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第8話 花言葉作戦、盛大に読み違えられる
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花祭からしばらく経ったある朝。
フロレアル家の執務室では、妙に色とりどりな紙束が広げられていた。
「……これは、何だ」
「『参事官のための、花言葉・恋愛応用一覧』です」
カミーユが胸を張って答える。
「ノエルと共同制作しました。
“策士のくせに口説き文句が遠回しすぎる問題”を解決するべく」
「問題にされた覚えはない」
「観測結果ですので」
執務机の上には、几帳面な字でびっしりと書き込まれた一覧表が並んでいた。
──《基本セット》
赤いバラ:あなたを愛しています
白いバラ:純粋な愛・尊敬
忘れな草:真実の愛・私を忘れないで
カスミソウ:感謝・幸福
ピンクのチューリップ:愛の告白・誠実な愛
──《応用セット》
白百合:純潔・尊厳・あなたは私の光
青い小花:信頼・ひかえめな愛
スズラン:また会いましょう・幸福の再来
などなど。
「……よくもまあ、ここまで書いたな」
「ノエルが楽しそうに追記していました。
『お嬢様が気づかなくても、記録係としては満足です』とのことです」
「気づかなくていいのか」
「観測者にとっては、“参事官の糖度”が上がることが重要ですので」
まったくもって失礼な二人である。
ローランは、一覧表をひと通り眺め、それから静かに息を吐いた。
「……要するに、これを使って“わかりやすく”好意を示せということか」
「はい。“となり”や“覚悟”よりは、だいぶ伝わりやすいかと」
「まだ根に持っているのか、あれを」
「いえ、とても良い思い出です。
ですが、そろそろ“明確に恋愛であると認識されうる信号”を送っていただかないと」
「物騒な言い方をするな」
とはいえ、言い分はわかる。
花祭の夜から、「好き」という気持ちは厚さを増し、
ただ静かに心を占拠している。
そのうえで、「理由収集期間」に入ってからというもの、
自分の胸の内には、明らかに「期待」と呼ぶべきものも育ちつつある。
それを、いつまでも“仕事上の信頼”の陰に隠しておくわけにはいかない。
(……どこかで、はっきりさせなければならない)
ただし、いきなり「好きだ」と口にする勇気は、まだない。
段階を踏みたい。
策士である自分は、どうしても手順を考えてしまう。
「では、こういう案はいかがでしょう」
カミーユが、別の紙束を取り出した。
「“花言葉作戦・三段階アピール計画”」
「……嫌な予感しかしないな」
「第1段階:さりげない花束で、“感謝”と“尊敬”を伝える。
第2段階:メッセージカード付きで、“あなたを特別に思っています”を匂わせる。
第3段階:本人を花に見立てた、決定的な花言葉でとどめ」
「“とどめ”と言うな」
ローランは眉間を押さえた。
「だが……段階を踏むという点では、悪くない」
「ですよね」
「これで、君やノエルの観測メモに“参事官、いつまでも告白しない”と書かれずに済むなら」
「もうすでに数行書かれておりますが」
「……消せ」
ひとしきり言い合いをしてから、ローランは観念したように頷いた。
「いいだろう。
この“花言葉作戦”とやら、試してみる」
「かしこまりました。
なお、ノエルから伝言です」
「何だ」
「『お嬢様が“業務だと思い込む可能性”を考慮しておいてください』とのことです」
「最初から不安要素を組み込むな」
だが、その不安は、このあと見事なまでに的中することになる。
***
その日の午後。
リリアンヌは、フロレアル家の温室で、レースの新しい図案を描いていた。
窓から差し込む光の下、白い布の上に細い線を重ねていく。
花の模様が少しずつ形になっていく時間は、いつだって心を落ち着けてくれた。
「お嬢様」
ノエルが、そっと温室の扉を開ける。
「お邪魔しても?」
「もちろん。今、ちょうど一段落ついたところです」
顔を上げると、ノエルの後ろに、見慣れない花束が見えた。
「それは……」
「フロレアル家の花房より、参事官からのお届け物です」
「ローラン様から?」
胸が、ふわりと跳ねた。
ノエルがテーブルの上に置いた花束は、
白いバラと、かすみ草が柔らかく組み合わされたものだった。
「わあ……きれい」
思わず、感嘆の声がこぼれる。
白い花びらに、かすみ草の小さな白が星屑のように散っている。
全体に、優しく静かな雰囲気。
「“仕事の合間の休息用に”とのことです」
「休息用……」
また、“息継ぎの話”だろうか。
(わたしが、ちゃんと休めているか、心配してくださっているのね)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「花言葉はご存じですか?」
ノエルが、何気なさそうに尋ねた。
「えっ……し、白いバラ……?」
リリアンヌは、必死に記憶をたどる。
(たしか、“尊敬”とか、“純粋な愛”とか……そんな感じだったような……?)
