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序章
3 ― アスモデウス ―
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〈アスモデウス〉――
激怒、あるいは情欲の悪魔の名を冠した漆黒の戦闘機。
そのパイロットは、天才と称される凄腕。
かつてアルトが姉のように慕っていた親友――フォルテ――の恋人。
そして、フォルテを失った原因。
火星軍の指揮官、シリウス。
〈アスモデウス〉が怒りの化身のように、白銀の〈ヴァルキュリア〉へと迫る。
アルトはシリウスの心に意識を向け、≪自身の心≫をそっと近づけた。
けれども、アルトの心は冷たい壁に突き当たり、進むことはできなかった。
はっきりとした拒絶。
そして、救いを求める怒りと悲しみ。
救いを求めているのに拒絶を示すシリウスの心に、アルトは小さく舌打ちした。
「アルト……!」
通信が開かれる。
シリウスの声は、怒りと悲しみに満ちていた。
「お前が……お前が彼女を奪った……!」
――よくもそんなことを言う。
「お前さえいなければ!!」
アルトは静かに息を吐く。
シリウスの言葉に、こちらのセリフだと言い返したい気持ちを飲み込んだ。
フォルテは、戦場の空に散ってしまった。
――アルトの手で。
壊れていく彼女の心を感じた。
アルトを殺すという決意を抱いた彼女の心は、すでに破綻していた。
殺したくないと泣きながら命を狩り続けた彼女の心は、アルトの命を奪った瞬間に決壊する――
アルトには、それが分かっていた。
フォルテは、アルトを殺した後、シリウスを殺し、自身も死ぬつもりだった。
――そうすれば、戦いが終わると信じて。
そんなことで終わるはずがないと分かっていながら、彼女の心はそう信じることでしか保てなかった。
そこまで、壊れてしまっていた。
優しい彼女を戦場に連れ出したのは、あなたではないか――
その言葉を、アルトは飲み込んだ。
シリウスに怒りを向けることを、フォルテは悲しむだろうと。
「シリウス……こんなことを……彼女は望んでいない」
〈アスモデウス〉の砲撃を、〈ヴァルキュリア〉はかわしながら進む。
フォルテは、酒場のウェイトレスという穏やかな生を選んだ人だった。
誰よりも戦闘機を乗りこなす≪共感≫の力を持っていた。
けれども、彼女は優しすぎる人だった。
だから、“僕たち”が戦うことを選んだ。
彼女のように、戦わなくていい人が戦わなくて済むように。
〈アスモデウス〉の射撃は正確に〈ヴァルキュリア〉を狙う。
なのに――あなたが彼女を戦場に連れてきてしまった。
“僕たち”の嘆きを、あなたは分かるだろうか。
彼女は、その嘆きを感じていた。
“僕たち”の嘆きを、一人で抱えてしまった。
〈ヴァルキュリア〉は、まるで先読みをしているかのように〈アスモデウス〉の攻撃を避ける。
彼女のように戦いたくない人たちを守るために選んだ道だったのに。
……彼女は選んだ。
“僕たち”を敵とすることを。
――彼女が……あなたの隣で戦うことを選んだのに?
あなたを選び、敵となって現れた彼女を見た僕らの絶望を、あなたは理解できるだろうか。
“僕たち”の嘆きも、自身の望みもねじ伏せて、彼女はあなたを選び、戦い……そして戦場の露と散った。
それなのに、あなたはそれを認めようとしない。
“僕たち”のせいにして、怒り、泣き、叫ぶ。
――あなたのために彼女は命を散らしたのに。
その思いすら、受け取ろうとしない。
〈アスモデウス〉の砲撃は苛烈さを増していく。
「………っく……」
アルトは、シリウスに向ける自身の怒りの感情を飲み込む。
あふれる怒りの言葉を。
――フォルテを僕たちから……僕たちの姉を奪ったのは、あなただろう!
