お嬢様と魔法少女と執事

星分芋

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第四十三話②『救助』

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兜悟朗とうごろうさんもお疲れだと思いますから、一度風に当たってきたらどうですか? あたしはもう平気ですし、少ししたら動けますから」

 嶺歌れかがそう口にすると兜悟朗は「いいえ、お側にいます」と即答してきた。

 嶺歌は悩むことなくすぐにそう答えた兜悟朗に驚き、気遣いはいらないと口にする。

 溺れた人を救出する事がどれほど危険であり、体力を消耗する事なのかは、嶺歌もよく知っていた。

 実際に嶺歌が魔法少女活動で人を助けた経験も何度かある。

 だがあれは自分が魔法で強化された力や特殊な魔法があるからこそ出来た事であり、兜悟朗のような一般的な人間がそれを容易くできるとは思えない。

 何より救助する方にも死亡のリスクがある。事実それで命を落とした事故も少なくはないのだ。だからこそ今回、救助隊ではなく兜悟朗が救出してくれた事に驚いていた。

 しかしどんなに万能な人間であれ大変なものは大変だ。ゆえに兜悟朗もかなりの体力を消耗しているだろう。

 それでも兜悟朗はその嶺歌の言葉に頷く事はなくただここに居させて下さいとそう口にする。

 嬉しい気持ちはあれど、かたくなに動こうとしない兜悟朗の珍しい姿を目にして嶺歌は「本当に、優しいですね」とその場で感じた言葉をポツリと、無意識に放っていた。

 すると兜悟朗は途端に嶺歌の手を両手で握り、こちらに再び目を向ける。突然の温かな体温と彼の真剣な目つきに嶺歌は鼓動が速くなるも、しかし彼の視線が目を逸らす事を躊躇わせていた。

「嶺歌さん、僕は優しくありません」

 それから兜悟朗はそんな言葉を口に出す。そのような発言を彼が口にするとは夢にも思わず、嶺歌は呆然としたまま兜悟朗を見つめた。

形南あれなお嬢様に忠誠を誓い、お嬢様にとっての正義を貫いております。ですが……」

 兜悟朗はそう言うと握った嶺歌の手を自身の額に当てるように頭を下げ、項垂れたような姿勢を見せた。そのまま彼は言葉を続ける。

「いつの間にか形南お嬢様と等しく、あなたの存在を大切に思っている自分がいるのです。お嬢様とは関係のないところであっても、嶺歌さんに何か起こるのならば僕は見放せません。形南お嬢様には感じなかったこの気持ちが、僕には……特別以外に言葉が出てこないのです」

 言葉が出なかった。自分は今、彼に何を言われたのだろうか。告白? いや、それよりももっとすごいような……そんなとんでもない発言を嶺歌れか兜悟朗とうごろうの口から確かに耳にしていた。

「貴女がご無事で本当に良かった……僕は、貴女を失っていたらきっと」

 そこまで口にした兜悟朗の熱が、先程よりも深く嶺歌の手に当てられる。

「後悔の日々に苛まれていた事でしょう」

 兜悟朗は自身の額の熱を嶺歌に押し当てたまま、そんな言葉を口にした。

 それはいつも冷静で穏やかで、常に客観的に物事を見据える兜悟朗の姿とは異なっていた。嶺歌を失うまいと、彼は必死になって助けてくれたのだろう。

 泳ぐつもりのなかったシャツを脱ぎ捨て、海に飛び込み、危険な救出を完遂してみせたこの男性が、助かった今も嶺歌の前から離れようとせず上着も着ず、滴り落ちる水を拭うこともせずにただこちらの手を握りしめて項垂れている。

