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第一章 膨らむ疑問と気付かぬ現実
性質の悪い彼
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今まで片鱗を見せなかった睡魔が、突然ミユの全てを支配した。
じわじわと忍び寄る眠気に気付かなかったという可能性も捨てがたいが、やはり、少しおかしくはないだろうか。
はっきり断言するには裏付けるための情報が欠けている。おかしいと思えるということは、何かしら根拠があるはずなのに。ただの思い過ごしだと済ませるには、何かが胸で燻ってできそうにない。
――見落としているのは、何だ。
ぶつぶつと唱えられる独り言のせいか、彼女は背後から忍び寄る足音に気付けなかった。
「おっはよう、ミユ!」
耳が、痺れる。
その原因が自分にあることは分かっていたが、それは、ほんの小さな出来心だった。ただの悪戯のつもりだっただけだとカケルは一人言い訳を浮かべた。
カケルが昨日のことを思い返していると、脳裏に浮かんでいた後ろ姿が目の前にあった。
朝一番に出会えたことを嬉しく思いながら声をかけてみるも、反応はない。ミユが考え込んでいるのは、その場所からもよく分かった。
首を捻るが、次の瞬間、カケルの口元には笑みが浮かんでいた。
足音を殺し、息を潜める。音という音に気を配り、標的との距離を着実に縮めていく。その時、カケルは失念していた。
ナオキたちならまだしも、彼女は昨日出会ったばかりだということを。
二人の間が零になるよりも先に、カケルは肩を叩いた。いや、叩くというよりもその上に手を乗せたという表現の方が正しいだろうか。
触れる身体の細さにカケルが驚くのと、その肩が瞬時に強張るのと、廃墟に悲鳴が響くのでは一体どれが早かったのだろう。
全てを体感したカケルも判断ができなかったが、驚愕に目を見開くミユの瞳に移った自身の顔が、彼女に劣らないほど驚愕に染まっていたのだけは分かった。
「ご、ごめん! まさかそんなに驚くとは思ってなくて!」
咄嗟に両手を上げ、無実をアピールする。
悪戯が成功したことに喜べばいいのか、予想以上に拒絶されたことを嘆けばいいのか。カケルの胸の内では少し複雑な渦が巻いていた。
忙しなく変化するカケルの表情を見て、ミユの口から安堵の息が漏れる。強張った肩の力が抜けたついでに全身の力も抜けてしまいそうな勢いだった。
「叫んじゃってごめんなさい、おはようございます」
「俺の方こそ驚かせちゃってごめん!」
勢いよく合わせられた手のひらが乾いた音を立てるのを見て、ミユは穏やかに笑い返した。
ナオキへの対応から、薄々感じ取っていたが、どうやら穏やかな心の持ち主のようである。
それにしても先程は酷い怯えようだったが、怖がりなのだろうか。このような薄暗い場所でとるにしては急だったと一人反省し、カケルは口を開く。
「なにか考え込んでいたみたいだけど……悩み事? 俺でよかったら聞くよ?」
「力になれるかは、分かんないけど」と眉が下がる。
「何かあったら教えてね! いつでも力になるからさ!」
「ありがとうございます」
あまり向けられたことのない言葉は温かく、嬉しく思うと同時に少しくすぐったい。なんとも言えない感覚だが嬉しい物には変わりない。込み上げる喜びを噛みしめようとした結果、堪えきれずへにゃりと緩んだ笑みが零れ落ちた。
溶けてしまいそうな笑顔を前に、カケルも無邪気な笑顔を浮かべた。
「ミユの笑顔って、いいよね」
「え、」
「可愛いと思う!」
爆弾投下。
告げられた言葉はどれも躊躇が全くないから余計に恐ろしい。まさかそんな台詞をぶつけられるとは予想もしていなかったミユは顔を一気に染め上げた。体中の血液が沸騰して、湯気が両耳から出てきそうな勢いだ。
さらりと出てくるだけに悪い意味には思えないが、深い意味を持って使われているとも思えない。
お世辞だとは分かっているが、あんなにも真っ直ぐにぶつけられると少しでもそう思ってくれたのではと期待してしまう。
