お嬢様と魔法少女と執事

星分芋

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後日談『ファーストキス』

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 三月。卒業シーズンのこの時期、卒業証書を手にした和泉いずみ嶺歌れかは数多の友人からの呼びかけで教室を転々としていた。

「れかーっ! 次こっちきて!! 写真とろうよ~!!!」

「おけ!」

 写真撮影の呼びかけが四方八方から降りかかり、それを嬉しく思いながらもしかし嶺歌は別の事に頭がいっぱいとなっていた。

(今日……なんだ)

 パシャパシャとシャッター音が鳴り響く教室で、嶺歌は向けられたカメラに視線を合わせ笑いながら、器用に頭の中で今日起こるであろう事柄に気持ちが踊り出す。そう、今日は――――恋人である宇島うじま兜悟朗とうごろうと約束を交わした日だった。

――――――あたし今日、兜悟朗さんとファーストキスできるんだ…………

 正直卒業を悲しいとは思わなかった。むしろこの時をずっと心待ちにしていた。

 何故なら嶺歌は、兜悟朗と交際を始めてから今日この日までずっと待ち焦がれていたのだ。

 恋人との初キスを。初めての恋人らしい一歩進んだスキンシップを――。



嶺歌れかぁ~!! 連絡してね! 私もするから!!」

「レカちゃんまた遊びに行こうね!」

「嶺歌ちん~っ! ちょくちょく会おうねえ~~!」

 数々の友人から涙ながらに別れを告げられ、嶺歌は皆に元気な笑みを返して言葉を返す。

 そうして友人らとの挨拶を終えると、嶺歌はスマホで素早く恋人に連絡を送っていた。

『友達と別れの挨拶終わりました! 今から向かいます』

 そう短いメッセージを送り、急いで足を動かす。

 すると直ぐにレインの通知が鳴り、兜悟朗とうごろうから返事がきた事に口元が緩んだ。本当に、彼の返信はいつも早い。

 付き合って約一年半、一度も兜悟朗からの返信が遅い事はなかった。

 兜悟朗とうごろうと正式にお付き合いを始めてからも兜悟朗と嶺歌れかの関係は順調だ。

 彼と二人きりで過ごす時間は一気に増え、幸せな日々が嶺歌の心を癒してくれている。

 兜悟朗と二人きりで会う機会は多かったが、彼の主人であり、嶺歌の友人でもある形南あれなと三人で会う事もよくあった。

 そして、形南の恋人である平尾を含めた四人でのダブルデートもそれなりの回数を重ねていた。全員今でも仲が良い。

 そう言えてしまうほど周りとの交友関係はとても順調に進んでいた。

 一点だけ欲を言うならば、それは兜悟朗とのスキンシップが本当にキス未満であり、あわよくばそれ以上の接触を嶺歌が求めているという点だった。

 彼の紳士的な性格は付き合ってから一度も緩むことがなく、彼は終始嶺歌とのキスを遠ざけていた。

 嶺歌も兜悟朗の意向は尊重したかったので、我慢をする覚悟ではいたのだが、どうしても二人きりで甘い時間を過ごしていると誘惑というものが出てくる事も否めなかった。これはキスをするしかないのではと思うような場面はこれまで何度もあった。

 景色の良い空の下で、穏やかな時間を過ごしている時。美しい夜景を二人で眺め、目線が通い合った瞬間。

 どれもドラマや漫画ではそのままキスを交わすのだろうと誰もが予想するようなそんな瞬間が確かにあったのだ。

 しかし兜悟朗はそのフラグを見事に回避し、いつも紳士的な笑みを向けては嶺歌の頭を優しく撫でるのであった。

――――――そういうとこも大好きだけど……やっぱりしたい。

 それが嶺歌の本音だった。だが彼にそれをぶつけた事はない。仲違いなどしたくはないし、困らせるのも嫌だったのだ。だからこそ、嶺歌はこの一年半を耐えてみせた。そしてそれが今日――――終わるのだ。

(兜悟朗さん……!)

