姫宮瑠璃

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入学③

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教室の窓の外からは、テニス部のボールがラケットに当たる小気味良い音、廊下に出ればバッシュが床を滑る音とドリブルの腹に響く音。
テニスコートと体育館に近い教室は、運動部向きだ。
朝練でも部活でも、遅れる心配が少ない。
体育館の方に背を向け、私は瀬戸さんと生徒玄関の方へと歩いていった。
もちろん、帰る訳ではない。
玄関前の階段を使う為だ。
2階、3階には、教室近くの階段でも行けるが、上の学年の教室前を通る事になる。
まだ入学したての私は、恥ずかしさがあって、瀬戸さんにこちらの階段から行く道を提案したのだ。
私達が今日向かおうとしているのは、茶華道部と書道部、そして古典部だ。
2階に上り、ピアノ室の並ぶ渡り廊下を渡れば、共学クラスの普通科と商業科のある棟だ。
東側が教室、西側が学科教室に分かれていて、2階の共学棟には、茶道室、給湯室、書道室、書道準備室、資料室がある。
茶道室は、廊下まで女生徒で埋まっていた。
入部するかどうかはともかく、お菓子を食べれると集まったのだろう。
交代で中から出て来る人の中には、新聞紙に包んだ花を持っている人もいる。
華道体験では、花を貰えるようだ。

「どうする?だいぶ待たされそうだけど。」
「そうだね。先に書道部を見に行ってみようか。」

書道部は短冊に筆ペンで好きな字を書いて、栞を作ると言う体験をやっていた。
教室の中に作品を掛けてあるが、誰も見ている様子はない。
茶華道部待ち、栞を持って帰れるからと来ているだけのようだ。
こちらも人が多く、順番待ちだったので、私達は後回しにする事にした。
一番奥の資料室。
人気の無いドアを開けて、声をかける。
部屋に入った瞬間、コーヒーの甘い香りが鼻をついた。

「いらっしゃい。」

本棚が並ぶ奥、窓際に会議机とパイプ椅子があり、男子生徒が1人いた。

「楠先輩、お久しぶりです。」

瀬戸さんが、その男子生徒に声をかける。

「ん?・・・瀬戸?」
「はい。」
「え。・・・▲▲高校じゃなく、うちの学校受けたの?」
「はい。入学しました。」
「だってお前、成績凄く良いのに・・・。」
「進学思考の強い▲▲高校じゃなく、自由な校風の●●高校を選んだんです。」

男子生徒は、困った顔をして瀬戸さんを見ている。
瀬戸さんは、表情を変えずに凛と立っているが、緊張しているのか掌は握られていた。

「・・・まあ、座って。今、コーヒーを入れようとしていた処だから。」

男子生徒は、コーヒーミルで豆を挽いている途中だった。
追加の豆を足す。

「僕は、2年の楠かなで
瀬戸とは、同じ中学の先輩後輩なんだ。」

コーヒーミルを回しながら、楠先輩は私を見て、自己紹介をした。

「日下部葵です。」

私も自己紹介する。

「日下部さんは、瀬戸と同じクラス?」
「はい。そうです。」
「そう。」

何故か、空気が重い。

「えーと、あの、古典部は何をする部活なんですか?
他の部員さんは、まだいらしてないんでしょうか?」

息苦しい空気を変えようと、私は部活の事を聞くが。

「古典部は、何をやるか決まってない部活なんだ。
だから、本を読んだり、お茶をしたり、のんびりしたり。」
「はい?」

何か聞き間違いをしたような?

「部員は、昨年まで先輩達がいたんだけど、今年は今のところ、僕だけだね。」
「え・・・。」
「まあ、顧問の先生はちゃんといるから。
もうそろそろ、来る頃だよ。」

楠先輩は、コーヒーメーカーにフィルターを乗せ、挽いた粉を入れた。
沸騰させたポットのお湯を注いでいく。
甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
壁際のガラス付きの戸棚から、コーヒーカップとソーサーを出してくる。
色違いの草花が描かれた、可愛らしい物だ。
楠先輩は、それを机に4セット並べた。

「え。4つ?」
「先生の分ね。」

抽出終わったコーヒーをカップに入れていく。
4つとも。

「あ、あの!冷めちゃうんじゃ・・・。」

そう言った私に楠先輩はニコリと笑いかけ、「どうぞ」と私達にコーヒーを差し出した。

「砂糖とミルクはお好みで。」

そう勧めると、自分の元にもコーヒーを、そしてその隣の席にもコーヒーを置いた。
そして椅子に座る。
4つ目のカップが気になりつつも、私は砂糖もミルクも入れずにコーヒーを口に運んだ。

「おいしい・・・。」

いつもはコーヒーではなく、どちらかといえば紅茶、大抵は日本茶な私は、コーヒーを飲むならば砂糖もミルクも入れるのだが、目の前で手ずから豆を挽く処から入れてくれた物に対して、敬意を払って入れなかった。
苦さを覚悟して飲んだ
ブラックコーヒーは、あまり苦さを感じない物だった。
私と瀬戸さんがコーヒーを口にしたのを見てから、楠先輩はコーヒーを口にした。

ガラッ。
ドスドスドス。

ドアが乱暴に開き、誰かが足音荒く入ってきた。
後ろを振り向いて確認する時間もなく、荒々しく入って来たのは、保科先生だ。
楠先輩の隣に座ると、コーヒーを一気に飲み干した。

「楠、おかわり。」
「はい。」

楠先輩は、笑顔で席を立つと保科先生のカップを持って、コーヒーのおかわりを入れに行く。

「で、お前ら、入部だな?ほら、今書け。」

保科先生は、手近の棚から何か印刷されたプリントを取って裏返すと、ワイシャツの胸ポケットからボールペンを取り出して私達の前に置いた。

「先生。彼女達は見に来ただけです。
それに、入部しません。」

楠先輩は、先生の前にコーヒーを差し出すと、釘を刺した。
まだ私達は、入部するとは言ってないが、入部しないとも言ってないのだが。
楠先輩は、まるで確定事項のように言い切っている。

「いいえ!私達、入部します!」

私の横で、瀬戸さんが反論した。

「え・・・?」
「私も日下部さんも、入部します!」

もう一度そう宣言すると、瀬戸さんは目の前のプリントに『古典部 瀬戸朱音』と書き、私にボールペンを差し出して、上目遣いで首を傾げた。
仔犬が遊んで欲しいと言っているかのような仕草に、私は内心溜息を吐きながら、ボールペンを取った。
まあ、どの部に入るか決めていた訳でもないし、栗山さん達と一緒になる事もないだろう。
私は、瀬戸さんの名前の下に、自分の名前を書いた。
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