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彼女はだあれ?
しおりを挟む「ただいま~…わたぁっ」
「おかえり~! 彼方遅いよ、急いでっ早くっお腹空いたっ! だからケーキ食べよっ!」
飛び跳ねるように出てきた美紗に腕を引かれて、俺はすっころびそうになった。
「ちょっ…痛いって…つーか俺、まだ靴脱げてないから」
このままだと土足になっちまう。と言え彼女はきょとんとした表情で。
「…すごいよ~! 珍しいよ~! わたしが彼方におかえりって言ってる! おかえりだって! 普段だったらただいまばっかりなのに! もしかしてはじめてかも知れない!」
彼女は興奮した様子ではしゃいでいる。つまり、俺の話なんて聞いちゃいねぇ。
ちなみに言っておくが、今までにも仮退院をしているときに、「おかえり」と言われたことはある。
俺は彼女の様子に何となく違和感を覚えた。……何か違う。
でもこれは、退院したてで、独りで過ごす夜と違うからなんだと思って、すぐに忘れた。
「ただい……お、美紗、おかえり。久しぶりだな。これ、退院祝いだ」
「おかえり~お父さん! おっきなテディベアだね~ありがとうっ! あのね、お母さんがケーキ買ってくれてるの、ご飯の前に食べちゃおうよ~!」
片腕にしっかりくまのぬいぐるみを抱きしめつつ、父さんの腕に掴まりながら、早く早くと急かしていると、廊下の奥から声が響いてきた。
「ミサ~! ケーキはデザートなんだから、冷める前に夕飯よ!」
母さんだ。それを聞いて父さんは助かったとばかりに美紗の頭を撫でる。
「……ほら、母さんもああ言ってることだし、とりあえず中に入ろうな」
美砂はというと、ぷぅ~っとシマリスのように頬を膨らませて、上目遣いで睨んでいる。……とりあえず、美紗は小さいんだと再認識した俺。それこそ今更な話だが。
玄関で固まっていた三人がリビングに行くと、テーブルの上には母さん手作りのグラタンと特製サラダが並んでいた。
「きゃ~グラタンだ♪ グラタン♪ おいしそう!」
「おいしいに決まってるでしょう? 腕によりをかけたんだから。ホワイトソースだけでも絶品よ」
と、母さんの自画自賛を聞きながら口に運ぶと、自分で言うだけあってマジでうまい。
みんなが無言になって食事が進むのもいつもの光景だ。
その中で美紗だけが。
「あ~おいしい」とか「しあわせ~」とか「ほっぺた落ちそう~」とか零しながら左手で頬を支えて悦に浸ってる。
……姉ってこんなやつだったっけ?
美紗が食卓にいるってだけで普段とがらりと雰囲気が違うものなのか。……というか、なんか美紗が違いすぎないか?
そんなことを考えてるうちに、あっという間に夕飯が終わった。
楽しい時間はすぐ過ぎて、なんて言葉は正しいのかもしれない、と今初めて相対性理論を実体験したかもしれない。もちろん、全員ケーキまで食べた。
自分の部屋に上がって一息ついてからも、俺の胸に引っかかった何かがずっとしこりのようにのしかかっていた。
何だろう…何が違うんだ? 普段と何も変わらないじゃないか。違うとすれば…美紗が帰ってきたことくらいで。…………本当に美紗は帰ってきたのか?
