さようなら、また会う日まで

芦進伸哉

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第一章 膨らむ疑問と気付かぬ現実

いつもと変わらぬ光景

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 カケルの後を追う形でミユが辿り着いたのは、昨日解散したゲームセンターだった。

 二つの緑と色褪せた帽子が一か所に固まっているが、何をしているのだろうか。聞こえてくる声だけで楽しくなってくるから不思議なものだ。
 一瞬思考を巡らせただけにも関わらず、カケルとの距離は先ほどより空いていて、ミユは慌てて赤髪を追った。
「おはよう、皆!」
 ナオキが使用していたのは、古いタイプのアーケードゲームだった。
 大半を占めるモニター画面は床に対して、やや角度がついていて機械全体の背は低く、椅子に座って使用できるゲームだ。小学生の頃に大型のアミューズメントパークで見たことがある気がする、とミユはゲームを見やる。
 ナオキの左手にはレバーが握られていて、右手の下には三つのボタンが隠れていた。すぐ隣にも一式並んであることから二人同時に遊べるゲームだと判断するも、双子がそれに触れる様子はない。どうやら、今はナオキが一人で利用しているようだ。
「カケル兄ちゃん、おっせーよ!」
 忙しない手の動きが休められることはない。
 画面に集中しながらも会話ができるとは。自分には絶対できないことだとミユは尊敬の意を込めてナオキを見つめる。
「おはよう、カケルちゃん!」
 一瞥さえしないナオキに代わって、双子が顔を上げた。
 未だ区別がつかず、名前を呼べない合間に「おねーちゃんも、おはよう!」と腰元に弾丸が突っ込んでくる。カケルが口の動きでミクだと教え、安心してミユも挨拶を返す。
 ということは、もう一人がノゾミか。
 ゆっくりとミクの元へ歩いてきたノゾミと、目が合う。
「おはよう、ノゾミちゃん」
「おはようございます」
 丁寧に頭を下げられ、思わずミユも頭を下げ返す。二人のやり取りを、真ん中で見ていたミクが愉快そうに笑って見せた。
「あのね、ミユおねーちゃん」
 袖口を引っ張られたミユが微笑んでみせると、ミクの小さな手のひらが自身の口元を隠すように添えられる。その意図を組み、しゃがんだミユの耳に寄せられる口。
「ナオキは、ゲームをしておねーちゃんたちのことまってたんだけどね……」
 一度区切られる。明らかに続きがある喋り方に、ミユはミクを見やった。視線で誘導され、ナオキを目に映す。
 丁度、画面を食い入るようにしているナオキから短い悲鳴が上がったところだった。
 視界の端に入り込んだミクの口角が上がっている。
 ミユが首を傾げる間もなく、もう片側でノゾミが立つ気配を感じた。
 顔を見合わせ、息を吸う。開け閉めする口の動きさえ全てが揃えられた。
 そんな双子の後ろで何かに――恐らく、彼女たちの思惑に気付いたナオキが勢いよく立ち上がった。その顔はどこか焦ったような色を浮かべていた。
「あ。バカ、言うなっ」
「ぜんぱいしちゃったんだよネー」
 鈴を転がしたような、可愛らしい笑い声が重なる。次いで、二つの人差し指がナオキを示した。
 噂の本人は顔を真っ赤にしてこれ以上自分の失態を言われないように双子の口を押えにかかった。が、努力も虚しくするり、と左右に避けられてしまう。
「ねぇねぇ、おねーさん!」
 するり、するり。
 悔しげな声が途切れ、代わりにナオキの荒い息と地団駄が廃墟に響いた。
 鮮やかなナオキ捌きを目の前に、ミユは思わず手を鳴らしそうになる。
「ぜんぱいってしってる? ぜんぶまけたってことなんだよー」
 未発達の胸が反らされ、小鼻が天を向いた。
 膨らんだ穴から漏れる息が「凄い? 偉いでしょ? 褒めて褒めて!」と言ってるのがよく伝わったが、どう足掻こうと負けてしまう一人の少年を見てしまった以上、ミユは言葉を濁す他なかった。
 彼女なら褒めてくれるに違いないと思っていたのか、可愛らしい桃色の唇が僅かに尖る。
 あからさまに浮かんだ不服の色に、誰よりも早く気付いたのはミユだった。瞬時にフォローに回ろうと開いた口が、音を出さないまま開け閉めを繰り返す。視線は忙しなく、ミクとナオキを行ったり来たりしていた。