 校門の方まで足を運ぶと、校門付近で長身の男性が立っている姿を視界に入れる。

 あの素敵な佇まいは嶺歌の大好きな兜悟朗の姿だ。嶺歌は口元が緩むのを抑えきれずに駆け足になるとそのまま兜悟朗の元まで走って行った。

「兜悟朗さん!!!」

「嶺歌さん、お疲れ様でございます。ご友人とはもう宜しいのですか?」

 兜悟朗とうごろう嶺歌れかの頭を優しく撫でながら、柔らかい微笑みを向けてそう尋ねてくる。

 彼は嶺歌と付き合い始めてからこうして嶺歌の髪を撫でてくる事が多かった。それがまた嬉しく、嶺歌は彼のその大きな手の温もりに気持ちが高鳴る。

「大丈夫です。写真はめっちゃ撮ったし、話したい子とは全員話し終えましたから!」

 そう言って兜悟朗を見上げて笑みを向けると、彼は目を細めながら「そうですか、それは良かったです」と本当に自分の事のように嬉しそうな笑みをこぼしてきた。

「ご卒業おめでとう御座います」

 そしてそう言って愛おしげな笑みを向けながら、嶺歌の髪を優しく梳いてくる。

 本当に、嶺歌を見つめる彼のこの慈愛に満ちた表情が好きだ。

 嶺歌は緩む頬を戻す事もせず、兜悟朗の腕に自身の腕を絡めるといきましょうと声を掛けた。そうしてすかさずあの事について念押しをする事にした。

「あたしはいつでもいいですからね」

 言わずもがなキスの件である。

 あまりがっつきすぎるのも乙女としてどうなのかと思うのだが、やはりアピールはしておきたい。自分は兜悟朗とそれほどまでにスキンシップを高めたいのだ。

 兜悟朗はどう返して来るだろうとドキドキした思いで見上げてみると、彼は口元を綻ばせながら「はい」と笑みを返してくるのであった。それを目にして嶺歌の気持ちは一層高まりだす。

「随分長らく嶺歌さんをお待たせしてしまいましたね」

 兜悟朗はそう一言付け加えると、嶺歌の絡めた腕をそっと優しく引き離してから、嶺歌の手に自身の手を絡めてきた。

 恋人繋ぎと呼ばれるその繋ぎ方に、顔を上気させたまま彼を見ると、兜悟朗はしっかりと指を絡めながらこう言葉を口にした。

「貴女の方から言わせてしまい、申し訳ありません。お約束は忘れておりませんのでどうかご安心下さい」

「何より僕もこの日を楽しみにしておりました」

「……っ」

 彼のその表情に、そして思いがけぬ言葉に、嶺歌は釘付けになる。

 兜悟朗の視線は先程と変わらず優しいものであったが、それは恋人である嶺歌にしか向けられる事のない特別な視線だった。

 愛おしい者にだけ向けられるのであろう慈しみの込められたその目付きは、瞳が合うだけでこちらの鼓動を一気に速めてくる。

(駄目だ、かっこよすぎ……)