だが、急に言われると、どれがどれだったか曖昧になる。
「かすみ草は、“感謝”と“幸福”だそうですよ」
「感謝と、幸福……」
「白いバラは、“あなたはわたしの光です”という意味合いもあるとか」
「ひ、光……!」
リリアンヌの顔が、一気に真っ赤になった。
(光……光って、あの……
ローラン様にとって、わたしは……?)
脳内で、さまざまな妄想が暴走しかける。
が。
「……きっと、“フロレアル家としての感謝と敬意”ですよね!」
反射的に、そう結論づけてしまった。
「花祭から、わたしが温室をお借りしているから……
その、お礼、のような」
自分で言いながら、どこか安心してしまう。
(そうよね。
ローラン様は、いつも“仕事として”丁寧に対応してくださる方だもの)
ノエルは、何とも言えない表情で微笑んだ。
「……そういう解釈も、あるかもしれませんね」
「え?」
「いえ。
お嬢様が嬉しそうなので、何よりです」
ノエルは、そっと花瓶を用意して、花束を活けた。
温室いっぱいに、かすかな香りが広がる。
「ローラン様に、お礼をお伝えしなければ」
リリアンヌは、胸の前で手を重ねた。
「“いつも、最適な休息をご提案くださってありがとうございます”って」
「……その言葉を聞いた参事官のお顔が、楽しみですね」
ノエルは、どこか含みのある声で微笑んだ。
***
「どうだった?」
執務室で待機していたカミーユが、食い気味に尋ねた。
「お嬢様、“とても嬉しそう”でした」
ノエルが報告する。
「白いバラの花言葉も、ぎりぎり半分くらいは思い出しておられましたよ。
“尊敬”と“純粋な愛”あたりを」
「それで、“愛”のほうには気づいたか?」
「“フロレアル家としての感謝と敬意”という結論にたどり着かれました」
「見事なまでに、業務解釈だな」
カミーユとノエルが、そろってため息をついた。
ローランは、机の上で静かに頭を抱える。
「……俺の“あなたはわたしの光です”の意図は」
「“最適な休息環境の提供”として受理された模様です」
「ぐ……」
花言葉作戦第1段階、あえなく業務化。
だが、落ち込んでいる暇はない。
策士は、失敗をすぐさま分析する。
「……つまり、“恋愛の花言葉”だと明示しなければ、
業務用メッセージとして処理されるということだな」
「そうですね。
お嬢様にとって“フロレアル家の花”は、基本的に“仕事道具”ですから」
「なるほど」
ローランは、次の紙束を手に取った。
「ならば、第2段階だ」
「メッセージカード付きのアレですね」
「ああ。今度は、“あなたに向けた言葉だ”と、はっきり伝わるようにする」
「それを、世間では“ラブレター”と呼びます」
「そう言われると急激に難度が上がるな」
とはいえ、すでに文面は用意してある。
昨夜、何度も書き直し、破り、最終的に三行に絞ったものだ。
──《白百合へ。
あなたがここにいてくれることに、
日々、救われています。 ──ローラン》
自分としては、かなり踏み込んだ内容だ。
「……これなら、さすがに業務とは思うまい」
「そう願いたいですね」
ノエルとカミーユが、どこか遠い目をした。
***
翌日。
リリアンヌが温室に向かうと、テーブルの上に小さな花束が置かれていた。
前日とは違い、今度は淡いピンクのチューリップと、青い小花の組み合わせ。
その横には、封筒に入ったカードが添えられている。
「……!」
胸が、どきんと跳ねた。
そっと封を切る手が震える。
(これ……もしかして……)
思い切ってカードを開く。
そこには、見慣れた端正な文字が並んでいた。
『白百合へ。
あなたがここにいてくれることに、
日々、救われています。 ──ローラン』
「…………」
しばし、脳がフリーズした。
(ひ、日々、救われています……?)