 そんな時、二人しかいない世界に割り込んできたのは、ノゾミだった。彼女はゆっくりとした足取りで侵入してきた。
 褒めるため、拗ねたミクの元へ行くものだと思い込んでいただけに驚きは大きい。僅かに目を見開いたミユに目をやることなく、ノゾミが真っ直ぐ目指す先にいるのは、ナオキ。これでミクの元へ行けると、安堵したミユが心中でそっと感謝の念を呟いた。
 ミユに感謝されているとも知らず、ノゾミは薄ら微笑んだ。向けられていないのに、遠目で見ていたはずのミユの頬が僅かに染まる。
 ミクの笑顔は無邪気で可愛らしいものだが、ノゾミの笑みは年齢にそぐわぬ色気を秘めているのだ。同性なのに、見惚れてしまうような笑み。
「ナオキ」
 呼ばれた少年の顔が上がり、自分を見下ろしている影の正体に嫌悪丸出しの声が上げられる。
 笑んだままのノゾミが彼の耳元へ口をやれば、ナオキの顔は歩行者用信号機の如く、青ざめたり赤くなったりと忙しなく切り替わった。
 そこに囁かれる言葉とは、一体。
「ぜんぱいってしってる? ぜんぶまけたってことなんだよ」
 ナオキの動きが止まった。ミユの動きも止まった。
 彼女の台詞には動きどころか、呼吸まで止まっていないか不安になるほどの威力が秘められていた。
 耳元に口を寄せながらも、ミユたちの元まで聞こえてくるのも計算の内なのだろうか。内心に浮かんだ疑問を口に出せないまま、ミユの隣では、ない答えの代わりとでも言いたげにミクが笑い転げた。
 蛸とお揃いの色に染めた顔から睨みが飛ぶ。
「ノゾミ! おまえ!!!」
 怒号も飛ぶ。
 突っ込んだナオキはその勢いを保ったまま、地面とおはようございます。
 再び双子の鈴のような笑い声が彼の羞恥を煽り、心配そうに事の成り行きを見守るミユと無事を確認するカケルの声が彼の自尊心にひび割れを起こした。
「な……っ、だ……っ!」
 開け閉めを繰り返す口元は、えさを求める鯉のようだ。ナオキは潤む双眸の鋭さを維持しようと躍起したが、それが叶わないことを知ると「みんなしてオレをわらいものにしやがる……!」と恨みがましく声を震わせた。
「笑い者って……。誰もそんなことしてないだろ」
「ナオキださーい、ぷくく」
「……っ、……っ!!」
 苦々しい笑みで肩を叩くカケル。なんと言葉を続けるか悩む彼の両側から間髪入れず双子の笑い声が重なる。二重奏のそれはトドメと言わんばかりで、カケルの思案も悲しくナオキは大声で叫びながら駆けだした。
 それを止める間もなくナオキの「ばーか、ばーか! ダサいって言った方がダサいんだからなうわあああああああん」という捨て台詞が廃墟内を反響し、小さくなっていった。
 遠ざかっていく後姿を見届け、双子はくるりとミユに向き直る。一人は腰辺りに抱きつき、もう一人はその隣に立った。
 甘えてくる声に応えながら、ナオキが駆けた方向を見やる。
「……ナオキくん、いいのかな」
 すり寄った緑が「だいじょーぶ、だいじょーぶ!」と弾んだ声を上げた。
「いつもあんなかんじだし! それに、」
「ナオキはさみしがりやだから、けっきょくいつも」
「じぶんからかえってきちゃうんだよネー」
 弾んだ声を継ぐ、落ち着いた声。そして最後は声が重なる。
 動く口を追いかけていたミユの目が、もう一度ナオキの姿を探して彷徨った。走り去ったと思われていた彼の足は完全に止まっていた。そして、ゆっくりとこちらを見やる。
 恐る恐るといった風に伺うナオキは、そこで初めて誰一人自分を追いかけていないことを知った。
 あっと驚いた声を上げ、俯く。帽子のつばに隠された表情は読めない。
 今頃その身を震わせているのだろうかと遠目ながらにミユは推測した。
 そして――、
「なんで! なんでだれも引きとめてくんねーんだよ、追いかけてこねーんだよ! おれ一人悲しいじゃねぇかああああ!!」
 驚異的なスピードで来た道を引き返す。
 その速さに驚く間もなく、過去を赤くしたナオキを前に双子はミユへ「ね、いったとおりデショ?」と揃って目配せしてみせた。


 息が整う前にまた声を張り上げるナオキ。彼等のやり取りを見て苦笑しながらも宥めに入るのはカケル。
 こんなにも賑やかだというのに、相変わらずマモルは壁に寄りかかり、目を閉じたままで。
 ミユは昨日と変わらない皆に思わず笑みを零した。
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