暫定女将と拾われた傭兵

宮下ほたる

文字の大きさ
2 / 10

しおりを挟む


 翌朝。いつの間にか寝てしまっていたミシュリーヌは、肩になにか違和感を感じて目を覚ました。手を伸ばすと、半分に畳まれたシーツが掛けられていた。当然のことながら自分で羽織った覚えはない。


「あの…ありがとう、ございます」

 躊躇いがちに降ってきた、低い声にミシュリーヌは顔を上げる。宝石みたいな琥珀色の瞳がどこか懐かしい。

「貴女が、手当てをしてくれたんですよね。ご迷惑をおかけしました」

 掠れた声の彼は、ソファの上で半身を起こして頭を下げた。

 顔色はまだよくないが、起き上がれるほど回復していることに思考停止していた。いくらなんでも、早すぎない?

「……痛みは? ひどい怪我だったのだけど、事情の説明もしようがなくて、お医者様も呼べなかったの。ごめんなさいね」

 取り繕ったような言葉しか出てこなかったが、彼はあまり気にしていないようだ。

「身体が丈夫なだけが取り柄なので、大丈夫です。むしろ、屋根の下に入れていただいてありがとうございます」

 またペコリと頭を下げて、えへへと頬を掻く。

「ところで……自分はなんでこんな怪我していたんでしょうか?」

「それは私が知りたい」

 一体なにを言っているのだろうか。

「あなた、血塗れで外に倒れてたの。とりあえず応急処置しか私にはできなかったのだけれど。覚えていないの?」

「手の先から冷えていく感覚は覚えていのですが、そこに至るまでの理由がさっぱりで。あ、自己紹介がまだでした。自分は……誰でしょうね?」

「それも私が知りたい」

 この気の抜けるやり取りはなんなのだろうか。ミシュリーヌは脱力してソファにへたれた。

 不思議そうに両手を開いて閉じてを繰り返しながら、う~ん。と唸るのを聞きながら答えを待ってみるが、どうやらすぐには出てこないようだ。

「私は、ミシュリーヌよ。ミミでもミリィでも好きに呼んで。それよりもお腹は空いてない? 食べられそうなら、自慢のスープでもどうかしら」

 自分が空腹であることもあり、夜の残りを温めなおしてもいいだろう。彼も起き上がれるなら、おかゆを別に用意しなくても平気そうだ。

 絵に描いたような腹の虫が、ぐぅぅ…と返事をした。ミシュリーヌもくすりと笑う。

 名前がわからないなら、後回しでいいか。

 カーテンの隙間からは柔らかな光が射し込んでいる。昨日の雨は夜のうちに過ぎたようで、洗濯がはかどりそうな天気だ。

「すぐに用意するから、とりあえず着替えててもらえる? サイズはたぶん入ると思うのだけれど、あなたが着ていた服はさすがに着れたものでもないから、ほんとにとりあえず、ではあるのだけれど」

 腹の虫が元気な彼が、恥ずかしそうに赤面しつつ頷いたのを確認しながらミシュリーヌは鍋を温めに流しへと向かった。

 火をかければ、そう時間をかけずにスープは食べ頃になった。白パンと目玉焼きをつければ立派な朝食だろう。

 ソファの隣のテーブルにお皿を運び、二人でいただきます、と手を合わす。

 挨拶のあとはしばらく無言のまま、かちゃかちゃとカトラリーの音だけが響く。

 一人でいる時とも、お店を開いている時とも違う、静かすぎず騒がしすぎない空間。目の前でその空気を作っているのが、身元不明の怪我人だと誰が信じるだろうか。

 なんとなくなんですが、と彼がおもむろに口を開く。

「なんとなくなんですが、エディ、と呼ばれていた気がします。愛称だとは思うんですが、ほんとうになんとなく」

 お皿の中身をすっかり空にして憂い顔をされても、ミスマッチなことこの上ない。ミシュリーヌは笑い出さないように気をつけた。

「呼び方がないのも不便だから、貴方のことをひとまずはエディって呼ばせてもらうわね。それだけ食べられるなら、身体の中もおかしなことになってないだろうけど、まだしばらくは休んでた方がいいと思うの。とりあえずは、ベッド使ってもらえると嬉しいわ」

 ソファ横に用意している簡易ベッドに押しやり、二人分の食器をさげる。エディも片付けようと手を伸ばしたかったが、テーブルの上はあっという間にきれいになった。

 ミシュリーヌにとってはいつものことなので、流しにさげた食器も手早く洗っていく。
 洗いながら思うのは、彼の警戒心の無さについて。
 あれだけの手傷を負って、目が覚めたら知らないところで知らない人間が出す料理を躊躇なく食べるだなんて。気持ちのいい食べっぷりに、怪我人だということを忘れてしまいそうだけれど。
 エディ、と自称できる程度には思考ははっきりしているようだ。
 名前のわからないお客様を相手にするのは、珍しいことでもないので慣れている。さすがに、記憶をなくしている人を相手にするのは経験がないけれど。

 だれかに相談した方がいいだろうか?
 お医者様を呼ぶのも堪えたのに?
 快調に向かえばそのまま帰ってもらう、でいいのではないか?

 ぐるぐると思考は回る。

 ミシュリーヌ自身、あまり彼には関わらない方がいいと分かっているが、放っておけないのも事実だ。

 どうしたものかと悩んでも、これといって答えは出ない。

 さて、ここはどこだ?
 一応、宿屋兼食堂だ。
 それなら、彼はお客さまだ。宿泊していても、なにもおかしいことはない。
 昨日は、本人が動けなかったから部屋まで案内ができなかった、それだけだ。

 今日からは療養を兼ねて二階の部屋で休んでもらおう、そうしよう。

 洗い物を終える頃には、ひとまず納得できる答えを作っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日7時•19時に更新予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...