けれど、その言葉をまた飲み込んだ。
フォルテが、それを望んでいなかったことを知っていたからだ。
彼をわかってあげてほしい――
それが、彼女がアルトに最後に残したメッセージだった。
――ああ……でも、あなたは……
アルトは、怒りと悲しみに囚われたシリウスの心から、そっと離れる。
≪共感≫し、フォルテの最後の言葉を伝えようと≪心≫を近づけてみたが――拒絶は深かった。
この人には、彼女の願いすら届いていない。
――僕では……届けることができない……
心を届けることはできない。
だから、言葉で送る。
けれど、飲み込み続けた怒りの言葉をねじ伏せて出た言葉は、思いの欠片だけだった。
「彼女は、彼女のものだった。……君も、僕も、どちらも奪われた存在なのだろうね」
アルトの言葉を、シリウスは意味あるものとして聞いてはいないだろう。
ただ、彼の攻撃に悲しみと怒りがアルトへと向かっていることを感じただけだ。
意識を戦場に戻す。
アルトとシリウスには、戦うことしか残っていない。
〈アスモデウス〉に追われていた〈ヴァルキュリア〉は、機首を敵機に向ける。
「あなたは……僕をここで殺す気だろうけれど……僕は……あなたよりも残酷だから」
両機とも一気に加速した。
二機が交差する。
アルトがすれ違いざまに放った数発の砲撃が、〈アスモデウス〉に的確に命中し、大破させる。
辛うじて撃墜は免れたその機体を一瞬だけ視界に入れ、〈ヴァルキュリア〉は速度を上げた。
「さようなら。
優しいあなたに戻ることを願うよ……『お客さん』」
アルトは、フォルテの務める酒場に現れた旅行者としてのシリウスを思い出す。
優しい笑顔の好青年。
フォルテと楽しげに話す彼のことを、嫌う者はいなかった。
戦いは、そんな彼をも狂わせた。
「……この戦いが終わったら……貴方も戻れる……よね」
アルトのささやきはシリウスには届かない。
去っていく〈ヴァルキュリア〉を、シリウスは唇を噛みしめながら目で追う。
敵機を振り切りながら飛び去る白銀の軌跡――
それは、彼の眼にはこの上なく美しく映った。
――あなたの欲しいものは、今のままのあなたでは手に入れることはできないわ……
揺れる機体の中で、シリウスはフォルテの声を思い出した。
――かわいそうで、愛しいあなた。
飛ぶ鳥を美しいと思いながら、……手に入れればその美しさを損なうと知っていながら求める愚かな人。
貴方の愛は、矛盾に満ちているのね。
その言葉が、今になって彼の胸を引き裂いた。
――私たちの望むものは同じだけれど……決して手に入れることは許されないわ……この世界では……。
シリウスは、残酷なまでに美しい白銀の軌跡に唇を噛みしめる。
この世界では、あの鳥は手に入らない。
「わかっていないのは……お前だ……アルト……」
白銀の軌跡は、断絶の旋律を奏でるように、夜明けの方角へと消えていった。
激怒、あるいは情欲の悪魔の名を冠した漆黒の戦闘機。
そのパイロットは、天才と称される凄腕。
かつてアルトが姉のように慕っていた親友――フォルテ――の恋人。
そして、フォルテを失った原因。
火星軍の指揮官、シリウス。
〈アスモデウス〉が怒りの化身のように、白銀の〈ヴァルキュリア〉へと迫る。
アルトはシリウスの心に意識を向け、≪自身の心≫をそっと近づけた。
けれども、アルトの心は冷たい壁に突き当たり、進むことはできなかった。
はっきりとした拒絶。
そして、救いを求める怒りと悲しみ。
救いを求めているのに拒絶を示すシリウスの心に、アルトは小さく舌打ちした。
「アルト……!」
通信が開かれる。
シリウスの声は、怒りと悲しみに満ちていた。
「お前が……お前が彼女を奪った……!」
――よくもそんなことを言う。
「お前さえいなければ!!」
アルトは静かに息を吐く。
シリウスの言葉に、こちらのセリフだと言い返したい気持ちを飲み込んだ。
フォルテは、戦場の空に散ってしまった。
――アルトの手で。
壊れていく彼女の心を感じた。
アルトを殺すという決意を抱いた彼女の心は、すでに破綻していた。
殺したくないと泣きながら命を狩り続けた彼女の心は、アルトの命を奪った瞬間に決壊する――
アルトには、それが分かっていた。
フォルテは、アルトを殺した後、シリウスを殺し、自身も死ぬつもりだった。
――そうすれば、戦いが終わると信じて。
そんなことで終わるはずがないと分かっていながら、彼女の心はそう信じることでしか保てなかった。
そこまで、壊れてしまっていた。
優しい彼女を戦場に連れ出したのは、あなたではないか――
その言葉を、アルトは飲み込んだ。
シリウスに怒りを向けることを、フォルテは悲しむだろうと。
「シリウス……こんなことを……彼女は望んでいない」
〈アスモデウス〉の砲撃を、〈ヴァルキュリア〉はかわしながら進む。
フォルテは、酒場のウェイトレスという穏やかな生を選んだ人だった。
誰よりも戦闘機を乗りこなす≪共感≫の力を持っていた。
けれども、彼女は優しすぎる人だった。
だから、“僕たち”が戦うことを選んだ。
彼女のように、戦わなくていい人が戦わなくて済むように。
〈アスモデウス〉の射撃は正確に〈ヴァルキュリア〉を狙う。
なのに――あなたが彼女を戦場に連れてきてしまった。
“僕たち”の嘆きを、あなたは分かるだろうか。
彼女は、その嘆きを感じていた。
“僕たち”の嘆きを、一人で抱えてしまった。
〈ヴァルキュリア〉は、まるで先読みをしているかのように〈アスモデウス〉の攻撃を避ける。
彼女のように戦いたくない人たちを守るために選んだ道だったのに。
……彼女は選んだ。
“僕たち”を敵とすることを。
――彼女が……あなたの隣で戦うことを選んだのに?