ほっぺたまで一気に熱が上がる。
だがその直後、
“箱入り令嬢の内なる保身“が顔を出した。
「……これは、きっと、“業務評価”……!」
思考が、妙な方向に滑り出す。
(そうよね。
わたしが“ここにいてくれる”ことで、
家同士の関係や、花祭の運営や、
いろいろな部分が安定しているっていう……)
冷静に考えれば考えるほど、
「婚約者としての立場への感謝」という解釈が強化されていく。
(でも、“日々、救われています”って……)
その一文だけが、どうしても胸に残った。
救われている、という感覚。
誰かの存在が、自分を支えてくれている感覚。
それは、リリアンヌ自身が、
ローランに対してうっすらと抱き始めている感情だったから。
「……ローラン様も、誰かに救われたいって、思うことがあるのかしら」
胸の前で、カードをぎゅっと握りしめる。
「わたしで、少しでも……そう思っていただけているのなら……」
そこまで考えたところで、ノエルが入ってきた。
「お嬢様」
「ノ、ノエル!」
慌ててカードを閉じる。
「いま、ちょうど……その……」
「“業務評価表”をご覧になっていたところですね?」
「ぎ、業務……」
リリアンヌは、思わず固まった。
「ち、ちが……くは、ないような……」
曖昧な否定になってしまう。
ノエルは、優しく微笑んだ。
「ピンクのチューリップの花言葉は、“愛の告白”だそうですよ」
「……っ!」
再び、顔が真っ赤になる。
「こ、告白……」
「青い小花には、“信頼”や“ひかえめな愛”の意味もあるとか」
「ひかえめな……」
急激な情報量に、リリアンヌの脳が処理落ちしかける。
「も、もしかしてこれは……」
「お嬢様の解釈にお任せします」
ノエルは、そこでふっと口を閉じた。
「ただひとつだけ言えるのは、
参事官が、昨夜ひどく悩みながら何度も紙を丸めていた、という事実だけです」
「紙を……」
「“文面の最適化”に、かなりの時間を費やしておられました」
想像してしまい、胸がきゅうとなる。
(ローラン様が……わたしのために、
そんなふうに悩んでくださっていたなんて)
業務評価だろうが、花言葉だろうが、
もはやどちらでもいい気がしてきた。
「……とても、嬉しいです」
リリアンヌは、素直にそう言った。
「わたしがここにいて、ローラン様の“日々”の、
少しでもお役に立てているのなら」
「きっと、想像以上にお役に立っていると思いますよ」
ノエルは、やわらかく頷いた。
「お嬢様は、“参事官の誤差をちょっと甘くする担当”ですから」
「甘く……」
何だかよくわからないけれど、褒められている気がした。
***
そのころ、執務室では。
「どうだった」
ローランが、落ち着かない様子で尋ねる。
「お嬢様、とても顔を赤くしておられました」
ノエルが報告する。
「“業務評価かもしれない”と揺れつつ、
最終的には“とても嬉しい”とおっしゃっていました」
「業務評価かもしれない、のか」
「はい。
ただ、“救われています”の一文には、
かなり心を動かされている様子でしたよ」
「……そうか」
ローランの胸に、安堵と照れくささが同時に広がる。
(業務か恋愛か、曖昧なラインではあるが……
少なくとも、“自分の存在が誰かの救いになっている”という感覚は、
伝わっているということか)
それならば、今はまだそれでいいのかもしれない。
「第2段階は、まあ……半分成功といったところでしょうか」
カミーユがまとめる。
「“愛の告白”までは届いていませんが、
“特別な相手である”という自覚は芽生え始めているようです」
「芽生え……」
「観測者としては、今後の成長が楽しみですね」
ノエルとカミーユが、わざとらしく頷き合う。
