恋降る物語

まぽわぽん

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噂以上、噂未満の。

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「お前、この程度も覚えられないのか?クソか?」
「いい加減にしろ。ミスを多発する才能には脱帽だ。女だからって甘えるな、甘やかせるつもりもねぇよ」

バイト先の先輩はパワハラ予備軍だろうか?常々思っていた…。
クソと呼ぶなら先輩の性格も上等なクソだ!
今日こそ、バイトを辞める決心とともに先輩の鼻っ面にパンチを見舞ってやる。
今までの、蓄積された“我慢”と“忍耐”をまとめてぶつけてやらぁ!
鼻息も荒く、バイト先のコンビニに到着した。

「ほらよ、箒と塵取り。掃除行ってこい」

始業の挨拶もそこそこに、先輩は冷ややかに掃除道具を差し出す。チッ。今日の舌打ちは私からだ。
ガツッ!と掃除道具を弾き飛ばし、私の手はそのまま先輩の顔へと向かうつもりだった。
そう、つもりだった…。

「わ!わぁーっ!」

あろう事か、ワックス塗り立ての床に足が滑ったのだ。同時に手の行き先も滑る。
あろう事か、向かうべき嫌味な顔に…ではなく、身体の勢いは先輩を押し倒し、私の手は先輩の股間を鷲掴みにしていた。

「あ…」
「う…」

どっちが「あ」でどっちが「う」だなんて、もはやどうでもいい呻き。
顔が赤面なのか蒼白なのか、互いに逸れて汗がドッと吹き出していた。

「手、退かしますね…」
「あ、いや、待ってくれ。振動はまずい…。俺、過度な敏感肌なんだ。その、出ちゃ…いや、何でもない」
「出…?」

かぁぁぁ
意味を察して頭から湯気が出る。
よもやの事態だ。
先輩もいつもの冷静さはどこへやら、顔を真っ赤にして恥辱に震える乙女のよう。

手で触れる股間の勢いに、日頃の怒りはスーッと鎮火した。“我慢”と“忍耐”は、確実に先輩を襲っている。もう十分だろう。

「ゆっくり外しますから」
「あ、ああ…」

振動を最小限に手を退かすと、どちらともなく安堵の息が漏れた。
そして、場の気まずさを打ち消すように来客を告げる軽快なリズムが店内に流れる。
落ちた箒と塵取りを拾った。

「…掃除、行ってきますね」
「あぁ」

レジに向かう先輩は口元に手を当て、ふと立ち止まる。
振り返らずに「秘密にしてくれよ」と言うものだから、言葉のパンチを見舞うことにした。

「私が先輩に“ギャップ萌え”したことも秘密にしてくれるなら、良いですよ?」
「…恥ずかしい奴」
「お互い様ですぅ」


掃き掃除が終わり店前のゴミ箱の袋を交換していると、「いつもありがとね」のんびりとした風体で店長が話し掛けて来た。

「君といつもシフト一緒の梶君ね、噂では“意地悪”とか“冷たい”とか散々言われてて辞めちゃう子も多いのだけど、仕事もよくやってくれるし接客も丁寧で良い子なんだ。誤解しないであげてくれると良いなぁ」

大量のゴミが入った袋を縛りながら頷く。
噂は真相を得てから判断するべし!

「大丈夫です。お気に入りですから」

不敵に笑う私に、店長はニコニコしながら店内に入って行った。

-fin-
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