 嶺歌は兜悟朗の視線に酔いしれながら彼にリードされ、そのまま足を進めていた。

 兜悟朗とうごろうは今回徒歩で迎えに来てくれていた。なんでも向かいたい所があるのだと、嶺歌れかに提案してくれていたのだ。

 特に希望の場所もなかった嶺歌は彼の意見にすぐ賛同し、今日一日の予定は兜悟朗の計画した通りに過ごすことを決めていた。

 普段はいつも嶺歌に必ず行きたいところを尋ねてくれる為、こうして彼の方から全ての計画を練ってくれるというのは中々に新鮮だった。

「兜悟朗さん、休み取ってくれてありがとうございます」

 兜悟朗と指を絡めながら嶺歌は礼を告げる。今日は嶺歌の卒業式だからと、兜悟朗自ら事前に休みをとってくれていたのだ。

 嶺歌と付き合い始めてから兜悟朗は社会人が一般的に取得する休暇日数分を取得するようになっていた。

 形南あれなの強い要望というのもあったが、兜悟朗自身も嶺歌との時間を作りたいと彼の方から申し出てくれていたのだ。これには本当に嬉しい思いが湧き起こっていた。

「いえ、当然のことです。大切な恋人の晴れの日ですから」

 兜悟朗は嶺歌のお礼にそう言葉を返してくると進めていた足を止めて嶺歌に向き直る。

 景色は建物ばかりの街並みから自然物の多い河川敷まで移動しており、人はほとんどいなかった。

 少し足を進めた先には人が集まるエリアがあるのだが、ここはちょっとした隠れスポットだった。兜悟朗と向き合う形となり、嶺歌はうるさくなりそうな心臓を鎮めようと小さく唾を飲み込む。

 これまでもこのような甘い空気になる事は何度もあった。だが兜悟朗は約束を守るため絶対に手を出してはこなかったのだ。

 しかし今日は違う。

 嶺歌は高校を卒業し、一つ大人へと近付いた。その証として、兜悟朗は嶺歌への口付けの約束を今日果たしてくれるのだ。その日がきたことが心から喜ばしく思える。

 しかし心の準備がとうに出来ているとは思っているものの、やはり先延ばしにしすぎたせいもあってか、緊張がこれでもかという程ピークに達していた。

 兜悟朗の優しい手がそっと嶺歌の頬に触れる。ピクリと彼の手に反応した嶺歌は、無意識に目を閉じていた。

 彼の瞳を見つめながら口付けをと思っていたのだが、緊張でそれどころではなかった。

 初キスというのは、何が正解なのか分からない。そんな事を考えながら彼からの接吻を待つ。

 兜悟朗の手は、いつの間にか嶺歌の肩に両手で添えられ、彼の気配を感じたと同時に――唇がそっと触れられていた。

「……っ」

 触れて三秒、兜悟朗の唇は離れる。嶺歌は硬直したまま自身の身に起きた事を噛み締めていた。今自分は初めて、大好きな人とキスを交わしたのだ。

「兜悟朗さ……」

 そう彼に話しかけようと思った時、嶺歌は兜悟朗に腕を引かれていた。

「嶺歌さんとこの日を早く迎えられないだろうかと、常々つねづね思っておりました……」

 兜悟朗とうごろうはそう言うと嶺歌れかの体をそっと抱き寄せ、そのまま優しい抱擁を交わし始める。

 口付けを我慢していたのは嶺歌だけではないのだと、彼の言動からすぐに感じ取っていた。兜悟朗も嶺歌と同じように、この日をずっと待ち侘びてくれていたのだ。それが彼の温もりから痛いほど伝わり、嶺歌は嬉しい気持ちに駆られる。

 そして彼の温かなその体温に、安心感と緊張を覚えながら嶺歌がゆっくり背中に手を回すと、兜悟朗の温かい何かが嶺歌のつむじに触れる。分かっている。これは彼の唇だ。

(つむじにチューされた……)

 彼からの愛情表現が加速しているのは気のせいではない事を間違いなく感じながらも、嶺歌は照れ隠しで背中に回す力を少し強める。そうして数秒の間を温かな抱擁で満たすと、兜悟朗の方から再び口を開いてきた。

「嶺歌さん、お渡ししたい物が御座います」

「え?」

 彼の腕がそっと解かれ、互いに見つめ合う。

 嶺歌が驚いていると兜悟朗は嶺歌の手を持ち上げ、手の甲にそっと優しく口付けを落としてくる。それから懐に隠されていた小さな箱を取り出すと、嶺歌に見えるように丁寧に箱の中身を見せてくれた。

