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「まあ綺麗な彼岸花ね、一本もらってもいいかしら」

「やめとこうよサロメピンク……」


 毎度毎度ここが地獄だというのを失念して行動を起こしてしまうのは見ていてハラハラする。この彼岸花を手折ったことでなにか起こる可能性はなきにしもあらずだ。
 持ち帰れないのが切ないのか彼岸花の前にしゃがんで目に焼き付けだしたサロメピンクを尻目に、俺はその花畑の中央に続いてるであろう一本の花道を進んでいく。もちろん、放し飼いにすると問題をおこしそうな小向の手を引いて。


「小向は好きな花とかある?」

「さくらもち」

「違うよ小向、それは花じゃなくて和菓子だよ」

「……ふん」


 少し傾斜がついていた花畑の道を登って行くと、ちょうど傾斜の頂点にあたる道の先に縦長のなにかが建っているのが見えた。石灯籠のようなお地蔵さまのような、なんとも言い難い建造物。それを目印に歩を進めているとおのずと距離も縮まり、いつの間にかはっきりと認識できるようになっていた。


「!? ヒィッ!」


 はっきりと認識した瞬間、恐怖で体が硬直した。そこにあったのは石灯籠でもお地蔵さまでもなく、無機質な台座の上におだんごヘアの生首が乗っているという、斬新なオブジェだった。
 俺は素早く小向の目の部分を押さえて踵を返す。誰だこんな所に生首飾ったの。近くにいたくないと元きた道を戻ろうとしたが、振り向いた先には後を付いてきていたカッパーレッドとマラカイトグリーンとサロメピンクの姿が。注意喚起するよりも一足早く、斬新なオブジェを見つけてしまった哀れなカッパーレッドは


「イヤァァァァァァァアッ!!」


 絹を切り裂く声とは真逆の泥くさい雄叫びをあげ、失神した。


「どうしたカッパーレッ……イヤーーー!」

「なにようるさ……なにあれ、生首が飾ってあるわ」


 倒れたカッパーレッドの原因を探ろうと、倒れる前に見ていた方角を確認したマラカイトグリーンも悲鳴を上げて気絶した。そのうるささに不快感をつのらせたサロメピンクは、例のオブジェを視界にとらえた一瞬ビクリと反応したが、けれども冷静に分析している。
 近づいて確認するか、それとも見なかったことにして立ち去るか。しかし立ち去るにしても二名ほど気を失ってしまってるので、その選択は難しいと言わずとも知れた。さすがに運べないし置いてもいけない。どうしたもんかとサロメピンクと目と目で意思疎通をはかっていた時、例のオブジェの方から何者かの声がきこえた。


「近う寄れ」


 直視したくなくてしっかりと周囲を見ていなかったが、誰か居たのだろうか。


「聞こえておらぬのか! 我が呼んでいるのに近寄らぬとは不届き者め! 沙汰を自ら落としたいのか!」


 尚も直視を避けて戸惑っていると、すごい勢いで怒鳴り散らしてくる。声の主は短気だったのか、数秒の猶予も与えてくれないようだ。
 俺は慌ててオブジェの方を振り返った。生首が俺を方を向きながら眉を釣り上げていた。


「我が動けないのを逆手にとってのその所業、大王様に告げ口してやろうか。嫌だろう? だったら来いと言われたらすぐに来い! ごー、よん、さん……」

「はいただいま!」


 なんのか分からないが嫌な予感しかしないカウントダウンをはじめた生首に、俺は慌てて駆け寄った。この生首、気の短さが尋常じゃない。生首が喋るという世にも奇妙な体験に驚いてる暇さえないなんてあんまりだ。だが怒らせたら沙汰?が悪くなるらしいのでここはおとなしくいう事を聞いておいた方がいいのだろう。


