『猫の手も借りたいのです!〜王宮御用達和菓子屋の恋菓祭繁忙記〜』

星乃和花

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第5話 試作:告白が隠れる練り切り

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恋菓祭が近づくほど、王都の空気は“甘さ”に浮かれていく。

朝の市場では、花屋がいつもより赤い花を並べる。
仕立て屋は、袖口に小さな刺繍を入れる注文で忙しい。
そして菓子屋は――言うまでもなく、戦場だ。

《鶴の屋》王都支店。

厨房には今日も湯気が立ち、餡の匂いが漂い、職人たちの手が止まらない。
その真ん中で、ユズは帳面を抱えたまま、ひとつ深呼吸した。

「恋菓祭……幸せを運ぶ繁忙期なのです」

番頭が即座に言う。

「支店長。繁忙期に“幸せ”だけ言ってると死にます」

ユズはにこにこする。

「死なないのです。私は支店長なのです」

番頭が諦めた顔をする。

「はい……」



午前の仕込みが一段落した頃、厨房の端で職人のひとりが言い出した。

「なあ。恋菓祭の“贈り菓子”ってさ――」

別の職人が続ける。

「――“言えないこと”を菓子に乗せる日だよな」

見習いが目を丸くした。

「言えないことって……?」

職人は当然のように言った。

「好き、とか」
「会いたい、とか」
「……ここにいて、ってやつ」

その言葉に、ユズの指がぴたりと止まった。

(……ここにいて)

胸の奥が、きゅっとなる。

ユズは慌てて帳面に目を落とし、いつもの笑顔で言った。

「恋菓祭は、和菓子で幸せを運ぶのです。言えないことも運ぶのです」

番頭が淡々と言う。

「支店長。今、いいこと言いました」

ユズが胸を張る。

「私はいつも、いいことを言っているのです」

番頭は黙った。



職人が続けた。

「だからさ、仕掛け、入れたいよな」

「仕掛け?」

ユズが首を傾げると、職人が目を輝かせる。

「練り切りの中に、薄い砂糖紙を仕込むんだよ。そこに短い言葉を書いてさ。食べたら出てくる」

見習いが目を丸くした。

「えっ、告白が出てくるお菓子……!」

厨房の空気が一気に恋菓祭色になる。

番頭が眉間を押さえた。

「……忙しいのに、余計な遊びを入れるな」

職人が即座に言い返す。

「恋菓祭ですよ?」

番頭が無言になる。
また反論できない沈黙が生まれた。

ユズは、思わず手を叩きそうになった。

「素敵なのです! 和菓子が、言葉を運ぶのです!」

そして、ふと気づく。

(……言葉)

言葉が、運ばれる。

食べたら、出てくる。

(……もし、私が食べたら、何が出てくるのです?)

そんな想像をしてしまって、ユズは慌てて頭を振った。

そのとき。

カイが、いつものように無言で作業台に立っていた。
今日もほとんど言葉を発しない。
でも、職人たちの会話を、ちゃんと聞いている目だ。

ユズは思わず言ってしまう。

「カイさん、どう思うのです? 告白が出てくる練り切り」

カイは返事をしない。

返事の代わりに、ユズを見る。

――じっと。

その視線だけで、ユズの喉がきゅっとなる。

(……やだ、なんで緊張するのです)

カイは視線を少し落とし、作業台の端にあった紙を引き寄せた。
炭筆で、短く書く。

――言葉。短いほど、刺さる。

厨房が静かになる。

職人が小声で言った。

「……こわ」
「無口のくせに、刺し方が上手い」

番頭が咳払いをした。

「……仕事に戻れ」

ユズは目を丸くする。

「刺さる……?」

カイが、また紙に書く。

――“好き”より、“ここに”。

ユズの胸が、どくん、と鳴った。

(……ここに)

またその言葉。

ユズは、笑顔のまま固まった。

番頭がぼそっと言う。

「支店長。顔が赤いです」

ユズが即座に否定する。

「赤くないのです! 餡が、熱いのです!」

番頭は静かに言った。

「餡は、今、冷ましてます」

ユズは黙った。



試作が始まった。

まずは砂糖紙――薄い、口どけのよい紙を作る。
そこに、短い言葉を書き入れる。

職人たちは「どんな言葉にする?」と盛り上がる。

「“好き”は定番」
「“会いたい”もいい」
「“あなたにだけ”は刺さる」
「“帰ってきて”は重い」

見習いが真顔で言った。

「重いのが恋菓祭の醍醐味ですよね」

番頭が呻いた。

「……厨房が恋愛相談所になってる」

ユズはにこにこしながら言う。

「恋も幸せなのです。幸せを運ぶのです」

番頭は抵抗をやめた。



そして、カイの出番が来た。

練り切りを、いつもの羽模様の型で成形する。
そこに、砂糖紙を仕込む。

ユズは隣で見守る。

カイの指先は、相変わらず繊細だ。
大きな手なのに、砂糖紙が破れない。
餡が潰れない。
練り切りの花びらが、息をしているみたいに整う。

ユズは、思わず見入ってしまう。

(……武器じゃなくて、餡を握る手なのです)