 そんな兜悟朗の姿を目の前で見て、嶺歌は彼がひどく愛おしいと、そう感じた。

 嶺歌は自身の胸がとてつもなく熱くなるのを全身で体感し、性格に似合わず泣きそうになる。

「兜悟朗さん」

 嶺歌は自身の手を握りしめたまま項垂れ続ける兜悟朗の頭を空いた方の手でそっと撫でる。そしてそのまま兜悟朗の乱れた髪をふんわりと手で梳いた。

 彼の髪に触れるのはこれが初めてであり、思っていた以上に光沢のある髪の艶加減に今更ながら気が付く。

 兜悟朗の髪から手を離すと、嶺歌は真横にある棚に山積みされた綺麗なタオルを一枚手に取り、彼の頭の上にそっと乗せる。そうして片手で兜悟朗の髪の毛を拭き始めた。

「兜悟朗さんの髪の毛、まだ濡れてますよ。あたしを心配してくれる気持ちは凄く有難いですけど、もう助かってるんです。今はご自分の事も気にして下さい」

 そう言って彼の項垂れたままの頭に向かって笑いかけると兜悟朗とうごろうはゆっくりと顔を上げて嶺歌を見た。

 彼の瞳は揺れながらも嶺歌れかの瞳に目を合わせ、こちらに慈愛の込められた目を見せてくる。

「髪もそうですけど、服も海に入ったままじゃないですか……何か羽織った方がいいですよ」

 嶺歌はそう言って兜悟朗から視線を逸らす。

 兜悟朗は嶺歌を陸まで救い出し、医務室に運んだ後すぐに自身の予備のティシャツを嶺歌に着せてくれていた。そのため今彼の手元には羽織るものが何もない状態だった。

 先程はそれどころではなかったが、今改めて見ると兜悟朗の何も着ていない上半身は、水に濡れている事も重なっているせいかいつも以上に破壊力が凄い。

 初めて目にする兜悟朗の身体は鍛えられているのが一目瞭然であり、それはどれだけの努力をして身に付けてきたものであるのか、素人目から見ても分かる程のものだ。

 嶺歌は思わずごくりと生唾を呑み込んで兜悟朗にそう告げると彼はようやく声を発してくれる。

「仰る通りですね、今の僕は見苦しい姿でした。大変申し訳御座いません」

「えっいや、全然見苦しくはなくて!? ただ拭かないと気持ち悪くないのかなって……!」

 予想の斜め上の言葉に嶺歌は焦りながら彼の方へ顔を戻す。

 すると兜悟朗はそんな嶺歌の表情を目にしたためか、久しぶりに柔らかく笑みを溢してくれた。

(わあ……)

 彼のこの笑みが好きだ。死ぬと思った直前にも思い浮かんだのは兜悟朗の優しげな笑顔だった。

 嶺歌はそれがまたこの目で見られた事に嬉しい気持ちを抱きながら彼を見つめていると兜悟朗はゆっくりと立ち上がり、嶺歌の両手をやんわり解放する。

(あ……)

 彼の離れた手に少しの名残惜しさを感じながらも嶺歌は兜悟朗を見上げた。

 兜悟朗はこちらを優しく見つめたまま「少々席をお外しします。直ぐにお戻りしますのでお待ち頂けますと幸いです」と言葉を残して医務室を出て行った。きっと本当に彼は直ぐに戻ってきてくれるのだろう。そんな事を思い自然と口元が緩む。

 兜悟朗は宣言通り数分してから直ぐに嶺歌の元へ戻ってきた。

 しかし数分で本当に終えられたのかと疑ってしまう程に彼の身なりは丁重に整えられ、どこを見てもいつものきっちりとした兜悟朗の姿がそこにあった。

 髪は綺麗にセッティングし直され、その上衣服も先程着用していたシャツを羽織り水着のズボンも履き替えられていた。彼の濡れていた形跡は綺麗に全くなくなっている。

 そんな事が人間に可能なのかと疑ってしまうくらい、兜悟朗の装いは正されていた。

「大変お待たせ致しました」

(さすがすぎる……)

 嶺歌はそう心で思うのであった。


第四十三話『救助』終

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