「……君たちは、俺の恋路を植物か何かだと思っていないか」
「観測対象ですので」
「肥料をやりすぎると枯らしてしまいますので」
好き放題である。
とはいえ、第三段階まで用意されている以上、
ここでやめるわけにはいかない。
「第3段階は、“本人を花に見立てた決定的な花言葉”でしたね」
カミーユが、にやりと笑う。
「“白百合は、俺にとっての唯一の光だ”とか何とか」
「そんな露骨なセリフは言っていない」
「昨夜、そういう文案も一度書かれていましたよね?」
ノエルがさらりと暴露する。
「途中で“糖度過多”と書いて破られていましたが」
「……覗き見は慎め」
ローランは咳払いをひとつして、視線を逸らした。
「第3段階は、また改めて考える」
「“改めて考える”と言っているうちに、
告白のタイミングを逃すパターンですね」
「そんな統計は存在しない」
「作りましょうか、参事官の過去データから」
「やめろ」
そうやって口では言い合いながらも、
ローランの胸の中では、ひとつの確信が育ちつつあった。
──花言葉作戦は、
たしかに“策士の思惑どおり”には進まなかった。
だが、リリアンヌの心のなかには、
間違いなく「自分は大切にされている」という感覚が残った。
それだけは、確かだと信じられる。
(……ならば、誤差込みで成功と言ってもいいのかもしれない)
世界側の誤差。
解釈の誤差。
恋心の自覚の誤差。
そういうものを全部ひっくるめて、
“ひとり分じゃない灯り”になっていくのだとしたら――。
策士は、少しだけ肩の力を抜いて、次の作戦を考えはじめるのだった。
***
もし、この数日間のやりとりを、王都の記録係が書き残すとしたら――きっと、こんな注釈がつくだろう。
――本日付記。
フロレアル家参事官、花言葉作戦を決行。
第1段階「白いバラ+かすみ草」は、
“最適な休息環境の提供”として受理されるも、
お嬢様の笑顔ポイントは大幅に上昇。
第2段階「ピンクのチューリップ+青い小花+メッセージカード」は、
“業務評価”と“何かそれ以上”のあいだで揺れつつ、
お嬢様の胸に“日々、救われています”という言葉を深く刻む。
なお、この時点で、
当人たちの心のグラフには、
《恋愛感情(仮)》なる項目が、
ひっそりと追加されている模様。
フロレアル家の執務室では、妙に色とりどりな紙束が広げられていた。
「……これは、何だ」
「『参事官のための、花言葉・恋愛応用一覧』です」
カミーユが胸を張って答える。
「ノエルと共同制作しました。
“策士のくせに口説き文句が遠回しすぎる問題”を解決するべく」
「問題にされた覚えはない」
「観測結果ですので」
執務机の上には、几帳面な字でびっしりと書き込まれた一覧表が並んでいた。
──《基本セット》
赤いバラ:あなたを愛しています
白いバラ:純粋な愛・尊敬
忘れな草:真実の愛・私を忘れないで
カスミソウ:感謝・幸福
ピンクのチューリップ:愛の告白・誠実な愛
──《応用セット》
白百合:純潔・尊厳・あなたは私の光
青い小花:信頼・ひかえめな愛
スズラン:また会いましょう・幸福の再来
などなど。
「……よくもまあ、ここまで書いたな」
「ノエルが楽しそうに追記していました。
『お嬢様が気づかなくても、記録係としては満足です』とのことです」
「気づかなくていいのか」
「観測者にとっては、“参事官の糖度”が上がることが重要ですので」
まったくもって失礼な二人である。
ローランは、一覧表をひと通り眺め、それから静かに息を吐いた。
「……要するに、これを使って“わかりやすく”好意を示せということか」
「はい。“となり”や“覚悟”よりは、だいぶ伝わりやすいかと」
「まだ根に持っているのか、あれを」
