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キスの衝動
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月曜日。
産休に入った主任の代わりとして、新人の女性が補充で配属された。
明るい茶髪をひとつにまとめた、二十三歳の事務職員。
初日から物怖じせず、きびきびと動くタイプだった。
正直、彼女のことは特に気に留めていなかった――あの時までは。
それよりも、土曜日の真人とのことのほうが気になっていた。
俺は、フラれたのだろうか。
まだ始まってもいないのに振られるなんて、さすが俺……。
なんて自虐ツッコミをしてみるが、それまで過ごした二人の時間を思うと、何の言葉もなしにあんなふうに終わるとは思えなかった。
午前中の俺はほぼ上の空だった。
真人ももちろん出勤しているが、午前は別の課の手伝いで出かけているらしく空席だった。
昼前に戻ってきた真人は、給湯室の前で新人の彼女に声をかけられていた。
きっかけは「朝、挨拶できなかったから」だとか、そんなものだった気がする。
「朝比奈さんって、インスタやってます? おしゃれだから映えそうですよね」
真人は手を止め、軽く首を傾げる。
「僕はSNS苦手なので」
「えー、アカウントあるなら交換しましょうよ」
「今、パスワード忘れててログインできないんですよ」
にこやかに受け流すその声が、妙に慣れている。
だって、真人はインスタでいろいろ探してくれるし、共有してくれる。ログインできないはずがない。
相手の子はそれを信じて嬉しそうに笑っていたが、真人はいつも通りの、対外的に当たり障りのない、けれども好感度の高い対応だった。
あまりに見ていたのがわかったのか、俺と目が合うと、真人は少しだけ微笑んだ。
俺はたまらず、目を逸らした。
俺は仕事で少し立て込んで、食事の時間がずれてしまった。
資料室の片隅で注文弁当を食べ終えて、少しだけ机に伏して休んでいた。
先日から少し気怠さが抜けないから、風邪を引いたのかもしれない。
微かな気配がして顔を上げると、ちょうど真人が棚の上段にファイルを戻しているところだった。
その横顔を見た瞬間、胸の奥が疼いた。
伸びた腕、揃えられた指、いつもの整えられたふわりとした前髪――どれも、目に焼きついて離れなかった。
真人がこちらを見て、「起こしちゃいましたかー」と声をかけてくれた。
だが、理性よりも先に、体が動いた。
気づいた時にはもう、腕を引き唇を奪っていた。
頬に手を添え、逃げ場を与えず、ただ彼の呼吸を確かめるように重ねる。
体温と心拍が混じり合い、理性の境界が音を立てて崩れていく。
――自分でも驚くほど、求めていた。
ここ最近のすべてが、この一瞬に集まった気がした。
だが、真人は唇をすぐに離し、穏やかに肩へ手を置いてから、
「……譲さん、今はだめです」
と囁いた。
その声には優しさと、同時に芯の強さがあった。
指先で軽く頭を撫でられる。まるで子供をあやすように。
「人が来たら、譲さんが困りますから」
その言葉に、熱が少しだけ引いた。
彼の理性が、俺の暴走をやんわりと包み込む。
息を整え、机に戻り、
「……ごめん」
その時、扉が開く音がした。
「あ、朝比奈さん~♪」
新人の声だった。
俺は振り向けず、返事も曖昧にした。
彼女に罪はない。けれど、今はどうしても穏やかに振る舞えそうになかった。
真人はすぐに笑顔を整え、いつもの口調で応じる。
「どうしました?」
会話の流れで、彼女は俺の名を出した。
「あ、野々宮さんも! お二人って仲がいいって聞きましたよ~」
その時、彼女が笑いながら真人の腕に軽く触れた。
ほんの一瞬、何の含みもない仕草――それなのに、胸の奥が焼けるように熱くなる。
さっき、真人は俺を止めたのに。
そんなに近づいて笑ってるなんて。
冗談めかした声が耳に届いても、意味を結ばない。
どんな反応をしても、きっと偽りになると思った。
その時、チャイムが鳴った。
俺は立ち上がり、扉から出る。
背後では、彼女が真人に質問している声が聞こえていた。
逃げたような感覚。
深呼吸を一つして、机に戻る。
――わからない。
どうして、あんなに激しく求めてしまったのか。
どうして、こんなにも胸がざわつくのか。
とにかく、この気持ちは仕事にぶつけるしかなかった。
だが、新人の彼女が真人の机に行って話しかけるたび、胸の奥がざらついた。
別に、何かされたわけではない。
ただ、あの柔らかい笑顔を他の誰かに向けられるのが――嫌だった。
……これは、なんだ。
息苦しい。集中できない。
書類の数字が目に入ってこない。
自分でも理解できないほど、感情が乱れていた。
嫉妬――そう呼ぶのだろうか。
生まれて初めて、そんなものを感じている気がした。
自分の中にあるその熱が、怖い…
真人が通りすがりに声をかけてくれたが、俺は何も言えなかった。
「……野々宮さん、どうかしました?」
「いや、別に」
「そうですか」
淡い声でそう言い、彼は小さく息を吐いた。
