3 / 10
さん
しおりを挟むエディがミシュリーヌの宿で療養するようになって、一ヶ月が経とうとしている。
当初の傷から考えれば、本来ならばまだベッドの上に縛り付けておきたいものだが、当の本人はというと、三日過ぎたあたりから堪えられなくなっていた。
一晩過ぎた時点で食事も問題なく完食するような、規格外な回復力を持っているのだ。三日もよく大人しくしていたと感心するべきなのだろう。
エディは、ただ飯食いをしているわけにはいかない、と率先して店の手伝いを始めた。実際に彼は無一文の状態なのだ。
どこから来たのか、自分はだれか、記憶は相変わらず戻っていないが、日常生活には支障がないようだった。
無意識の習慣というのは身体が覚えているようで、朝晩の鍛錬を欠かしていないことをミシュリーヌは知っている。彼としては隠しているつもりのようで、街が起き出す前に、寝静まった後に中庭で身体を動かしているので、気づいていないふりをしている。
店の手伝いの申し出にミシュリーヌが戸惑ったのも最初だけで、今ではすっかり馴染んでしまった。
まず、買い出しの際に配達を頼む頻度が明らかに減った。男手があるだけで、荷物運びのなんとラクなことか。
そして、身長が高い、というのはミシュリーヌが逆立ちしてもかなわないところだ。梁の上のハタキひとつとっても、足場を用意する必要のある彼女に対して、エディはすっと腕を伸ばすだけで届くのだ。うらやましい。悔しいので、身長以上のところの掃除は任せてしまっている。
はじめこそ食堂の常連さんたちからは、厳しい目を向けられていたエディだが、三週間もすれば生暖かい視線とともに今日もがんばれと肩を叩かれるようになっていた。
それというのも、ミシュリーヌの親友こと、この街の顔役の娘、アンナが猛犬のごとく牙を向いているからだ。
今日もアンナはカウンター席に腰掛けてエディを睨み付けている。
「ねぇ、ミミ? あの男はいつまで居座るつもりなのかしら」
「いく宛もないみたいだし、まだ療養中の身だからね。アンナもそんなに邪険にしないであげて」
洗い物を流しながら、またミシュリーヌはお皿を重ねていく。
「いくらここが宿屋も兼ねてるとはいえ、若い男女がひとつ屋根の下で寝起きしてるなんて。ミミはもっと警戒心を持ちなさいよ!」
「警戒心を持てと言われても、ね?」
そもそもこの宿に彼を招き入れたのはミシュリーヌだ。お客様を警戒していては仕事にならない。
「同室なわけでもないし、私も一応、経営者の端くれですからね? 自衛ができなくもないことはアンナも知ってるでしょう?」
「それはもちろん……ミミが弱いとは思わないけど、そう思うおばかさんが多いのも事実だわ」
看板娘の柔らかい雰囲気とは裏腹に、ミシュリーヌは実際に強い。それは今は亡きお祖父さんに鍛えられたからだというのは、常連であれば周知の事実だが、新参者であればあまり信じない。
一見してふんわりとした雰囲気のミシュリーヌは、どちらかといえばお淑やかそうな、女の子らしい庇護対象だ。
それは言い換えれば、格好のカモにされかねないという危険が伴う。
幼いうちからそれを危惧していたお祖父さんは、しっかりと護身術を教え込んでいた。彼の誤算は、必要以上にミシュリーヌがのめり込んでいったことだろうか。
お年頃になってからは、自ら揉め事を起こすようなこともなく落ち着いたが、彼女のお転婆時代を知っている年寄り勢たちからしたら、上手に猫を被るようになったものだと微笑ましい限りである。
「いくらミミが弱くないからって、それでも貴女に甘えっきりのあいつのことは気に入らないわ」
結局のところ、アンナは仲良しのミシュリーヌが取られたように感じられてさみしいのだ。
お祖父さんがいなくなり、一人になったミシュリーヌが気落ちしていた過去を知っている。彼女の周りの男達は、彼女を泣かすだけの存在だと認識している。
それなら、せめて私は彼女の味方でいたい。
そんな思いで今日も屋敷から抜け出してきていた。
そう、抜け出してきているのだ。
本当ならば今の時間は、アンナは家庭教師がきているはずで、屋敷でダンスのレッスンがある。
それをすでに十分に動き回れるのだからと、逃げ回っている。
アンナの逃亡癖は街では周知の事実で、よっぽどの困りごとに巻き込まれでもしていない限り、家に通報されることもない。
ないのだが、カウンターの近くから青年の声が響く。
「そんなミシュリーヌに甘えてるお前はなんなんだ」
どうやら今日は、そのよっぽどのことがあったようで、早々にお迎えがきたようだ。
「あら、ロランってば早いのね? そんなに急いでアンナを帰さないといけなかった?」
「急ぎでもないんだが、さすがに家庭教師が可哀想でね。お兄様直々にお迎えにきたんだ、今日はもう帰るぞアンナ」
「いやよ、わたしにはあの男を見張るという大仕事があるもの」
急に現れても驚きもしないミシュリーヌは、領主の息子であろうと物怖じもしない。
当のロランも幼馴染のその様子に、今更思うところもないようで、聞き分けのない妹の首根っこをつかんでいる。
「いい加減にしないと、行儀見習いに王都に送るぞ?」
「それだけはイヤ!」
結局、アンナは大人しく屋敷へと連れ戻されるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】
まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と…
「Ninagawa Queen's Hotel」
若きホテル王 蜷川朱鷺
妹 蜷川美鳥
人気美容家 佐井友理奈
「オークワイナリー」
国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介
血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…?
華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
転生者と忘れられた約束
悠十
恋愛
シュゼットは前世の記憶を持って生まれた転生者である。
シュゼットは前世の最後の瞬間に、幼馴染の少年と約束した。
「もし来世があるのなら、お嫁さんにしてね……」
そして、その記憶を持ってシュゼットは転生した。
しかし、約束した筈の少年には、既に恋人が居て……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる