留の言葉が引っ掛かりを覚える原因でもある。
あの日の光留は、人当たりの良い様は消え去り、現実を突きつける酷い男だった。
分かってはいるが、歯に衣着せぬ物言いで 2人して 打ちひしがれたのは、最近の話だ。
『妾は、使用人』
『羽倉崎の1番は、晃子である』
今、思い出しても気落ちする。どんなに頑張っても晃子には、勝てないと言われたのだから。しかし、光留は言った。
『2人の結婚をなくしましょう』と。
やる気だ といい放ったが、あれは何だったのか?羽倉崎に恨みでもあるのか?と、後々思ったが あれから光留の訪れはなく、言われるがまま羽倉崎の行動は、大通りを飛び越えた先にある官吏の屋敷から、子爵家の女中頭に言付けることになった。
勿論、話は 通してあったので、迷惑がられることもなく、2度 連絡した。
1度目は、司法省へ呼ばれ その足で尾井坂家へ向かうという予定を。
2度目は、羽倉崎が怪我をし、鬼怒川がなくなったこと。
何が起こっているのか わからないが、羽倉崎の怪我は、光留が絡んでいるのではないか?もしかしたら、羽倉崎を殺す気なのか?と、とんでもない考えが過り、ふとした瞬間モヤモヤと心を燻らせ、落ち着かない。願わくば、ハッキリとさせたいと、日に何度も思い至る。今が、その何度も――の、内の1回に含まれた。
「はぁ、スッキリとしない。どうにかしてお会いできないか……」
「里さん、里さん」
漏れた独り言と、重ねられた問い掛けに顔を上げるが、誰もいない。
店主が 中から声を掛けているのか?と、店内を覗くが、帳面を眺めていることから違うようだ。キョロキョロと見渡すと、玄蕃桶の裏から、ひらひら――と、招く指先が見えた。
真っ白な手袋に「あ!」と 急ぎ駆け、影に入り込むと、隣接する建物の間、人ひとりが通れる程の小路に男が立っていた。
フロックコートに、明るい髪がよく映える。里の知る者の中で、1番高貴な人間かもしれない男は、煙草を咥え、ふっ――と 白いものを燻らす。
煙草を呑まれるのか――と、少々意外だったが、結局は 何をしても文句の付けようがない程、様になる。思わず見惚れる里の目に気づいたようで、にっこりと微笑む顔は 当然だと言わんばかり。
光留は、指先から滑り落とした物を靴先で踏みつけると「ごきげんよう」と、歩み寄った。
「光留様、どうされました?」
「少々、考えていた計画とは違ってしまいましたが、鬼怒川は阻止できたということで。羽倉崎さんのお怪我は?」
「ああ、大したことはないと。10日もすればガーゼを取ることになると思いますけど……」
「けど……?何です?」
「いえ、あのお怪我は一体……」
「何も聞いていないのですか?」
「はい、尾井坂家で怪我をしたと言われていましたが、階段から落ちたのですかね?」
里は、羽倉崎が階段から落ちたと言ったことは、伏せた。
「はは!晃子さんに殴られたんですよ」
「はあ!? 」
嘘か、本当か、いや嘘だろう――
里は「嘘はお止めください」と、睨んでみせたが光留は、首を横に振ると「時間がありません、簡単にお話します」と、内ポケットから銀細工が施された煙草入れを、チラリと覗かせた。
「それは!旦那様の……」
「ええ、羽倉崎さんが晃子さんへお渡しになった物だとか」
「何故、光留様が……」
「何故? 晃子さんが今、僕の元へいるからですよ」
意味が理解できない――が、羽倉崎が晃子へ渡した物を、光留が持っている。そして、晃子が光留の元へいる状況に、一つの考えが浮かんだ。
「ひ、人さらいとは……!さすがにやり過ぎです!旦那様に知れたら、咲様までもが巻き添えになってしまいます!! 貴方様は、本当に子爵家の方ですか!? まさかペテン師……!」
「だいぶ、よろしいですね」
半挿盥で、手を濯ぐ男が言った。
黒の紋付きに、小さな岡持ちを携えやって来た男は、玄関先で医者を名乗ったという。確かに、傷を診る手際は それっぽいが、だからと云って本物とは限らない。
ペテン師の可能性もあると羽倉崎は、一挙手一投足を観察する。今のところ、ボロを出す様子もなく里が、差し出す手拭いを、当然と言わんばかりに受けとる動作は、板についていた。
男は、岡持ちの引き出しから蛤の貝合わせを取り出すと「日に2度」と、里に手渡す。
何処の誰とも知れぬ不審な医者を招き入れた理由は「華族の御用医師」を名乗ったからだが、そもそも華族の御用医師などという身分がある訳がない。
差し向けたのが誰なのか、容易に見当がついた。
「華族様の御用医師……様、貴方を差し向けた人は 何と?」
「特には、ただ診て欲しい人がいると。それではお大事に」
無駄口を叩くこともなく退席する医者は、何かを言い含められている様子もない、羽倉崎はチラリと視線を流すと、それが合図だったのだろう、里は 懐から懐紙に包まれた物を差し出した。
薬礼だ。この頃は、診療費という考えがない。単純に、診てくれた礼として高額な薬代を払う。
しかし、男はスイッと手のひらをかざした。無用だと意思を示し、立ち上がるのも 差し向けた男の言い付けなのか?と考えると、面白くない。