笑ってはいたが、どこか探るような目をしていた。
産休に入った主任の代わりとして、新人の女性が補充で配属された。
明るい茶髪をひとつにまとめた、二十三歳の事務職員。
初日から物怖じせず、きびきびと動くタイプだった。
正直、彼女のことは特に気に留めていなかった――あの時までは。
それよりも、土曜日の真人とのことのほうが気になっていた。
俺は、フラれたのだろうか。
まだ始まってもいないのに振られるなんて、さすが俺……。
なんて自虐ツッコミをしてみるが、それまで過ごした二人の時間を思うと、何の言葉もなしにあんなふうに終わるとは思えなかった。
午前中の俺はほぼ上の空だった。
真人ももちろん出勤しているが、午前は別の課の手伝いで出かけているらしく空席だった。
昼前に戻ってきた真人は、給湯室の前で新人の彼女に声をかけられていた。
きっかけは「朝、挨拶できなかったから」だとか、そんなものだった気がする。
「朝比奈さんって、インスタやってます? おしゃれだから映えそうですよね」
真人は手を止め、軽く首を傾げる。
「僕はSNS苦手なので」
「えー、アカウントあるなら交換しましょうよ」
「今、パスワード忘れててログインできないんですよ」
にこやかに受け流すその声が、妙に慣れている。
だって、真人はインスタでいろいろ探してくれるし、共有してくれる。ログインできないはずがない。
相手の子はそれを信じて嬉しそうに笑っていたが、真人はいつも通りの、対外的に当たり障りのない、けれども好感度の高い対応だった。
あまりに見ていたのがわかったのか、俺と目が合うと、真人は少しだけ微笑んだ。
俺はたまらず、目を逸らした。
俺は仕事で少し立て込んで、食事の時間がずれてしまった。
資料室の片隅で注文弁当を食べ終えて、少しだけ机に伏して休んでいた。
先日から少し気怠さが抜けないから、風邪を引いたのかもしれない。
微かな気配がして顔を上げると、ちょうど真人が棚の上段にファイルを戻しているところだった。
その横顔を見た瞬間、胸の奥が疼いた。
伸びた腕、揃えられた指、いつもの整えられたふわりとした前髪――どれも、目に焼きついて離れなかった。
真人がこちらを見て、「起こしちゃいましたかー」と声をかけてくれた。
だが、理性よりも先に、体が動いた。
気づいた時にはもう、腕を引き唇を奪っていた。
頬に手を添え、逃げ場を与えず、ただ彼の呼吸を確かめるように重ねる。
体温と心拍が混じり合い、理性の境界が音を立てて崩れていく。
――自分でも驚くほど、求めていた。
ここ最近のすべてが、この一瞬に集まった気がした。
だが、真人は唇をすぐに離し、穏やかに肩へ手を置いてから、
「……譲さん、今はだめです」
と囁いた。
その声には優しさと、同時に芯の強さがあった。
指先で軽く頭を撫でられる。まるで子供をあやすように。
「人が来たら、譲さんが困りますから」
その言葉に、熱が少しだけ引いた。
彼の理性が、俺の暴走をやんわりと包み込む。
息を整え、机に戻り、
「……ごめん」
その時、扉が開く音がした。
「あ、朝比奈さん~♪」
新人の声だった。
俺は振り向けず、返事も曖昧にした。
彼女に罪はない。けれど、今はどうしても穏やかに振る舞えそうになかった。
真人はすぐに笑顔を整え、いつもの口調で応じる。
「どうしました?」
会話の流れで、彼女は俺の名を出した。
「あ、野々宮さんも! お二人って仲がいいって聞きましたよ~」
その時、彼女が笑いながら真人の腕に軽く触れた。
ほんの一瞬、何の含みもない仕草――それなのに、胸の奥が焼けるように熱くなる。
さっき、真人は俺を止めたのに。
そんなに近づいて笑ってるなんて。
冗談めかした声が耳に届いても、意味を結ばない。
どんな反応をしても、きっと偽りになると思った。
その時、チャイムが鳴った。
俺は立ち上がり、扉から出る。
背後では、彼女が真人に質問している声が聞こえていた。
逃げたような感覚。
深呼吸を一つして、机に戻る。
――わからない。
どうして、あんなに激しく求めてしまったのか。
どうして、こんなにも胸がざわつくのか。
とにかく、この気持ちは仕事にぶつけるしかなかった。
だが、新人の彼女が真人の机に行って話しかけるたび、胸の奥がざらついた。
別に、何かされたわけではない。
ただ、あの柔らかい笑顔を他の誰かに向けられるのが――嫌だった。
……これは、なんだ。
息苦しい。集中できない。
書類の数字が目に入ってこない。
自分でも理解できないほど、感情が乱れていた。
嫉妬――そう呼ぶのだろうか。
生まれて初めて、そんなものを感じている気がした。
自分の中にあるその熱が、怖い…
真人が通りすがりに声をかけてくれたが、俺は何も言えなかった。
「……野々宮さん、どうかしました?」
「いや、別に」
「そうですか」
淡い声でそう言い、彼は小さく息を吐いた。
笑ってはいたが、どこか探るような目をしていた。
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