月銀の温室 ーー触れない距離で、戻らない手を学ぶ。甘くて切ないじれじれ溺愛(年上寡黙×健気)

星乃和花

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第十二話 星花の誓い(星花)

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 夜の星庭は、天蓋の硝子の裏に星座をひとつ落としていた。
 それは、今夜だけ咲くという星花(せいか)——花弁のふちが淡く光を帯び、触れなくても明るさで温度がわかる不思議な花。
 星木のベンチの座面には、ルフとリリが白い細リボンを輪に結び、ちょこんと並んで“合図”の顔をしている。

 扉の陰で、リディアは襟元のレースを押さえ、袖口のリボンを結び直した。
 硝子越しの気配をそっと“伺う”。
 黒の外套、整った線。——けれど今夜のコンラッドは、外套を手に掛けたまま、胸元の小さな白鈴を指で確かめていた。音は鳴らさない。ただ、いることを確かめるみたいに。

「こんばんは、コンラッド」

「ああ」
 名で呼び合う声が、天蓋の星にひとつ灯りを足す。
 リディアは“とことこ”と近づき、ベンチの中央の手前で立ち止まる。裾のレースを指でつまみ、首をこてん——“ここ、並んでいい?”を目で伺う。

「——望む」

 許しより一歩先の言葉が落ちた。
 リディアは、はじめから“中央”にちょこん。届く距離。
 星花の淡い光が、ふたりの手袋を同じ白さにしてくれる。

 ルフとリリが同時に尾を一度。白い輪の中へ、ふたりの視線を誘う。
 その輪は、きゅっと結び目が内側へ隠されていて、ほどこうと思えば、二人の指が必要になる結び方。

「……星花の夜は、年に一度」
 コンラッドは言葉を選ぶ。「昔、母がこの花の前でレースの端を整えた。——私は、戻る音を聴き逃さぬように息を小さくした」

 幼い孤独の輪郭が、夜の光に淡く重なる。
 リディアは袖口をきゅっと握り、小さく頷いて、星花へと小瓶を差し向けた。
 花弁に触れないよう、光の縁だけを“伺う”指先。
 一本を受け取り、瓶の首に白の細リボンを結ぶ。結び目を作る前、彼の表情を“伺う”。
 視線は、いつものやさしい許可の形をしている。

 結び目が、星の鈴みたいにかすかに鳴った気がした。

「コンラッド」
 リディアは深呼吸をひとつ、胸の上でレースをなでてから、言葉を置く。
「わたし、嬉しいです。——星の下で、名で呼び合えて。けれど……少しだけ、切ない。いま嬉しいほど、あとで離れるのがこわくなるから」

 睫毛が揺れる。
 彼は、空中で止める癖のある手を——止めない。
 手袋越しに、彼女の手袋の甲へそっと重ね、戻らない。
 重さは羽より軽く、温度は星より確か。

「私は、壊したくない」
 低い声がゆっくり続く。「触れたあと、戻らなければ壊れると思っていた。……だが、学んだ。戻らずに在ることも、守り方だと」

 ルフとリリが、白い輪を啄んで、ふたりの前にそっと置く。
 リディアは星花の小瓶をベンチの中央へ、輪の隣に並べた。
 そのとき——コンラッドが外套の内ポケットから、夜の露を集めたような小さな銀の枠を取り出す。
 中には、星露(ほしつゆ)の雫。透明な滴に、星の光がちらりと宿る。

 彼は一度、胸の鈴に触れてから、息を整える。
 言葉を探す沈黙は、誓いの前の表面張力。

「壁ではなく、橋を君に」
 彼は慎重に指輪を示す。「これは飾りより、置き場所だ。——君の『嬉しい』を置き、私の『重くないか』を置き、戻らない手を置く場所」

 胸の真ん中がふうっと沈み、やさしい重さになる。
 リディアは袖口のレースをきゅっと握り、首をこてん。
 瞳で“伺う”。——「受け取っていいですか?」

「——望む」

 指輪をはめる前に、ふたりは同時に手袋を外した。
 今まで学んだ“触れないやさしさ”を、ほどくのではなく、土台にして。
 素肌の指が、夜の光で少し震える。互いの許可を目で確かめ、言葉で追い、息で結ぶ。

 触れて、戻らない。
 指に宿る星露が、ちいさく灯る。

「重くないか」

「好きです。——重さが、『いる』の形になるから」

 ルフとリリが、白い輪をふたりの指の間に寄せ、蝶結びの端をくわえてきゅっと整える。
 星花の光がベンチの木目に星座を描き、天蓋の硝子が鈴のように細く鳴った。

「次の雨の日も、ここで」
 彼が低く、確かに言う。「そして、晴れの日も」

「はい」
 リディアは小さく笑い、目尻をやさしくほどく。
「“いっしょにほどいて、いっしょに整える”を、ずっと」

 ふたりはベンチの中央で、同じ高さの影になった。
 触れない距離を覚えてきた手が、触れて戻らない距離を覚える夜。
 小鳥だけが、星露の灯りが少し大きくなったのを知っている。

 別れ際、扉の前で、彼が短く言う。

「——家に、並ぶ席をもう一脚。星花の夜のために」

「わたし、白いレースの敷物を縫います。星の縁取りで」

 鈴は鳴らない。けれど、いる音がする。
 星庭の夜は、やわらかく息を吐き、ふたりの影をおだやかに重ねた。

その夜——

 広い書斎。机の端に小さな呼び鈴、淡い白の輪。
 窓と机のあいだ、小瓶は二つ——星花とカスミソウ。
 玄関の白い手袋掛けには、並ぶ空きがひとつ減り、並ぶ余白がひとつ増えた。
 彼はペンを取り、紙片に一行だけ残す。



 ——星露の指輪を用意した。晴れの日も、ここで。——戻らない手を学んだ。
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