「いえ、とても良い思い出です。
ですが、そろそろ“明確に恋愛であると認識されうる信号”を送っていただかないと」
「物騒な言い方をするな」
とはいえ、言い分はわかる。
花祭の夜から、「好き」という気持ちは厚さを増し、
ただ静かに心を占拠している。
そのうえで、「理由収集期間」に入ってからというもの、
自分の胸の内には、明らかに「期待」と呼ぶべきものも育ちつつある。
それを、いつまでも“仕事上の信頼”の陰に隠しておくわけにはいかない。
(……どこかで、はっきりさせなければならない)
ただし、いきなり「好きだ」と口にする勇気は、まだない。
段階を踏みたい。
策士である自分は、どうしても手順を考えてしまう。
「では、こういう案はいかがでしょう」
カミーユが、別の紙束を取り出した。
「“花言葉作戦・三段階アピール計画”」
「……嫌な予感しかしないな」
「第1段階:さりげない花束で、“感謝”と“尊敬”を伝える。
第2段階:メッセージカード付きで、“あなたを特別に思っています”を匂わせる。
第3段階:本人を花に見立てた、決定的な花言葉でとどめ」
「“とどめ”と言うな」
ローランは眉間を押さえた。
「だが……段階を踏むという点では、悪くない」
「ですよね」
「これで、君やノエルの観測メモに“参事官、いつまでも告白しない”と書かれずに済むなら」
「もうすでに数行書かれておりますが」
「……消せ」
ひとしきり言い合いをしてから、ローランは観念したように頷いた。
「いいだろう。
この“花言葉作戦”とやら、試してみる」
「かしこまりました。
なお、ノエルから伝言です」
「何だ」
「『お嬢様が“業務だと思い込む可能性”を考慮しておいてください』とのことです」
「最初から不安要素を組み込むな」
だが、その不安は、このあと見事なまでに的中することになる。
***
その日の午後。
リリアンヌは、フロレアル家の温室で、レースの新しい図案を描いていた。
窓から差し込む光の下、白い布の上に細い線を重ねていく。
花の模様が少しずつ形になっていく時間は、いつだって心を落ち着けてくれた。
「お嬢様」
ノエルが、そっと温室の扉を開ける。
「お邪魔しても?」
「もちろん。今、ちょうど一段落ついたところです」
顔を上げると、ノエルの後ろに、見慣れない花束が見えた。
「それは……」
「フロレアル家の花房より、参事官からのお届け物です」
「ローラン様から?」
胸が、ふわりと跳ねた。
ノエルがテーブルの上に置いた花束は、
白いバラと、かすみ草が柔らかく組み合わされたものだった。
「わあ……きれい」
思わず、感嘆の声がこぼれる。
白い花びらに、かすみ草の小さな白が星屑のように散っている。
全体に、優しく静かな雰囲気。
「“仕事の合間の休息用に”とのことです」
「休息用……」
また、“息継ぎの話”だろうか。
(わたしが、ちゃんと休めているか、心配してくださっているのね)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「花言葉はご存じですか?」
ノエルが、何気なさそうに尋ねた。
「えっ……し、白いバラ……?」
リリアンヌは、必死に記憶をたどる。
(たしか、“尊敬”とか、“純粋な愛”とか……そんな感じだったような……?)
だが、急に言われると、どれがどれだったか曖昧になる。
「かすみ草は、“感謝”と“幸福”だそうですよ」
「感謝と、幸福……」
「白いバラは、“あなたはわたしの光です”という意味合いもあるとか」
「ひ、光……!」
リリアンヌの顔が、一気に真っ赤になった。
(光……光って、あの……
ローラン様にとって、わたしは……?)