首をかしげているとノック音がした。
「彼方? 入るよ~」
「……俺まだ何にも言ってないんだけど?」
返事も聞かずに美紗がガチャリと入ってくる。
「細かいことは気にしなくてもいいじゃない。姉弟なんだし?」
……やっぱりなんか違う。美紗はもっと……。
「せっかく退院できたんだから、たまには彼方の部屋に遊びに来てもいいかなって」
……なんなんだ、この違和感は。
「ずっと彼方がわたしの病室に来てくれてたでしょう? わたしもおしかけたいな~って――」
脳内を紅いワンピースがちらつく。
「――お前誰だ?」
「え?」
俺が話を遮って聞けば美紗は固まった。
「お前は誰なんだ?」
もう一度、繰り返す。
「本当にお前は美紗なのか?」
唐突に思われるかもしれないが、自分でも驚くくらいストレートに言葉が出た。
「未紗なんかおかしいよな。俺、帰ってきてから違和感しかねぇんだよ。今もずっと紅いワンピースがちらついてて…でも美砂はそんな服持ってねぇよな。形はこの前に母さんがかってきた白いやつなんだよ……それがだんだん紅く染まってグラデーションしていってんだよ……」
話していくうちに、次第に記憶が鮮明になっていく。
交差点で響いた鈍い音、声にならない叫び、染まりゆく服、冷たくなる身体、救急車のサイレン、手術中のランプ―――
俺は頭を抱えていた。なんだこれ、どこかに置いてきたものがふいに見つかったような感じは。
「なぁ、美紗……お前あのとき、事故で死んだよな?」
口にしたら欠けていたピースがすっぱり当てはまった。気がした。
「お前、さっきの事故で救急車で運ばれたよな? それで手術室に入って……それなのに俺は、いつの間にかお前に置いていかれたんだと思って帰ってきたんだ。でもおかしいよな。本当に手術室に入ったなら、なんで美紗が俺よりも先に帰宅してんだ? なんでそんなにぴんぴんしてんだ? ―――お前は誰なんだ?」
俺は問いつめる。彼女は表情が俯いて見えない。
「美紗?」
俺は美紗の肩をつかんで揺さぶった。彼女は壊れた人形のように首をうなだらせたまま顔を上げようとしない。
―――クス
髪のすれる音に混じって小さく響いた嗤い声。
それをきっかけに部屋の照明が薄暗くなった。肌寒さを感じて鳥肌が立つ。
俺は彼女の纏う空気の変化に戸惑って、揺さぶる手を止めた。
「彼方君はけっこう頑固者なのね」
女の人が電話口では声が一オクターブ高くなるのは知ってる。直前にどんなに怒鳴り散らしていても、「はい、もしもし」という声を聞いただけではまさか不機嫌の最高潮にいたなどということはわからない。
今の美紗の声はその間逆だった。
普段よりも一オクターブといわず二も三も低く、腹の底から響いてきたようだった。
そして彼女は俺のことを『彼方君』なんて呼んだことは今までに一度もない。いつも呼び捨て『彼方』だ。
俺の戸惑いを感じているのか、彼女は続けた。
「わたしはここにいるわ。『日吉美紗』の身体はここに、健康体として存在している。長年の闘病生活にピリオドを打って、待ち望んだ日常生活の第一歩を踏み外した『日吉美紗』だった身体が、あなたの目の前に」
肩に置かれた俺の手を下ろしながら、にこりと妖艶に微笑んだ。
俺は怖いと思いながらも、なんてきれいに笑うんだと思った。
「この人も可哀相よね…念願の自宅に着く前に事故に遭うんだもの。トラックが向かってきているのは見えていたのよ? 頭で分かっていても身体が反応できなかった。声ひとつ出なかったの。だから駆け出す一歩も出せなかった。あのトラックの運転手も居眠りしてたくらいだから、誰も動けない美紗に気がつかなかった。だから死んだの」
「……死んだ?」
彼女の言葉が理解しきれない。自分のことのはずなのに、どこまでも他人事のように客観的に話している彼女の言葉が。その中で唯一聞き取れた言葉をリピートしていた。
「そうよ、彼方君はそれを疑っているんでしょう? 安心していいわ、彼女はちゃんと死んだから。君は間違ってなんかないよ」
小学校の先生が、いいこいいことする要領で頭をなでる。
「大好きなお姉さんが死んじゃって、彼方君も、日吉のお父さんもお母さんも可哀相じゃない? でもわたしとしては、これ以上の幸運はなかったわ。ちょうど宿れる器を探していたの。だから、しばらくこの身体を借りるわ」
美紗の顔をした知らない誰かが、世間話の延長といわんばかりに話を進めてく。
「可哀相だとか……宿れる器だとか……わけがわかんねぇよ」
絞り出した声は頼りないくらい小さかった。
「説明、今してほしい? でも、彼方君の頭、混乱してない? 大丈夫だよ、朝になっても、わたしは消えない。『日吉美紗』だった彼女はもうここには居ないけど、お母さんもお父さんも、他の周りの皆だって、わたしを『日吉美紗』だと認識している。彼方君がわたしを受け入れてくれてさえいれば、こんなややこしいことにもならなかったんだよ? わたしのことは、明日教えてあげるよ。だからもう今日はお休み?」
そういって彼女は部屋の電気を落として、出て行った。
俺の意識は、彼女が出ていくのをにらみながら見届けたところで途絶えた。
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