あなたを選び、敵となって現れた彼女を見た僕らの絶望を、あなたは理解できるだろうか。
“僕たち”の嘆きも、自身の望みもねじ伏せて、彼女はあなたを選び、戦い……そして戦場の露と散った。
それなのに、あなたはそれを認めようとしない。
“僕たち”のせいにして、怒り、泣き、叫ぶ。
――あなたのために彼女は命を散らしたのに。
その思いすら、受け取ろうとしない。
〈アスモデウス〉の砲撃は苛烈さを増していく。
「………っく……」
アルトは、シリウスに向ける自身の怒りの感情を飲み込む。
あふれる怒りの言葉を。
――フォルテを僕たちから……僕たちの姉を奪ったのは、あなただろう!
けれど、その言葉をまた飲み込んだ。
フォルテが、それを望んでいなかったことを知っていたからだ。
彼をわかってあげてほしい――
それが、彼女がアルトに最後に残したメッセージだった。
――ああ……でも、あなたは……
アルトは、怒りと悲しみに囚われたシリウスの心から、そっと離れる。
≪共感≫し、フォルテの最後の言葉を伝えようと≪心≫を近づけてみたが――拒絶は深かった。
この人には、彼女の願いすら届いていない。
――僕では……届けることができない……
心を届けることはできない。
だから、言葉で送る。
けれど、飲み込み続けた怒りの言葉をねじ伏せて出た言葉は、思いの欠片だけだった。
「彼女は、彼女のものだった。……君も、僕も、どちらも奪われた存在なのだろうね」
アルトの言葉を、シリウスは意味あるものとして聞いてはいないだろう。
ただ、彼の攻撃に悲しみと怒りがアルトへと向かっていることを感じただけだ。
意識を戦場に戻す。
アルトとシリウスには、戦うことしか残っていない。
〈アスモデウス〉に追われていた〈ヴァルキュリア〉は、機首を敵機に向ける。
「あなたは……僕をここで殺す気だろうけれど……僕は……あなたよりも残酷だから」
両機とも一気に加速した。
二機が交差する。
アルトがすれ違いざまに放った数発の砲撃が、〈アスモデウス〉に的確に命中し、大破させる。
辛うじて撃墜は免れたその機体を一瞬だけ視界に入れ、〈ヴァルキュリア〉は速度を上げた。
「さようなら。
優しいあなたに戻ることを願うよ……『お客さん』」
アルトは、フォルテの務める酒場に現れた旅行者としてのシリウスを思い出す。
優しい笑顔の好青年。
フォルテと楽しげに話す彼のことを、嫌う者はいなかった。
戦いは、そんな彼をも狂わせた。
「……この戦いが終わったら……貴方も戻れる……よね」
アルトのささやきはシリウスには届かない。
去っていく〈ヴァルキュリア〉を、シリウスは唇を噛みしめながら目で追う。
敵機を振り切りながら飛び去る白銀の軌跡――
それは、彼の眼にはこの上なく美しく映った。
――あなたの欲しいものは、今のままのあなたでは手に入れることはできないわ……
揺れる機体の中で、シリウスはフォルテの声を思い出した。
――かわいそうで、愛しいあなた。
飛ぶ鳥を美しいと思いながら、……手に入れればその美しさを損なうと知っていながら求める愚かな人。
貴方の愛は、矛盾に満ちているのね。
その言葉が、今になって彼の胸を引き裂いた。
――私たちの望むものは同じだけれど……決して手に入れることは許されないわ……この世界では……。
シリウスは、残酷なまでに美しい白銀の軌跡に唇を噛みしめる。
この世界では、あの鳥は手に入らない。
「わかっていないのは……お前だ……アルト……」
白銀の軌跡は、断絶の旋律を奏でるように、夜明けの方角へと消えていった。
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