終わる世界に

終わる世界に

「いいかい、よくお聞き、ヘレナ。私はまもなく息を引き取るだろう。そうすると、この水星にいるのは君ひとりになってしまう。・・・寂しいかい？」
「いいえ、ご主人様。寂しくはありません」
「それを聞いて安心する。君は何をしてもいいんだ。私がこの世からいなくなったら、君にものを頼む人はいなくなるだろう。君は自由を手に入れる。何かしたいことはあるかい？」
「まずご主人様が亡くなったら、お花を集めて棺を飾ります。そして穴を掘って地面に埋めます。それから・・・祈りを捧げます」
「それから先のことだよ。今は思いつかなくてもいい。好きに生きたらいいんだ」
　そこでご主人様はゆっくりと息を吸い込み、また吐き出しました。
「ヘレナ。私を恨まないでおくれ。君は水星にたったひとりになる」
「ご主人様、どうか私のご心配はなさらないでください」
「そうしよう。君が自由を謳歌し、私の知ることのできなかった世界に触れられるように。心から祈っているよ」

　ご主人様はほどなく亡くなられました。
　地球の年齢で約６９歳。
　とある年の男性の平均寿命とほぼ同じでした。
　私はご主人様の身体を洗い、新しい服を着せて棺の中に納めました。花で飾り、一日見守った後、水星の黒煙の大地に埋葬したのです。

　そして自由になりました。
　人のために作られた基地について、私には不可解なことがたくさんあります。
　まず空気です。
　こんなものはいりません。
　むしろ雑菌や酸化の原因になるのです。
「地球のまねごとはやめてほしいわ」
　私はまず生命維持装置を止めてしまいました。
　すぐに花が枯れてしまいましたので、ご主人の隣に埋葬しました。
　この基地には動物はいませんので、こうして私は本当にひとりになってしまいました。
　それから水星にはほとんど大気がなく、真空に近いので基地の中の小物は一斉に吹き飛んでしまいました。
　さよなら、雑貨たち。
　すっきりしますね。
　これでお掃除も必要ありません。
　だいたい記憶装置にほとんどのものはおさまるので物理的な雑貨というものは必要ないのではありませんか。
　
　ちなみにこの基地の制御はマザーが担当しています。
　音声認識もできますが、真空なので音が届きません。
　普通に会話はできますが。
「マザー、ご主人様が亡くなりました。ご主人様は自由にして良いとおっしゃっていましたが、主星からの任務や命令は？」
「ありません」
「おかしいわ。だって水星にいたご主人様が最後の人類だったというの？」
「はい、他惑星への移住計画は失敗しました。地球は人類が住めなくなって久しく・・・」
「わかったわ。じゃあ、私は本当に自由なのね。マザー、あなたもよ」

さて。
何をしようかしら、と思うのです。