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第1の章 終焉の始まり
Ⅷ
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梨花と別れて、その足で時雨の店に向かった。
路地裏を抜けて、地下へと向かう階段に差し掛かる。
ギィッと音を立てて、誰かがちょうど出てきたところだった。
真っ黒いサングラスの派手っぽい女性が古びた階段を上がってくるところだった。
つい、立ち止まって彼女が上がってくるのをじっと見つめた。
サングラスの奥の目があたしをとらえているように見えた。
すれ違った瞬間、エレガントなムスクの香りが鼻についた。
なぜか、無性に吐き気がした。
************************
何回も深呼吸を繰り返して、やっと階段を降りて、店のドアを開けた。
店の中には彼女の強い香りが残っているように感じられた。
「お客さんがきていたの?」
挨拶もせずに、パーテーションの奥に声をかけた。
「―――あぁ、麦、来ていたんですか」
少し間が空いて、奥から時雨が出てきた。
口にゴムを加えて、髪を束ねようと両手で髪をかきあげている。
そんな仕草に男の色気を感じて、あたしはつい、言葉を見失った。
「毎日、来なくてもいいですよ」
髪を束ね終えた時雨は、そっけない態度で言い切ってしまう。
「迷惑?」
間髪入れずに聴くと、彼はちらりとあたしを見て、口角を少し持ち上げた。
それが、迷惑なのかそうでない合図なのかわからなかった。
「紅茶でも入れましょうか」
時雨はティーパックを取り出すと、紙コップに紅茶を作ってくれた。
「ねぇ、さっきの人ってお客さん?」
もらった紅茶に視線を落としながら、なぜか話を戻してしまった。
ここは刺青を入れる店。
客がくることは当たり前で、そんな客の出入りにとやかく言える資格はないってわかっている。
だけど―――
時雨はすぐに答えをくれずに、黙ったままだった。
なぜかあたしは、時雨の顔を見ることができずに、紅茶と見つめあっちゃっている。
「君には関係のないことだと思うけれど?」
さらりと言われたことは、あたしの胸に刃のように突き刺さった。
時雨とあたしとの間にある、見えない壁を、はっきりと自覚させられた。
わかっている。
時雨はあたしが、好きで付き合っているわけじゃない。
ただ、あたしが時雨の大切なものを預かっているから、仕方なく付き合ってくれるだけなんだ。
わかっているのに。
あたしはふたりの間にある底の見えない溝を覗きこんだように、息を飲んだまま声がだせなかった。
時雨は固まったあたしを無視して、スケッチブックを開いた。
カウンターに座って、さらさらと何かを描き始めた。
沈黙に押しつぶされそうになっていたあたしは、そっと時雨に近づいて彼の手元を覗き込んだ。
迷いなく鉛筆で書かれた、蝶の横顔
水辺に浮かぶ花の上に、1匹の蝶が羽を広げていた。
今にも飛び出しそうな蝶が羽をもがれるとしたら。
なんだか、自分が悲しみに押しつぶされそうになって、残酷なことを考えてしまった。
弱い自分ではだめだって、何度も言い聞かせて、あたしは今、ここにいるはずなのに。
弱い自分を打ち消したくて、あたしはあえて、弾むような声で言った。
「ねぇ、時雨。あたしの刺青もデザインしてくれる?」
時雨はゆっくりと顔をあげると、微笑みを乗せて
「いいですよ」
時雨は、あたしを否定したときと同じトーンで、言った。
路地裏を抜けて、地下へと向かう階段に差し掛かる。
ギィッと音を立てて、誰かがちょうど出てきたところだった。
真っ黒いサングラスの派手っぽい女性が古びた階段を上がってくるところだった。
つい、立ち止まって彼女が上がってくるのをじっと見つめた。
サングラスの奥の目があたしをとらえているように見えた。
すれ違った瞬間、エレガントなムスクの香りが鼻についた。
なぜか、無性に吐き気がした。
************************
何回も深呼吸を繰り返して、やっと階段を降りて、店のドアを開けた。
店の中には彼女の強い香りが残っているように感じられた。
「お客さんがきていたの?」
挨拶もせずに、パーテーションの奥に声をかけた。
「―――あぁ、麦、来ていたんですか」
少し間が空いて、奥から時雨が出てきた。
口にゴムを加えて、髪を束ねようと両手で髪をかきあげている。
そんな仕草に男の色気を感じて、あたしはつい、言葉を見失った。
「毎日、来なくてもいいですよ」
髪を束ね終えた時雨は、そっけない態度で言い切ってしまう。
「迷惑?」
間髪入れずに聴くと、彼はちらりとあたしを見て、口角を少し持ち上げた。
それが、迷惑なのかそうでない合図なのかわからなかった。
「紅茶でも入れましょうか」
時雨はティーパックを取り出すと、紙コップに紅茶を作ってくれた。
「ねぇ、さっきの人ってお客さん?」
もらった紅茶に視線を落としながら、なぜか話を戻してしまった。
ここは刺青を入れる店。
客がくることは当たり前で、そんな客の出入りにとやかく言える資格はないってわかっている。
だけど―――
時雨はすぐに答えをくれずに、黙ったままだった。
なぜかあたしは、時雨の顔を見ることができずに、紅茶と見つめあっちゃっている。
「君には関係のないことだと思うけれど?」
さらりと言われたことは、あたしの胸に刃のように突き刺さった。
時雨とあたしとの間にある、見えない壁を、はっきりと自覚させられた。
わかっている。
時雨はあたしが、好きで付き合っているわけじゃない。
ただ、あたしが時雨の大切なものを預かっているから、仕方なく付き合ってくれるだけなんだ。
わかっているのに。
あたしはふたりの間にある底の見えない溝を覗きこんだように、息を飲んだまま声がだせなかった。
時雨は固まったあたしを無視して、スケッチブックを開いた。
カウンターに座って、さらさらと何かを描き始めた。
沈黙に押しつぶされそうになっていたあたしは、そっと時雨に近づいて彼の手元を覗き込んだ。
迷いなく鉛筆で書かれた、蝶の横顔
水辺に浮かぶ花の上に、1匹の蝶が羽を広げていた。
今にも飛び出しそうな蝶が羽をもがれるとしたら。
なんだか、自分が悲しみに押しつぶされそうになって、残酷なことを考えてしまった。
弱い自分ではだめだって、何度も言い聞かせて、あたしは今、ここにいるはずなのに。
弱い自分を打ち消したくて、あたしはあえて、弾むような声で言った。
「ねぇ、時雨。あたしの刺青もデザインしてくれる?」
時雨はゆっくりと顔をあげると、微笑みを乗せて
「いいですよ」
時雨は、あたしを否定したときと同じトーンで、言った。
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