ミユは再度、自身にあれは世辞で深い意味などないのだと強く言い聞かすが、上がった熱はしばらく治まりそうになかった。
「……?」
悟られぬよう俯いたミユを不審に思ったのか、赤みに気付いたのか。カケルは眉を潜めた。
「ミユ? 大丈夫?」
そう告げるなり、なんの断りもなく、くりくりとした瞳が覗き込んでくる。
容赦ない追撃。否、異性とあまり関わったことのないミユにとってはもはやトドメだった。
嫌でも視界の大半を占領したカケルの顔に一瞬、ミユは全ての活動が止まったような錯覚に陥った。
呼吸が詰まり、心臓も上手く動いていないのではと不安になるも、大きな鼓動が身体中に響いていることに気付いた。
全てにおいて少し落ち着くべきである。
ミユは深呼吸を繰り返し、さりげなくカケルとの距離をとった。カケルからの視線を感じるも、返す勇気まではなかった。
ミユの口から漏れるのは意味のない母音ばかりで、視線は落ち着きがなくあっちを泳ぎ、そっちを泳き。意識が向いている以上、いくら目を動かしてもカケルを見てしまう。いっそ、目を閉じればいいのだと気付くのに時間がかかってしまうほどミユは混乱に陥っていた。
しかし、その一方で根源のカケルというと全く悪びれた様子も見せずに「そうそう、俺に敬語使わなくてもいいよ」と笑いかけてくるではないか。
初め、何を言われているのか理解できず、思わずミユは聞き返すもカケルは同じことを唱えるだけだった。
「ナオキやミクには使ってなかったから、敬語が癖っていうわけでもないんでしょ?」
「違うの?」と言いたげに首を傾げられ、頭がついていけないながらも慌てて首を振る。
気付けば、ミユは敬語を外すことを約束させられていた。上機嫌に前を歩くカケルの背中を見ながら、ミユは小さく息を吐いた。
だいぶ振り回されたが、恐らくカケルは意図的にしたものではないだろう。ということは必然的に天然、ということになるが――恐ろしい。少しタチが悪い。というよりも心臓に、悪い。
まだ冷めることのない顔の熱に、手で仰ぐ。
合流するよりも先に、なんとかしなくてはと風を送り続けながら「カケルには気を付けよう」と自身の心にそっと書き留めたのであった。
じわじわと忍び寄る眠気に気付かなかったという可能性も捨てがたいが、やはり、少しおかしくはないだろうか。
はっきり断言するには裏付けるための情報が欠けている。おかしいと思えるということは、何かしら根拠があるはずなのに。ただの思い過ごしだと済ませるには、何かが胸で燻ってできそうにない。
――見落としているのは、何だ。
ぶつぶつと唱えられる独り言のせいか、彼女は背後から忍び寄る足音に気付けなかった。
「おっはよう、ミユ!」
耳が、痺れる。
その原因が自分にあることは分かっていたが、それは、ほんの小さな出来心だった。ただの悪戯のつもりだっただけだとカケルは一人言い訳を浮かべた。
カケルが昨日のことを思い返していると、脳裏に浮かんでいた後ろ姿が目の前にあった。
朝一番に出会えたことを嬉しく思いながら声をかけてみるも、反応はない。ミユが考え込んでいるのは、その場所からもよく分かった。
首を捻るが、次の瞬間、カケルの口元には笑みが浮かんでいた。
足音を殺し、息を潜める。音という音に気を配り、標的との距離を着実に縮めていく。その時、カケルは失念していた。
ナオキたちならまだしも、彼女は昨日出会ったばかりだということを。
二人の間が零になるよりも先に、カケルは肩を叩いた。いや、叩くというよりもその上に手を乗せたという表現の方が正しいだろうか。
触れる身体の細さにカケルが驚くのと、その肩が瞬時に強張るのと、廃墟に悲鳴が響くのでは一体どれが早かったのだろう。
全てを体感したカケルも判断ができなかったが、驚愕に目を見開くミユの瞳に移った自身の顔が、彼女に劣らないほど驚愕に染まっていたのだけは分かった。
「ご、ごめん! まさかそんなに驚くとは思ってなくて!」
咄嗟に両手を上げ、無実をアピールする。
悪戯が成功したことに喜べばいいのか、予想以上に拒絶されたことを嘆けばいいのか。カケルの胸の内では少し複雑な渦が巻いていた。
