アポカリプティックサウンド~脅迫から始める終焉の恋~

魚沢凪帆

文字の大きさ
10 / 23
第1の章 終焉の始まり

しおりを挟む
あたしが黙って、棘のからみついた十字架を眺めていたら、時雨は黙々と別の絵を描き始めた。

迷いなく、さらさらと線をつないでいく。

彼のペンのリズムを見つめていたら、「んー」と無意識に鼻歌が漏れた。

時雨が顔を上げた。


「誰の歌ですか?」

「えっ?」

「綺麗なメロディですね」

「あっ、うん。TOKOの曲。好きなんだ」

「最近、活動休止した歌手ですか?」

あたしは苦笑した。

あたしの大好きな歌手ーーーTOKO。

もともと有名な歌手だけど、不本意なことに急な活動休止でさらに名前が売れてしまった。


「売れていたのに、突然の休止でずいぶん、話題になっていましたね」

「そうね」

「どんな歌を歌うんですか?」

「聴いたことないの?」

あたしの大好きなTOKOの歌は、新曲を出せば上位にランクインするぐらいには売れていた。

時雨は「流行り物には興味がないですし、TVもたまにしか見ませんしね」と笑った。

確かに、時雨が芸能ニュースに詳しかったら、それこそびっくりかもしれない。


あたしは納得して息を整えるために、深呼吸をした。


「空を見上げれば、
飛行機雲が真っ直ぐに伸びている
この世界は、きっと
あたしの知らない世界がたくさん
あるんだって

あたしの見える空はいつも、同じ
ここから見える景色は、
いつだって同じ空色

あたし、きっと
世界の果てにいるあなたを
きっと好きになる

あたしきっと、君に会う日を
待っている

同じ飛行機雲を今、
どこかで見ているのかな

今、踏み出さなきゃ
きっとあなたに会えない」



メロディを歌い切ると、はぁーと息を吐き出した。


「君、歌はうまいんですね」

時雨が感心したように、あたしを見ていた。

「本当? TOKOは好きな歌手だから、結構練習したんだ」

あたしが照れたように笑うと、彼は手を伸ばしてあたしの頭をポンポンっと叩いた。


「得意なことがあることはいいことですよ。もしかして、将来、歌手になりたいとか?」

「まさか。そこまで、上手でもないよ。友だちの中で、ちょっと上手いね、ってレベル」

あたしが苦笑すると、「ふーん」と時雨は驚いたような色を見せた。

「なんか意外ですね」

「えっ?」

「君ぐらいの年齢なら、歌が上手いとかで歌手になりたいとか夢を語るものかと思いましてね」

「TOKOみたいなのが、歌手になるんだよ。あたしは、自分の身に合わない夢よりもほしいものがあるの」

「理想のお婿さん?」

違う!、顔を真っ赤にして反論したら、時雨が珍しく声を出して笑った。

意外と、幼い顔で笑うんだ。

表情にひきこまれた。

いつも、そうやって笑っていればいいのに、って思うけれど、普段の色気のある余裕ぶった顔も好きだったりする。



時雨という存在があたしの中で、大きくなり始めている。

やっぱり、きっと、予感がしたとおりだと思った。

―――あたしの中で生まれた芽はきっと、いつか花を咲かせる。


「君、ずいぶんと遅くまでここにいるけれど、門限とかはないんですか?」

時雨に声をかけられて、壁掛け時計をパッと見た。

気がつけば、20時になるところだった。

「遅いってまだ、20時だよ?」

「君はまだ、高校生でしょう」


子ども扱いされたことに、イラっとした。

きっと8歳も年上の彼には、子どものようにしか見えないのかもしれない。

超えたい壁はきっと、高いだけじゃなくて、分厚く頑丈なんだ。

「門限―――って感じじゃないけれど、毎日、遅くなるとうるさい家族はいるから、帰る」

切なくなって、スクールカバンを持って立ち上がったあたしに、時雨が追いかけるように立ちあがった。

「送りましょう」

「えっ? いいよ」

あたしが慌てて断ると、時雨は眉間にシワを寄せた。

彼の目がスーッと細くなって、あたしを冷たく見下ろした。


「君みたいに制服をきた女の子が歩くには、夜の繁華街は治安がよくない。今度からは、せめて制服を脱いで来ることですね」

まさか、制服姿にダメ出しをされると思わなくて、あたしは唾を飲み込んだ。

「ご、ごめんなさい」


絞り出すような声で謝ると、地面に視線を落とした。

彼の冷たい目と声は、あたしを一発で、殺してしまうぐらいの威力があった。



泣き出しそうな感情の波に襲われていたら、時雨が、あたしの頭をぽんっと叩いた。

温かい手があたしの頭に触れると、心までポッと温かくなるような気がした。



―――誰かが言ってたな。

頭ポンポンって、彼氏にされたい仕草だって。

こんなにも、幸せな気持ちになるものだって初めて知った。

時雨は、あたしの初めての彼氏だから。


ちょっと前を歩き出した時雨の背中を追いかけて、歩き出す。


後ろでポニーテールに絞った肩を越した長い髪。

白いTシャツにGパンというラフな姿なのに、じわじわと滲み出る大人の色気。

細い腰だけど、ただ細いだけじゃなくて、ちゃんと男性らしく筋肉質な腕が見えている。

あたしは、この人と付き合っている―――

改めて考えると、なんだか顔に熱がこもってきた。


タイミング悪く、不意に前を歩いていた時雨が振り返った。

「君は何を顔を真っ赤にして、歩いているんですか?」

訝しげな時雨の表情にあたしは、恥ずかしくてさらに顔を真っ赤にして、俯いた。

仕方ないですね、と低い響きが頭の上から聞こえてくる。



次の瞬間、あたしの手を時雨がとった。

あたしの手をぎゅっと、掴んだ時雨。


頭が真っ白になって、時雨を見上げると、彼は口元だけを緩めて、「これで歩けますね」と言った。



あたしと時雨の間にある温度差。

きっと心臓がバクバクして、今にも失神寸前なのはあたしだけだ。

あたしの緊張が、繋いだ手から伝わってしまわないか不安だった。

「時雨、ありがとう」

小さく呟いた声は繁華街のざわめきの中で、時雨には届かないで消えた。


かわりに、繋いだ手に力を込めた。

呼びかけた代わりのギュッと握りしめた仕草が、たとえ、一方的だったとしても―――

今、ここで手を繋いで歩く二人が、恋人であることは紛れもない事実のはずだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

処理中です...