脳内で、さまざまな妄想が暴走しかける。
が。
「……きっと、“フロレアル家としての感謝と敬意”ですよね!」
反射的に、そう結論づけてしまった。
「花祭から、わたしが温室をお借りしているから……
その、お礼、のような」
自分で言いながら、どこか安心してしまう。
(そうよね。
ローラン様は、いつも“仕事として”丁寧に対応してくださる方だもの)
ノエルは、何とも言えない表情で微笑んだ。
「……そういう解釈も、あるかもしれませんね」
「え?」
「いえ。
お嬢様が嬉しそうなので、何よりです」
ノエルは、そっと花瓶を用意して、花束を活けた。
温室いっぱいに、かすかな香りが広がる。
「ローラン様に、お礼をお伝えしなければ」
リリアンヌは、胸の前で手を重ねた。
「“いつも、最適な休息をご提案くださってありがとうございます”って」
「……その言葉を聞いた参事官のお顔が、楽しみですね」
ノエルは、どこか含みのある声で微笑んだ。
***
「どうだった?」
執務室で待機していたカミーユが、食い気味に尋ねた。
「お嬢様、“とても嬉しそう”でした」
ノエルが報告する。
「白いバラの花言葉も、ぎりぎり半分くらいは思い出しておられましたよ。
“尊敬”と“純粋な愛”あたりを」
「それで、“愛”のほうには気づいたか?」
「“フロレアル家としての感謝と敬意”という結論にたどり着かれました」
「見事なまでに、業務解釈だな」
カミーユとノエルが、そろってため息をついた。
ローランは、机の上で静かに頭を抱える。
「……俺の“あなたはわたしの光です”の意図は」
「“最適な休息環境の提供”として受理された模様です」
「ぐ……」
花言葉作戦第1段階、あえなく業務化。
だが、落ち込んでいる暇はない。
策士は、失敗をすぐさま分析する。
「……つまり、“恋愛の花言葉”だと明示しなければ、
業務用メッセージとして処理されるということだな」
「そうですね。
お嬢様にとって“フロレアル家の花”は、基本的に“仕事道具”ですから」
「なるほど」
ローランは、次の紙束を手に取った。
「ならば、第2段階だ」
「メッセージカード付きのアレですね」
「ああ。今度は、“あなたに向けた言葉だ”と、はっきり伝わるようにする」
「それを、世間では“ラブレター”と呼びます」
「そう言われると急激に難度が上がるな」
とはいえ、すでに文面は用意してある。
昨夜、何度も書き直し、破り、最終的に三行に絞ったものだ。
──《白百合へ。
あなたがここにいてくれることに、
日々、救われています。 ──ローラン》
自分としては、かなり踏み込んだ内容だ。
「……これなら、さすがに業務とは思うまい」
「そう願いたいですね」
ノエルとカミーユが、どこか遠い目をした。
***
翌日。
リリアンヌが温室に向かうと、テーブルの上に小さな花束が置かれていた。
前日とは違い、今度は淡いピンクのチューリップと、青い小花の組み合わせ。
その横には、封筒に入ったカードが添えられている。
「……!」
胸が、どきんと跳ねた。
そっと封を切る手が震える。
(これ……もしかして……)
思い切ってカードを開く。
そこには、見慣れた端正な文字が並んでいた。
『白百合へ。
あなたがここにいてくれることに、
日々、救われています。 ──ローラン』
「…………」
しばし、脳がフリーズした。
(ひ、日々、救われています……?)
ほっぺたまで一気に熱が上がる。
だがその直後、
“箱入り令嬢の内なる保身“が顔を出した。
「……これは、きっと、“業務評価”……!」
思考が、妙な方向に滑り出す。
(そうよね。
わたしが“ここにいてくれる”ことで、
家同士の関係や、花祭の運営や、
いろいろな部分が安定しているっていう……)
冷静に考えれば考えるほど、
「婚約者としての立場への感謝」という解釈が強化されていく。
(でも、“日々、救われています”って……)
その一文だけが、どうしても胸に残った。
救われている、という感覚。
誰かの存在が、自分を支えてくれている感覚。
それは、リリアンヌ自身が、
ローランに対してうっすらと抱き始めている感情だったから。
「……ローラン様も、誰かに救われたいって、思うことがあるのかしら」
胸の前で、カードをぎゅっと握りしめる。
「わたしで、少しでも……そう思っていただけているのなら……」
そこまで考えたところで、ノエルが入ってきた。
「お嬢様」
「ノ、ノエル!」
慌ててカードを閉じる。
「いま、ちょうど……その……」
「“業務評価表”をご覧になっていたところですね?」
「ぎ、業務……」
リリアンヌは、思わず固まった。
「ち、ちが……くは、ないような……」
曖昧な否定になってしまう。
ノエルは、優しく微笑んだ。
