看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

文字の大きさ
11 / 36

11:お泊まり

それは、三日後の夜だった。

当主は、ほとんど回復していた。
咳はまだ少し残るが、熱はない。顔色も良い。机の上の書類が増え、執事が「量を抑えてください」と言う声が、廊下越しに聞こえた。

リィナは、胸の奥に小さな焦りを抱えた。

(……もう、看病じゃなくなる)

看病を理由にできる時間が、終わろうとしている。
終わるのが怖いのに、終わらないのはもっと怖い。

その夜も、リィナは盆を抱えて寝室へ向かった。
白湯と、軽いスープ。薬はもうない。代わりに喉飴の小瓶をひとつ——侍女長が「念のため」と渡してくれた。

ノック、二回。

「入れ」

扉を開けると、当主はベッドに腰掛けていた。
姿勢が良い。回復した人の姿勢だ。

けれど、目だけは違う。
眠れない人の目ではなく——“待っていた人”の目だった。

「来たな」

「はい。……白湯を」

リィナが盆を置こうとすると、当主が手を伸ばして止めた。

「今日は先に話がある」

胸が跳ねる。

(来た……)

“考えた”の次に来るのは、設計だ。
そして設計の目的は、彼女を手放さないこと。

リィナは静かに頷いた。

「……何でしょうか」

当主は机の上の紙を指で軽く叩いた。
しかし、そこにあるのは計画書ではない。
一行だけの短い文だった。

お願い:今夜、ここに“泊まって”ほしい。

リィナは目を疑った。

「……泊まる、ですか」

当主は淡々と頷いた。

「そうだ」

「それは……条件に反します」

条件は「眠ったら帰る」。
鍵は閉めない。
週に一度は休む。

当主はそれを分かっている顔で言う。

「分かっている」

「なら——」

「条件を破れ、と言っているわけではない」

当主は静かに続けた。

「条件を“更新”したい」

更新。
また契約の言葉。

リィナは息を吸い、必死に冷静を保った。

「……なぜ、泊まる必要が」

当主は少しだけ目を伏せる。
珍しく言葉を選ぶ。

「お前が帰ったあと、冷える。……それは変わらない」

「おやすみ、と言いました。呼吸も——」

「足りない」

短い。
しかし、決定的。

リィナの胸がきゅっと痛む。

当主は淡々と告げる。

「眠る前は足りる。……眠っている間が足りない」

リィナは言葉を失った。

(……眠っている間も、私が必要)

それは看病ではない。
それは、依存だ。

当主は続ける。

「お前は、眠っている間に俺の手を外せた」

リィナの背中が冷たくなる。

「……見ていたのですか」

「覚えている」

当主は目を逸らさず言った。

「外された瞬間、目が覚めた」

リィナは凍りついた。

当主は静かに言う。

「だから、泊まってほしい。……外さないでほしい」

言葉は“お願い”なのに、意味は“捕獲”だ。
リィナは手のひらを握りしめた。

「……それは、私がここに閉じ込められるのと同じです」

当主の目がわずかに揺れた。

「閉じ込めるつもりはない」

「でも、結果は同じです」

当主はしばらく黙った。
それから、低く言った。

「では、取引だ」

リィナは息を呑む。

「泊まるのは“今夜だけ”。代わりに、明日は休め」

リィナは目を瞬いた。

「……休む、ですか」

「休め」

当主は淡々と言う。

「お前は、眠っていない。俺のために削っている。……それが嫌だ」

そこだけは、ぶれない。
守ると言って決める癖は減ったのに、守ろうとする執着は残っている。

リィナは震える息で言った。

「……それは、当主が決めることではありません」

当主は頷いた。

「だから取引だ。……お前が決めろ」

珍しい。
“決めろ”と言いながら、枠を提示している。
でも、それでも——少しは譲っている。

リィナは考えた。
今夜泊まれば、条件は崩れる。
でも、明日休める。身体は楽になる。
それに——怖いが、興味もある。

(私……どうしたい)

