帝は傾国の元帥を寵愛する

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1章

8話 殿下の隣にいられるのなら

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それから紆余曲折を経て、邸宅が正式にヴァルター閣下の名義となるまでには、およそ一月半を要した。

帝都北部の移住区――竹林を抜けた先の小高い丘に建つその屋敷は、
まるで静寂そのものを抱くかのように、凛とした佇まいを見せていた。

その日、邸の見学と称して四人が集った。

ユリウス、ヴァルター、そしてヴァルターの兄アレクと、その妻カーチャである。

馬車が竹林の小径に差しかかると、車窓の向こうに広がる緑の光景に、カーチャは思わず目を輝かせた。

「まあ……まるで物語の中の道みたい」

身重の身体を気遣うアレクがそっと手を添え、柔らかく微笑む。
夕陽に照らされた竹の影が、まるで緞帳のように馬車を包み込んでいた。

屋敷は決して広大ではないが、静謐で、あらゆるものが上質だった。
廊下に差す光はやわらかく、家具の曲線には持ち主の慎ましさが滲む。

見学を終えたカーチャは、大きな花束と小さな絵を差し出した。

「ヴァルターさま、おめでとうございます」

「ありがとうございます。お二人には、たびたび助けていただいて」

穏やかに微笑むヴァルターを、アレクがさりげなく視線で制した。
わずかな棘――それは嫉妬に似て、兄弟の傾国の美をいっそう際立たせていた。

侍女が贈られた花を飾り、軽やかなフィンガーフードと紅茶が卓に並ぶ。
四人は言葉少なに杯を傾け、穏やかな時を過ごした。

カーチャは「お風呂がすてきで、大きくて……空気も良いわね」と笑い、
アレクは寝台の広さに苦笑をこぼす。

ユリウスは紅茶に口をつけながら、ただ静かに一同を見守っていた。

やがて日が傾き、カーチャ夫妻が馬車に乗り込む。
竹林には夕の光が満ち、残されたのはユリウスとヴァルターのみとなった。

「殿下、今日はお付き合いいただきありがとうございました」

「いや。私もようやくこの目で確かめられた」

「……もしよければ、今夜はここに泊まりませんか」

「……何を言う」

「建国記念の祝辞でお疲れだったように見える。少し休めればと」

ユリウスは無言のまま紅茶のカップを置き、短く答えた。

「……そうだな」

侍女に「七時に迎えを」と命じ、馬車を返す。

「殿下、ご存じの通り、この屋敷には寝台がひとつしかないが」

ヴァルターはわずかに眉を寄せ、淡々と告げた。

それは提案でも拒絶でもなく、ただの確認のように聞こえた。

ユリウスは紅茶を飲み干し、何でもないことのように言う。

「――あれだけ広ければ、問題ないだろう」

夜が更け始め、侍女が簡素ながら温かな料理を並べた。

湯気とともに香草の匂いが漂い、静かな食卓をやさしく包む。

「実際に引っ越すのはいつだ?」

「今日、初めて寝ます。荷はまだヴァルトハイム邸にありますが……」

「早く済ませろ。せっかく用意したんだ」

卓の端には、ユリウスが持参した酒の瓶が置かれていた。
栓を抜くと、ほのかに甘い果実の香りが立ち上る。

「……確かに、殿下が夜中に突然いらしておれがいないと悲しませてしまう」

「抜かせ。お前、冗談でもそんな口を利いていると――」

ユリウスはグラスを傾け、横目で見やる。

「男娼だと思われても仕方ないぞ」

ヴァルターは笑った。
静かに、どこか壊れかけたように。

「別に、いい」

「……プライドはないのか」

傾国と謳われる顔が、淡い朱に染まっていた。

蝋燭の灯が頬を撫で、白磁の肌にやわらかな影を落とす。
戦場では凛然としていた男が、今はただ、殿下のためにのみ言葉を紡ぐ。

「……殿下の隣にいられるのなら、何だっていい」

その声音は祈りのようで、ユリウスは視線を逸らせなかった。
胸の奥がわずかに揺らぎ――危うい。

だが、不快ではなかった。

むしろその“まっすぐな愚かさ”が、どうしようもなく愛おしい。

ユリウスはゆっくりと息を吐き、酒を口に運ぶ。

「……お前という男は、ほんとうに」

そのとき、侍女が音もなく姿を現した。

「湯のご用意が整っております」

ユリウスが顔を上げるより早く、ヴァルターが口を開く。

「――一緒に入りたい」

短い沈黙。
ユリウスは目を細め、呆れたように微笑んだ。

「……酔っているな」
「駄目ですか」

確かに珍しい。
ヴァルターがこれほど表情を緩めるのは、普段見たことがない。

「湯着は余分にあるのか?」

侍女が控えめに頷く。

「ございます、殿下」

「そうか。……まぁ、外を眺めながら入るのも悪くはないだろう」

扉が開かれ、夜気がひんやりと肌を撫でる。

半露天の檜風呂には淡い灯が揺れ、竹林の影と月光が重なっていた。

――まるで絵画のような光景。

ユリウスは衣を解き、静かに身を清めて湯に浸かる。
湯面が光を散らし、金の髪が淡く濡れた。
そこへヴァルターが湯着姿で現れ、身を清めてから軽く頭を下げて湯に身を沈める。

開け放たれたガラス扉から風が吹き込み、檜の香とともに湯気が流れていく。

熱と冷気の対比が、妙に心地よい。

「……これは、なかなかいいな」

「殿下が喜んでくださって、よかった」

ヴァルターの声には、素直な安堵が滲んでいた。
侍女が水とシャンパンを運び入れる。
この湯には、そうした贅沢さがよく似合う。

ユリウスは水をひと口含み、シャンパンを少しだけ味わった。
ヴァルターはそのグラスを一息に飲み干す。
湯気の向こうで、頬が朱に染まる。

――その美貌に、灯が滲む。

湯気の向こう、ヴァルターの湯着の隙間から覗く肌がほの白く光を弾く。
布越しに張り詰めた胸と腕の線が浮かび上がる。
普段は礼装に包まれて華奢に見える肩が、実際には逞しく、男の造形そのものだった。
湯に濡れた布が肌に貼りつき、筋の走る腹がかすかに揺れる。
滴り落ちた水滴がその隆起を伝い、淡く光を放つ。
ヴァルターは濡れた前髪をかき上げ、静かにユリウスを見やった。
黄金の瞳が灯に揺れ、湯気の中で淡く輝く。

――幻想だ、とユリウスは思う。
現実離れしたその光景は、夜の幻のように胸を掠めた。
呼吸が浅くなるのを自覚しながらも、視線を外すことができなかった。
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