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第十一章 天下平定
第60話 建国の舞
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辛酉の年の新春、磐余彦は木の香も芳しい橿原宮で即位した。
清浄な空気に包まれた朝殿には、道臣ら日向以来の家臣に加え、旧ヤマト政権で政務を執った重臣たちがずらりと並んでいる。
その中には事代主や前王ニギハヤヒの姿もある。
中央奥の一段高い場所に玉座が据えられ、磐余彦が厳粛な面持ちで座っている。
磐余彦が召しているのは蚕の繭糸を紡いでつくられた装束で、赤みがかった深い黄色をしている。
養蚕は弥生時代には日本にすでに伝わっており、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝に献上した品物の中にも、「倭錦」つまり絹製品があったことが記されている。
端然と整えた美豆羅からは、香油のよい匂いが漂ってくる。
頭に被った冠には流麗な金の細工が施され、翡翠や瑪瑙などの宝石が飾られている。
腰に佩いているのは天照大神から賜った|神剣布都御魂剣である。
どこから見ても眩いばかりの威厳に満ちた出で立ちだが、磐余彦は少し気恥ずかしそうにしている。
「なんだか立派すぎて居心地が悪い」
傍にいた道臣や来目にだけ聞こえる声で囁いた。
「よくお似合いです」
道臣が励ますようにいった。
その道臣も、汗と泥にまみれたぼろぼろの貫頭衣を脱ぎ棄て、目の覚めるような緋色の装束を纏っている。
大王に仕える重臣としてふさわしい、凛とした風格を備えた美丈夫である。
「馬子にも衣装って、兄いみたいなのを言うんだなあ」
「なんだと!」
来目の冷やかしに、道臣は顔を真っ赤にして拳を振り上げた。
「これ、大王の前で慎みなさい」
椎根津彦がたしなめる。
剣根や弟猾、八咫烏、弟磯城改め黒速もいる。
彼らもみな白絹の衣に身を包み、大王の側近として心を一つにしていく覚悟である。
磐余彦の脳裏には、死んでいった五瀬命や稲飯命、三毛入野命ら三人の兄や、郷里に帰った隼手ら多くの仲間のことが浮かんだ。
彼らの遺志に必ず報いなければならない、と磐余彦は心に誓った。
滞りなく儀式が終わり、つづいて即位を寿ぐ舞が奉納された。
掃き清められた舞台の上に、道臣が腰に剣を佩いて立つ。
凛々しくも、きりりと引き締まった涼やかな貌である。
女官たちが眩しそうに眺め、思わずため息を漏らす。
玉座に向かって一礼した道臣が表を上げたのを合図に、篳篥(縦笛)や龍笛(横笛)が奏でられる。
神風の 伊勢の海の 大石にや
い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ
道臣の舞は荘厳で力強く、躍動感に溢れている。
やがて舞に三人が加わった。来目と椎根津彦、弟猾である。
その頃には軽妙さや優美さが混じり、一転して華やかな宴になった。
四人の舞人の流れるような手振りと足捌きが揃う場面は、息を呑むほど美しい。
舞が最高潮に達した頃、舞人は一斉に床を踏み鳴らし、力強く剣――破邪の剣――を振り下ろして舞が終わった。
勇壮で華麗な来目(久米)舞は、今も宮中儀式で披露される日本最古の歌舞である。
会衆は一斉に立ち上がり、歓声を上げていつまでも酔い痴れた。
「大王万歳!」
「大王よ弥栄に!」
誉め称える声を浴びて、磐余彦は莞爾と笑った。
――天神よ、吾と、吾の志を継ぐ者たちの国造りをご照覧あれ。
磐余彦の横では皇后の踏鞴五十鈴媛が微笑みを湛えて寄り添っている。
鵄のイツセも新しき国の誕生を祝うように空高く舞った。