「ピンクのチューリップの花言葉は、“愛の告白”だそうですよ」
「……っ!」
再び、顔が真っ赤になる。
「こ、告白……」
「青い小花には、“信頼”や“ひかえめな愛”の意味もあるとか」
「ひかえめな……」
急激な情報量に、リリアンヌの脳が処理落ちしかける。
「も、もしかしてこれは……」
「お嬢様の解釈にお任せします」
ノエルは、そこでふっと口を閉じた。
「ただひとつだけ言えるのは、
参事官が、昨夜ひどく悩みながら何度も紙を丸めていた、という事実だけです」
「紙を……」
「“文面の最適化”に、かなりの時間を費やしておられました」
想像してしまい、胸がきゅうとなる。
(ローラン様が……わたしのために、
そんなふうに悩んでくださっていたなんて)
業務評価だろうが、花言葉だろうが、
もはやどちらでもいい気がしてきた。
「……とても、嬉しいです」
リリアンヌは、素直にそう言った。
「わたしがここにいて、ローラン様の“日々”の、
少しでもお役に立てているのなら」
「きっと、想像以上にお役に立っていると思いますよ」
ノエルは、やわらかく頷いた。
「お嬢様は、“参事官の誤差をちょっと甘くする担当”ですから」
「甘く……」
何だかよくわからないけれど、褒められている気がした。
***
そのころ、執務室では。
「どうだった」
ローランが、落ち着かない様子で尋ねる。
「お嬢様、とても顔を赤くしておられました」
ノエルが報告する。
「“業務評価かもしれない”と揺れつつ、
最終的には“とても嬉しい”とおっしゃっていました」
「業務評価かもしれない、のか」
「はい。
ただ、“救われています”の一文には、
かなり心を動かされている様子でしたよ」
「……そうか」
ローランの胸に、安堵と照れくささが同時に広がる。
(業務か恋愛か、曖昧なラインではあるが……
少なくとも、“自分の存在が誰かの救いになっている”という感覚は、
伝わっているということか)
それならば、今はまだそれでいいのかもしれない。
「第2段階は、まあ……半分成功といったところでしょうか」
カミーユがまとめる。
「“愛の告白”までは届いていませんが、
“特別な相手である”という自覚は芽生え始めているようです」
「芽生え……」
「観測者としては、今後の成長が楽しみですね」
ノエルとカミーユが、わざとらしく頷き合う。
「……君たちは、俺の恋路を植物か何かだと思っていないか」
「観測対象ですので」
「肥料をやりすぎると枯らしてしまいますので」
好き放題である。
とはいえ、第三段階まで用意されている以上、
ここでやめるわけにはいかない。
「第3段階は、“本人を花に見立てた決定的な花言葉”でしたね」
カミーユが、にやりと笑う。
「“白百合は、俺にとっての唯一の光だ”とか何とか」
「そんな露骨なセリフは言っていない」
「昨夜、そういう文案も一度書かれていましたよね?」
ノエルがさらりと暴露する。
「途中で“糖度過多”と書いて破られていましたが」
「……覗き見は慎め」
ローランは咳払いをひとつして、視線を逸らした。
「第3段階は、また改めて考える」
「“改めて考える”と言っているうちに、
告白のタイミングを逃すパターンですね」
「そんな統計は存在しない」
「作りましょうか、参事官の過去データから」
「やめろ」
そうやって口では言い合いながらも、
ローランの胸の中では、ひとつの確信が育ちつつあった。
──花言葉作戦は、
たしかに“策士の思惑どおり”には進まなかった。
だが、リリアンヌの心のなかには、
間違いなく「自分は大切にされている」という感覚が残った。
それだけは、確かだと信じられる。
(……ならば、誤差込みで成功と言ってもいいのかもしれない)
世界側の誤差。
解釈の誤差。
恋心の自覚の誤差。
そういうものを全部ひっくるめて、
“ひとり分じゃない灯り”になっていくのだとしたら――。
策士は、少しだけ肩の力を抜いて、次の作戦を考えはじめるのだった。
***
もし、この数日間のやりとりを、王都の記録係が書き残すとしたら――きっと、こんな注釈がつくだろう。
――本日付記。
フロレアル家参事官、花言葉作戦を決行。
第1段階「白いバラ+かすみ草」は、
“最適な休息環境の提供”として受理されるも、
お嬢様の笑顔ポイントは大幅に上昇。
第2段階「ピンクのチューリップ+青い小花+メッセージカード」は、
“業務評価”と“何かそれ以上”のあいだで揺れつつ、
お嬢様の胸に“日々、救われています”という言葉を深く刻む。
なお、この時点で、
当人たちの心のグラフには、
《恋愛感情(仮)》なる項目が、
ひっそりと追加されている模様。
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