そのとき。

カイが砂糖紙に文字を書く番になった。

職人たちがざわつく。

「え、カイさんが書くの?」
「何書くんだろ」
「無口だから、文字が強そう」

ユズも、なぜだか息を止めた。

カイは、炭筆を持つ。
一筆。

迷いがない。

書かれた文字は、端正で、静かで――怖いほど綺麗だった。

ユズは思わず訊ねた。

「……何て書いたのです?」

カイは答えない。

答えないけれど、その砂糖紙を折って練り切りに仕込み、
完成品を小皿に載せて、ユズの前に置いた。

――まるで「これを食べろ」と言うみたいに。

ユズは目を丸くした。

「……私が、味見なのです?」

番頭が淡々と言う。

「支店長。それは仕事です。逃げないでください」

ユズは「逃げないのです!」と胸を張るが、
胸の奥は落ち着かない。

(……カイさんが書いた言葉)

何が出てくるの?

ユズは練り切りを、そっと口に運んだ。

上品な甘さ。
繊細な香り。
そして――

舌の奥で、薄い砂糖紙がふわっとほどける。

ユズはそっと指先で取り出した。

白い砂糖紙に、黒い文字。

そこに書かれていたのは――

『ここで』

たった二文字。

ユズは固まった。

(……ここで)

“ここで”?

ここで何?

ここで、食べる?

ここで、作る?

ここで――

視線を上げると、カイがユズを見ていた。

その目が、あまりにも静かで、真剣で――

ユズの胸が、どくん、と鳴った。

カイは言わない。

でも視線が言っている。

――ここで。

ユズの喉がきゅっとなる。

(……ここで、何?)

聞けばいいのに、聞けない。

聞いたら、何かが変わってしまう気がして。

ユズは、逃げるように笑顔を作った。

「……えっと、素敵なのです! 短いほど刺さるって、こういうことなのです!」

職人たちがざわつく。

「え、支店長、今の読んだ?」
「“ここで”って……なにそれ」
「刺さるっていうか、刺しに来てる」

番頭が目を閉じた。

「……厨房で刺し合うな」

見習いが真顔で言った。

「刺し合いじゃなくて、一方的に刺されてます」

番頭は何も言えなかった。



ユズは、必死に仕事に戻った。

でも、胸の奥がふわふわする。

“ここで”

それは、場所の言葉なのに、
なぜだか、心の言葉に聞こえる。

(……ここが、カイさんの“ここ”なのです?)

そんなことを考えてしまう。

ユズは慌てて首を振った。

(仕事なのです。これは仕事なのです)

でも。

ふと横を見ると、カイが作業をしている。
無口で、静かで、丁寧で。
その目だけが、相変わらずユズを追う。

視線が言っている。

――ここで。

ユズは、胸の奥で小さく呟いた。

(……ここにいて、って言ってるみたいなのです)

その“みたい”が、怖い。
でも、嬉しい。

ユズがそんな矛盾を抱えていると、番頭がさらりと言った。

「支店長。今日からこの“告白練り切り”、限定で出します」

ユズが目を丸くする。

「えっ、いきなりなのです?」

番頭が淡々と言う。

「噂は走らせた方が勝ちです」

職人たちが拍手した。

「番頭、仕事できる!」
「恋菓祭の王!」

番頭が目を細める。

「褒めるな。調子に乗る」

ユズは呟いた。

「……噂が走るのです」

そして、胸の奥で小さく思う。

(噂が走ったら、カイさんの“ここで”も、走っちゃうのです?)

自分でも何を言っているのかわからない。
でも、心が甘くて落ち着かない。

カイが、ふっとユズを見る。

その目が、少しだけ優しくなる。

――大丈夫。

そんな風に見えて、ユズはまた、胸がふわっとした。

恋菓祭の繁忙は、甘いだけじゃない。

言葉にならないものまで運んでくる。

そして今日、ユズは初めて知った。

無口な人の言葉は、菓子より甘くて、ずるい。
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