「すぐにこなくてすいません……」

「うむ、許そう。我は人頭幢(ニンズドウ)と申す。平素は亡者らの悪の本質を見抜くことを生業としている」

「ははぁ」

「此度は閻魔大王様から重要な任務を賜り、この地に参じた次第だ」


 口元を引き締めいかつい顔で話す人頭幢に、俺も畏まって片膝をついてみた。怒りの沸点は低いが冷めるのも早いらしく、さっきの失礼は許してくれるらしい。
 ここでやっと野干村の村長の話でも出てきた大王様の正体が判明した。なんと、大王様とはあの有名な地獄の裁判官、閻魔大王の事だった。そういやこのレースの主催者はその人じゃなかったか?だったらあーだこーだと人事派遣できるのも頷ける。
 その大王様から任務を賜ったという事は、進んべき道はやはりこっちであっていたようだ。途中途中もしかしたらこっちじゃなかったかもしれないと疑懼し、独断で決めたことから自責の念に押し潰されそうになっていた。心が挫けそうになっていたので、今は正直スキップしちゃいたい。しかしそんな浮かれたことしようものならまたも怒声をぶつけられそうなので、粛々と頭を垂れ自重するしかなかった。
 人頭幢の悪の本質を見抜く仕事とはなんなのだろうか。今だに沙汰の意味が分からないけど……あれかな、地獄の沙汰も金次第ってのに出てくる沙汰かな?うん、さっぱり分からないや。


「むむむ、むむむ!」


 任務とやらが怖いものじゃなければいいなーと呑気に考えていた時、目の前の人頭幢が表情筋を多彩に操り百面相しだした。頭そのものもむずむずと動かし、振動を繰り返している。


「おいそこの者! 我の後頭部になにか付いている、どうにかしろ」

「承りましたー」


 不可解な動きの正体は、後頭部の異変だった。頭だけしかない人頭幢は自身ではどうにもすることができず、もどかしそうに何度か頭をふったが改善する事は叶わなかったよう。その様子を眺めていたせいで目があってしまった俺に狙いを定めて命令してきた。
 俺は素早く立ち上がり、人頭幢の背後にまわる。結い上げたお団子の下、そこで蠢く緑色の物体を見つけた。


「あ、あおむし」


 俺に付いてきていた小向がなぜか嬉しそうにその物体の名前を呼ぶ。人頭幢の髪の上を悠悠自適に這いまわり、人頭幢をむずむずさせていた犯人はあおむしだった。


「あおむし好きなの?」

「……なかま」


 仲間?あおむしは小向の仲間なのか?言葉が足りない小向の返事に頭を悩ませていると、案の定短気な人頭幢は怒りだした。


「我の頭につくなど言語道断。殺せ」


 すごく冷たい声で、抑揚なく命令を下す人頭幢。怒りの頂点を突き抜けてしまったのだろうか。びっくりして動けずにいる間にも同じ命令を繰り返し、最終的には殺せの言葉だけを喚きだした。
 どうしたらいいんだろう。俺はもうどうしたらいいのか分からなくなり呆然とあおむしを見つめた。


「だめ、はらぺこあおむし殺すな」


 自分の意志さえ見失い、ただ佇んでいた俺の心に、芯のある小向の声がすっと届く。はっと俺は気づいた。俺は何を迷っていたのか。
 たかが虫、されど生きもの、殺せと命令されたからといって殺すなんて、そんなのおかしい。命を奪うのに自分の意志じゃないなんて失礼にもほどかあるだろう。いただきます、ごちこうさま、自らの糧にするために奪ってしまった命に責任持って感謝する日本人のこの俺が。
 それに一寸の虫にも五分の魂、俺はその言葉を座右の銘に弱い者いじめなどしないと誓い、博愛主義者を目指したんじゃないのか!しっかりしろ俺!
 もしこの命令に背いて俺は地獄行きになったとしても、俺はこの命令に従うわけにはいかない。
 俺は殺せ殺せと喚く人頭幢にはっきりと断るため大きく息を吸った。だがそれよりはやく、堪忍袋の緒が切れた小向が、人頭幢の頭頂部にげんこつをくらわせていた。なんと恐れ多いことを!!


「貴様ぁこの所業必ずや大王様にお伝えするからな!」

「かってにどーぞ。頭だけのくせにうるさい」


 畳み掛けるようにもう一発。その様子はまるで、小向が人頭幢をボールに見立ててバスケのドリブルをしているようだった。怒りの矛先を小向に向け、沙汰を楽しみにしておけだのなんだの脅しているが、正直脅しの半分も理解できないし、小向ドリブルの件もあって人頭幢への恐怖は薄れていた。
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