忙しなく変化するカケルの表情を見て、ミユの口から安堵の息が漏れる。強張った肩の力が抜けたついでに全身の力も抜けてしまいそうな勢いだった。
「叫んじゃってごめんなさい、おはようございます」
「俺の方こそ驚かせちゃってごめん!」
勢いよく合わせられた手のひらが乾いた音を立てるのを見て、ミユは穏やかに笑い返した。
ナオキへの対応から、薄々感じ取っていたが、どうやら穏やかな心の持ち主のようである。
それにしても先程は酷い怯えようだったが、怖がりなのだろうか。このような薄暗い場所でとるにしては急だったと一人反省し、カケルは口を開く。
「なにか考え込んでいたみたいだけど……悩み事? 俺でよかったら聞くよ?」
「力になれるかは、分かんないけど」と眉が下がる。
「何かあったら教えてね! いつでも力になるからさ!」
「ありがとうございます」
あまり向けられたことのない言葉は温かく、嬉しく思うと同時に少しくすぐったい。なんとも言えない感覚だが嬉しい物には変わりない。込み上げる喜びを噛みしめようとした結果、堪えきれずへにゃりと緩んだ笑みが零れ落ちた。
溶けてしまいそうな笑顔を前に、カケルも無邪気な笑顔を浮かべた。
「ミユの笑顔って、いいよね」
「え、」
「可愛いと思う!」
爆弾投下。
告げられた言葉はどれも躊躇が全くないから余計に恐ろしい。まさかそんな台詞をぶつけられるとは予想もしていなかったミユは顔を一気に染め上げた。体中の血液が沸騰して、湯気が両耳から出てきそうな勢いだ。
さらりと出てくるだけに悪い意味には思えないが、深い意味を持って使われているとも思えない。
お世辞だとは分かっているが、あんなにも真っ直ぐにぶつけられると少しでもそう思ってくれたのではと期待してしまう。
ミユは再度、自身にあれは世辞で深い意味などないのだと強く言い聞かすが、上がった熱はしばらく治まりそうになかった。
「……?」
悟られぬよう俯いたミユを不審に思ったのか、赤みに気付いたのか。カケルは眉を潜めた。
「ミユ? 大丈夫?」
そう告げるなり、なんの断りもなく、くりくりとした瞳が覗き込んでくる。
容赦ない追撃。否、異性とあまり関わったことのないミユにとってはもはやトドメだった。
嫌でも視界の大半を占領したカケルの顔に一瞬、ミユは全ての活動が止まったような錯覚に陥った。
呼吸が詰まり、心臓も上手く動いていないのではと不安になるも、大きな鼓動が身体中に響いていることに気付いた。
全てにおいて少し落ち着くべきである。
ミユは深呼吸を繰り返し、さりげなくカケルとの距離をとった。カケルからの視線を感じるも、返す勇気まではなかった。
ミユの口から漏れるのは意味のない母音ばかりで、視線は落ち着きがなくあっちを泳ぎ、そっちを泳き。意識が向いている以上、いくら目を動かしてもカケルを見てしまう。いっそ、目を閉じればいいのだと気付くのに時間がかかってしまうほどミユは混乱に陥っていた。
しかし、その一方で根源のカケルというと全く悪びれた様子も見せずに「そうそう、俺に敬語使わなくてもいいよ」と笑いかけてくるではないか。
初め、何を言われているのか理解できず、思わずミユは聞き返すもカケルは同じことを唱えるだけだった。
「ナオキやミクには使ってなかったから、敬語が癖っていうわけでもないんでしょ?」
「違うの?」と言いたげに首を傾げられ、頭がついていけないながらも慌てて首を振る。
気付けば、ミユは敬語を外すことを約束させられていた。上機嫌に前を歩くカケルの背中を見ながら、ミユは小さく息を吐いた。
だいぶ振り回されたが、恐らくカケルは意図的にしたものではないだろう。ということは必然的に天然、ということになるが――恐ろしい。少しタチが悪い。というよりも心臓に、悪い。
まだ冷めることのない顔の熱に、手で仰ぐ。
合流するよりも先に、なんとかしなくてはと風を送り続けながら「カケルには気を付けよう」と自身の心にそっと書き留めたのであった。
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