羽倉崎の舌が、微かに鳴った。畳を擦る足袋の音に紛れる程の小さなそれに、気付く者はいない。
薬代を受け取ったら、引っ捕らえて警察に突き出そうと考えていた。この際、男が本物だろうが偽物だろうが、どうでも良いと思うのは 人を使い、探りを入れてくる者に 一泡吹かせてやりたいと思ったからだ。
勝手にやって来て、御殿医紛いの詐欺を働いたと騒げば、差し向けた者まで洗い出されるだろう。そうなれば困るのは、あの洋行帰りの男なのだと。
しかし、金を受け取らなければ、突き出すことは難しい。落胆と思える溜め息と「お見送りを」という、静かな声が辺りに広がった。
招かれざる客に収穫は得られず、家に立ち入らせただけの事態に、憮然と口に咥えた煙草を突きだす。擦られたマッチの火薬の臭いに「コホン」と、小さく咳をした咲を尻目に、深く呑んだ。
◆◆◆◆◆
店先の路上に並ぶ茶碗を手に取り、道草をするのは、大通りまで医者を見送った里だ。
先日、額を切った羽倉崎を見た時は、大層 驚いたが 傷も残らないと知ると現金なもので、鬼怒川行きが流れたことに、嬉々としたのは言うまでもない。
「大したことはない」と話した羽倉崎は、尾井坂邸の階段から足を滑らせたと言うが、咲はともかく、里は訝しんでいた。あの程度の傷ならば鬼怒川へ行くのではないか? 他に何かあるのでは?――と。
それと同時に、先日の光留の言葉が引っ掛かりを覚える原因でもある。
あの日の光留は、人当たりの良い様は消え去り、現実を突きつける酷い男だった。
分かってはいるが、歯に衣着せぬ物言いで 2人して 打ちひしがれたのは、最近の話だ。
『妾は、使用人』
『羽倉崎の1番は、晃子である』
今、思い出しても気落ちする。どんなに頑張っても晃子には、勝てないと言われたのだから。しかし、光留は言った。
『2人の結婚をなくしましょう』と。
やる気だ といい放ったが、あれは何だったのか?羽倉崎に恨みでもあるのか?と、後々思ったが あれから光留の訪れはなく、言われるがまま羽倉崎の行動は、大通りを飛び越えた先にある官吏の屋敷から、子爵家の女中頭に言付けることになった。
勿論、話は 通してあったので、迷惑がられることもなく、2度 連絡した。
1度目は、司法省へ呼ばれ その足で尾井坂家へ向かうという予定を。
2度目は、羽倉崎が怪我をし、鬼怒川がなくなったこと。
何が起こっているのか わからないが、羽倉崎の怪我は、光留が絡んでいるのではないか?もしかしたら、羽倉崎を殺す気なのか?と、とんでもない考えが過り、ふとした瞬間モヤモヤと心を燻らせ、落ち着かない。願わくば、ハッキリとさせたいと、日に何度も思い至る。今が、その何度も――の、内の1回に含まれた。
「はぁ、スッキリとしない。どうにかしてお会いできないか……」
「里さん、里さん」
漏れた独り言と、重ねられた問い掛けに顔を上げるが、誰もいない。
店主が 中から声を掛けているのか?と、店内を覗くが、帳面を眺めていることから違うようだ。キョロキョロと見渡すと、玄蕃桶の裏から、ひらひら――と、招く指先が見えた。
真っ白な手袋に「あ!」と 急ぎ駆け、影に入り込むと、隣接する建物の間、人ひとりが通れる程の小路に男が立っていた。
フロックコートに、明るい髪がよく映える。里の知る者の中で、1番高貴な人間かもしれない男は、煙草を咥え、ふっ――と 白いものを燻らす。
煙草を呑まれるのか――と、少々意外だったが、結局は 何をしても文句の付けようがない程、様になる。思わず見惚れる里の目に気づいたようで、にっこりと微笑む顔は 当然だと言わんばかり。
光留は、指先から滑り落とした物を靴先で踏みつけると「ごきげんよう」と、歩み寄った。
「光留様、どうされました?」
「少々、考えていた計画とは違ってしまいましたが、鬼怒川は阻止できたということで。羽倉崎さんのお怪我は?」
「ああ、大したことはないと。10日もすればガーゼを取ることになると思いますけど……」
「けど……?何です?」
「いえ、あのお怪我は一体……」
「何も聞いていないのですか?」
「はい、尾井坂家で怪我をしたと言われていましたが、階段から落ちたのですかね?」
里は、羽倉崎が階段から落ちたと言ったことは、伏せた。
「はは!晃子さんに殴られたんですよ」
「はあ!? 」
嘘か、本当か、いや嘘だろう――
里は「嘘はお止めください」と、睨んでみせたが光留は、首を横に振ると「時間がありません、簡単にお話します」と、内ポケットから銀細工が施された煙草入れを、チラリと覗かせた。
「それは!旦那様の……」
「ええ、羽倉崎さんが晃子さんへお渡しになった物だとか」
「何故、光留様が……」
「何故? 晃子さんが今、僕の元へいるからですよ」
意味が理解できない――が、羽倉崎が晃子へ渡した物を、光留が持っている。そして、晃子が光留の元へいる状況に、一つの考えが浮かんだ。
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