《封剣待君》

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5《あいつは鮎を焼いた》

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咲夜はしばらく無言で修華を見つめていたが、やがて肩をすくめて歩み寄った。

「……いいだろう。だが、その意気込みを忘れるなよ」

 そう言うと、咲夜は修華の腕をひょいと掴み、有無を言わさぬ力で引き寄せた。

「な、なんだ!? 離せ!」 「稽古をつけろと言ったのはお前だ。場所を変えるぞ。来る途中に良い霊気の滝を見つけたんだ」

 咲夜はそのまま、半ば強引に修華を連れ出した。宇治の屋敷を抜け、山中へと足を踏み入れる。道なき道を進む咲夜の足取りは軽く、慣れない山道に息を切らす修華を尻目に、目的の場所へと到着した。

目の前には、激しく飛沫を上げる白銀の滝があった。周囲には研ぎ澄まされたような、澄んだ霊気が満ちている。

「……まさか、ここで?」 「そうだ。まずはその凝り固まった自尊心を洗い流せ」

 咲夜の指示は絶対だった。修華は文句を言う暇も与えられず、冷徹な水の壁へと放り込まれた。

「ひ、っ……! あ……っ!」

 桜の咲く時期はまだ寒い。氷のような水。衝撃と冷たさに呼吸が止まる。  修華はガタガタと震え、歯の根も合わない。隣では咲夜が事も無げに岩場に座り、滝の飛沫を浴びながら瞑想している。修華はなんらかの策をと頭の中で護符や印のイメージを作るが、その思考は無情にも、肌を刺す冷たさが痛みとなって裂くのだ。
そのうち諦めて、ただ瞑想をするしかなかった。

 どれほどの時間が経っただろうか。  ようやく解放された修華は、岸に上がると同時にその場にへたり込んだ。唇は青ざめ、美しい指先は赤く腫れている。

「……死ぬかと思った……。」 「死なない程度には加減している。ほら、腹が減っただろう」

咲夜はいつの間にか、火を起こしていた。
川に手を突っ込んで数匹の鮎を捕らえては、手際よく枝に刺し、焚き火で焼き始める。
そのうち香ばしい匂いが漂い、修華の腹が情けなく鳴った。

「食ってみろよ。美味いぞ」

 差し出された、焦げ目のついた鮎。修華は戸惑いながらそれを受け取ったが、どう食べていいか分からず、まじまじと見つめる。

「……箸は? 皿はないのか?」 「こんなことしたことないのか? 本当にお坊っちゃんだな。鮎は全部食べられる。頭から丸かじりだ」

 咲夜の嘲笑混じりの言葉に、修華の導火線に火がついた。

「お坊っちゃんだと……!?」

 修華は怒りに任せ、足元の石を拾って咲夜に投げつけた。しかし、咲夜は視線すら向けずに首をわずかに傾け、石をかわす。

「遅い」

 逆にお返しと言わんばかりに、咲夜が小石を軽く弾いた。  石は正確に、修華の胸元をトンと突く。

「いっ、痛い! ……あいつ、また僕の体を……! 父上に言いつけてやるからな!」 「ははは、やってみろよ。宗主からは『厳しくしてやってくれ』と直々に頼まれているんだ。宇治櫻田の将来のために、とな」 「な……っ」

 絶句する修華を、咲夜は真っ直ぐに見据える。

「お前は甘やかされすぎだ。その印や護符の才能も、家柄という温室の中で守られているだけでは腐ってしまうぞ」

 咲夜は濡れて肌に張り付いた衣を火の前に掲げていたが、そのまま平然と羽織り直そうとした。  滴る水滴が焚き火に落ちて、パチリと爆ぜる。
その無頓着さに、修華は思わず息を呑んだ。

「……おい。そんなの着たら風邪を引くぞ……」

 震える指先で、修華は懐から一枚の護符を取り出した。
濡れたままの不快感に耐えきれない自分とは対照的に、まるで水など存在しないかのように振る舞う男への、せめてもの対抗心だったのかもしれない。

「なんの札だ?」 「……黙って見ていろ」

 修華は咲夜の胸元に、迷いなくその札を貼り付けた。  そして、唇を噛みながら指を弾き、霊気を流し込む。

 刹那、修華の周囲に清涼な、しかし温かな風が渦巻いた。

 咲夜の着物から、ぶわっ、と白い湯気が立ち上る。  水滴は一瞬で霧散し、重く湿っていた生地が命を吹き込まれたようにふっくらと立ち上がった。咲夜の髪までもが、春の陽光を浴びたかのように乾いていく。

「……ほう。これは驚いた」

 咲夜は自分の袖を掴み、その手触りを確かめるように指を滑らせた。

「ただ乾かすだけではないな。霊気の循環を整え、熱を一定に保っている。……すごいな、その札は。旅の道中にあると助かりそうだ。帰りにいくつか売ってくれ」

 本心からの感嘆。だが、その素直な称賛こそが、今の修華には何よりも癪に障った。  自分の誇る技術を、まるで便利な道具のように「売ってくれ」と言われたことが、名家の摘子としての自尊心を逆撫でする。

「ヤに決まってるだろ! お前なんか、大嫌いだ!」

 修華は顔を真っ赤にして叫び、咲夜から顔を背けた。

「ケチだな、坊っちゃまは。そんなに怒るな、ほら鮎が焼けたぞ」 
「なんだと! ……だいたい、あんたは無礼すぎるんだ!」

 修華は怒りに任せ、串に刺さった鮎をひったくるように受け取った。  熱々の身を口に運ぶと、香ばしい皮と柔らかな白身の味が広がる。……悔しいことに、これまで屋敷で食べてきたどの料理よりも、今の自分には美味く感じられた。

「……ふん、味もしない」 「はは、本当にお前はお坊ちゃんだな」

 咲夜は愉快そうに笑い、自分も鮎を口にした。 
静かな谷間に二人の仙君の噛み合わない声が響き渡る。
凍えそうな滝行のあとの、奇妙に温かな時間が、ゆっくりと流れていった。

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