それから間もなく、磐余彦の大王(天皇)即位の報せが国中に轟いた。
今に続く皇統初代、神武天皇の政の始まりである。
(了)
清浄な空気に包まれた朝殿には、道臣ら日向以来の家臣に加え、旧ヤマト政権で政務を執った重臣たちがずらりと並んでいる。
その中には事代主や前王ニギハヤヒの姿もある。
中央奥の一段高い場所に玉座が据えられ、磐余彦が厳粛な面持ちで座っている。
磐余彦が召しているのは蚕の繭糸を紡いでつくられた装束で、赤みがかった深い黄色をしている。
養蚕は弥生時代には日本にすでに伝わっており、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝に献上した品物の中にも、「倭錦」つまり絹製品があったことが記されている。
端然と整えた美豆羅からは、香油のよい匂いが漂ってくる。
頭に被った冠には流麗な金の細工が施され、翡翠や瑪瑙などの宝石が飾られている。
腰に佩いているのは天照大神から賜った|神剣布都御魂剣である。
どこから見ても眩いばかりの威厳に満ちた出で立ちだが、磐余彦は少し気恥ずかしそうにしている。
「なんだか立派すぎて居心地が悪い」
傍にいた道臣や来目にだけ聞こえる声で囁いた。
「よくお似合いです」
道臣が励ますようにいった。
その道臣も、汗と泥にまみれたぼろぼろの貫頭衣を脱ぎ棄て、目の覚めるような緋色の装束を纏っている。
大王に仕える重臣としてふさわしい、凛とした風格を備えた美丈夫である。
「馬子にも衣装って、兄いみたいなのを言うんだなあ」
「なんだと!」
来目の冷やかしに、道臣は顔を真っ赤にして拳を振り上げた。
「これ、大王の前で慎みなさい」
椎根津彦がたしなめる。
剣根や弟猾、八咫烏、弟磯城改め黒速もいる。
彼らもみな白絹の衣に身を包み、大王の側近として心を一つにしていく覚悟である。
磐余彦の脳裏には、死んでいった五瀬命や稲飯命、三毛入野命ら三人の兄や、郷里に帰った隼手ら多くの仲間のことが浮かんだ。
彼らの遺志に必ず報いなければならない、と磐余彦は心に誓った。
滞りなく儀式が終わり、つづいて即位を寿ぐ舞が奉納された。
掃き清められた舞台の上に、道臣が腰に剣を佩いて立つ。
凛々しくも、きりりと引き締まった涼やかな貌である。
女官たちが眩しそうに眺め、思わずため息を漏らす。
玉座に向かって一礼した道臣が表を上げたのを合図に、篳篥(縦笛)や龍笛(横笛)が奏でられる。
神風の 伊勢の海の 大石にや
い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ
道臣の舞は荘厳で力強く、躍動感に溢れている。
やがて舞に三人が加わった。来目と椎根津彦、弟猾である。
その頃には軽妙さや優美さが混じり、一転して華やかな宴になった。
四人の舞人の流れるような手振りと足捌きが揃う場面は、息を呑むほど美しい。
舞が最高潮に達した頃、舞人は一斉に床を踏み鳴らし、力強く剣――破邪の剣――を振り下ろして舞が終わった。
勇壮で華麗な来目(久米)舞は、今も宮中儀式で披露される日本最古の歌舞である。
会衆は一斉に立ち上がり、歓声を上げていつまでも酔い痴れた。
「大王万歳!」
「大王よ弥栄に!」
誉め称える声を浴びて、磐余彦は莞爾と笑った。
――天神よ、吾と、吾の志を継ぐ者たちの国造りをご照覧あれ。
磐余彦の横では皇后の踏鞴五十鈴媛が微笑みを湛えて寄り添っている。
鵄のイツセも新しき国の誕生を祝うように空高く舞った。
それから間もなく、磐余彦の大王(天皇)即位の報せが国中に轟いた。
今に続く皇統初代、神武天皇の政の始まりである。
(了)
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