「うそ……ゆびわ? えっ!?」

 それは可愛らしいアメシストの石が一つ、リングの中心に埋め込まれた美しい指輪だった。

「アメシストの指輪です。ご卒業され、大人への一歩を進み始めた嶺歌さんに付けて頂きたくご用意しました」

 兜悟朗はそう言うと優しい手つきで嶺歌の指に指輪を嵌め始める。

 兜悟朗らしい事に、指輪のサイズは驚くほどピッタリであった。指輪のサイズを測ったことなど一度もないのだが、流石は兜悟朗である。

 彼は鋭いその洞察力と観察眼で嶺歌の指のサイズを的確に目視で判断したのだろう。人間業とはとても思えない、人並みはずれた事が出来てしまうそんな人なのだ。

 嶺歌は自身の指に嵌められた小ぶりの小さく華麗な指輪を見つめていると、そのまま兜悟朗の大きな手で包み込まれる。

「何故、アメシストをお渡ししたのかお分かりになりますか?」

「アメシストの意味は……」

 アメシストの石言葉を考えようと思考を始めた嶺歌に、兜悟朗とうごろうは優しい目つきでこちらを見据え、嶺歌れかの口元に人差し指を当ててきた。その仕草に、嶺歌はドキンッと胸が高鳴る。

「勿論意味合いはとても大切です。ですが今回に限っては、石言葉は後付けなのです」

「? じゃあなんでアメシストに?」

 紫色が綺麗に美しく輝いたアメシストの指輪は、嶺歌から見てもうっとりしてしまうほどの美しさを放ち、何度見ても飽きないそんな艶やかさを持っている。

 しかし兜悟朗がこの石を選んだ本当の意味は、見当がつかなかった。

 兜悟朗はそんな嶺歌を嬉しそうに見つめるとゆっくり口を開き、答えを教えてくれた。

「はい。アメシストは二月の誕生石で御座います。僕の誕生月ですので、嶺歌さんのお手元に置いていただきたかったのです」

(あ……そういう…)

 本当の意味を知り、それに赤面をしかけていると、唐突に彼からの口付けが嶺歌の唇に落ちてくる。嶺歌は予想外の展開に思わず目を見開いた――。

「お恥ずかしながら、僕の身勝手なお願いとなります。どうか、こちらを受け取って下さいますか?」

 兜悟朗とうごろうは唇を離すと、近距離でこちらの視線を真っ直ぐに見つめてそのような言葉を放ってくる。

 二度目のキスに嶺歌れかの顔は真っ赤になっていた。反則だ。ずるい。そして懇願するような彼のお願いは、嶺歌にとって褒美のようなものだった。

「そんなの……当たり前です。めっちゃ嬉しいんで……」

 嶺歌が上目遣いでそう言葉を返すと、兜悟朗は笑みを向けてからありがとう御座いますと柔らかな言葉を返してきた。そうして満足そうにこちらから離れる兜悟朗を今度は嶺歌が――追いかける。

 兜悟朗の離れかけた身体を腕を掴んで引っ張ると、そのまま嶺歌は兜悟朗に正面からしがみついた。そうして彼の身体にしっかりと手を回し、こう言葉を紡ぐ。

「もう一回、したいです。して下さい……キス」

 緊張で押し潰されそうになりながらも、自身の強く望んだ意思を伝えると、兜悟朗は優しい手つきでこちらの両頬を包み込み、もう一度優しい口付けを落としてくれる。

「……」

 幸せな思いが嶺歌の心中を駆け巡っていく。静かで温かいキスが終わると、嶺歌は兜悟朗に視線を合わせ、言葉を発した。

「兜悟朗さん、だいすき。指輪ありがとう御座います。絶対毎日手放さないので」

 そう言って今度こそ彼から距離を取った。兜悟朗は呆気に取られた様子で、しかしすぐに表情を普段のものへ戻すと、そのまま穏やかに笑みを向ける。

「僕も嶺歌さんがとても大好きですよ。先程の貴女からのご要望も、とても可愛らしく嬉しいです。本日も大変思い出に残る素敵な一日となりました」

 兜悟朗が柔らかく笑うと、嶺歌の心はすぐに奪われる。彼からのその一言で嶺歌の心はもう十分に満たされ尽くしていた。

 暫し兜悟朗と優しい穏やかな時間をその場で過ごすと、どちらからともなく足を進めて美しい夕陽を眺め、心地よい風に吹かれながら散策を続けるのであった。終始、互いの指を絡め合わせながら――。


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