当主の部屋に一晩いる。
眠っている彼の側にいる。
それは、看病ではない。

けれど、彼が“眠れない”なら。
自分がいなくて苦しいなら。
放っておけない。

——捕獲ポイント。
お世話=情を育てて捕まえる。

自分で自分を捕まえに行っている。

リィナは唇を噛み、震える声で答えた。

「……今夜だけです。明日、休みます」

当主の目が、わずかに柔らかくなる。

「約束だ」

「はい」

当主は、机の上の紙を裏返した。
新しい白紙を出す。

「書け。……今夜の条件」

リィナはペンを取った。
自分の枠を、自分で書く。

・今夜だけ泊まる(明日の昼まで)
・鍵は閉めない
・寝台には上がらない(椅子か簡易寝具)
・触れるのは“手だけ”
・嫌なら言う(当主は止める)

書き終え、当主に渡す。

当主はそれを読み、短く頷いた。

「守る」

「……努力、ですか」

リィナが小さく言うと、当主の口元がわずかに動く。

「努力する」

本当に、彼は努力している。
それが怖い。嬉しい。苦しい。

——その夜。

リィナは簡易寝具を敷いた。
当主はベッドに入る。ランプは弱く灯る。

指先を重ねる。
いつものように。

当主の呼吸が深くなり、眠りに落ちる。

リィナは目を開けたまま、天井を見つめた。
心臓がうるさい。

(泊まってしまった)

そして、真夜中。

当主が小さく息を吐き、寝返りを打った。
指が探る。空を掴む。いつもの癖。

リィナはため息を飲み込み、そっと手を差し出した。
指が触れ合い、握り返される。

その時、当主が眠ったまま、低い声を落とした。

「……リィナ。冷えない」

リィナの胸が、ぎゅっと痛む。

冷えない。
“埋まった”という言葉の代わり。

リィナは小さく囁いた。

「……おやすみなさい」

当主の呼吸がほどける。
握る指が、安心したように緩む。

——看病される側になったのは、どっちなのだろう。

リィナは目を閉じた。

そして、初めて。
当主の部屋で、ちゃんと眠った。
感想 0

あなたにおすすめの小説

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

【完結】「元カノが忘れられないんでしょう?」と身を引いた瞬間、爽やか彼氏の執着スイッチが入りました

恋せよ恋
恋愛
「元カノが忘れられないなら、私が身を引くわくべきよね」 交際一周年、愛するザックに告げた決別の言葉。 でも、彼は悲しむどころか、見たこともない 暗い瞳で私を追い詰めた。 「僕を捨てる? 逃げられると思っているの、アン」 私の知る爽やかな王子の仮面が剥がれ落ち、 隠されていた狂おしいほどの独占欲が牙を剥く。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

【完結】地味な私と公爵様

ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。 端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。 そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。 ...正直私も信じていません。 ラエル様が、私を溺愛しているなんて。 きっと、きっと、夢に違いありません。 お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

私はもう、別の方の腕の中です

阿里
恋愛
自分の食事を抜き、内職で指を傷だらけにしながら、婚約者ケビンの夢を応援してきたニーナ。だが、成功を手にした彼から返ってきたのは、感謝ではなくあまりに冷酷な裏切りだった。家族からも見放され、絶望の泥濘に沈む彼女の前に現れたのは、かつて命を救った「名もなき騎士」……今や最強の権力者となったアーサーだった。 「私を捨ててくれてありがとう。おかげで私は、本物の愛を知りました」 後悔に狂う元婚約者を余所に、ニーナは騎士団長からの過保護なまでの溺愛に包まれていく。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

りわ あすか
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

十八歳で必ず死ぬ令嬢ですが、今日もまた目を覚ましました【完結】

藤原遊
恋愛
十八歳で、私はいつも死ぬ。 そしてなぜか、また目を覚ましてしまう。 記憶を抱えたまま、幼い頃に――。 どれほど愛されても、どれほど誰かを愛しても、 結末は変わらない。 何度生きても、十八歳のその日が、私の最後になる。 それでも私は今日も微笑む。 過去を知るのは、私だけ。 もう一度、大切な人たちと過ごすために。 もう一度、恋をするために。 「どうせ死ぬのなら、あなたにまた、恋をしたいの」 十一度目の人生。 これは、記憶を繰り返す令嬢が紡ぐ、優しくて、少しだけ残酷な物語。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。