看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

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17:二人

当主は、指先を重ねたまま、何も言わなかった。

“俺は——”の続きを飲み込んだまま、ただ、静かに呼吸を整えている。
その沈黙は、苦しくて、優しい。

リィナはカップを持ち上げ、ひと口飲んだ。
濃い茶の渋みが舌に残り、胸の奥の熱を少しだけ冷ます。

(このままじゃだめだ)

枠は続き方。
でも、続くほど、言葉が溜まる。
溜まった言葉は、いずれ溢れる。——その前に、整えなければ。

リィナは、そっと指先を引いた。
当主の手が空を掴む。追わない。
追わない努力。

「……今日は、短く」

リィナが言うと、当主はわずかに頷いた。

「分かっている」

分かっている。
それを言えるようになったのが、少しだけ嬉しい。

リィナは、息を吸ってから言った。

「アレクシス様。……私、枠を守りたいです」

当主の目が、静かにこちらを捉える。

「守れ」

即答。
しかし、その声は命令ではなく、支えの言葉に近い。

リィナは続けた。

「でも、枠を守るだけだと……あなたが苦しい」

当主の目が細くなる。
否定が来るかと思った。

けれど当主は、ゆっくり息を吐いて言った。

「苦しい」

認めた。
それだけで、リィナの胸が痛む。

当主は淡々と続ける。

「だが、お前の枠がないと、俺はもっと壊れる」

リィナは唇を噛んだ。
壊れる。
そんな言葉を、当主が使うのが怖い。

「だから——」

当主は言いかけて止めた。
また言葉を飲み込む。

リィナはそれを見て、勇気を出した。

「……だから、枠の“相談”をしませんか」

当主の眉が、わずかに動いた。

「相談」

「はい」

リィナは机の上の白紙を指さした。
いつも当主が“設計”に使う紙。
今日はそれを、二人の相談に使いたい。

「枠を守りながら、あなたが苦しくならない続き方」

当主はしばらく黙っていた。
その沈黙が長い。怖い。
でも、逃げない。

やがて当主は、低く言った。

「……いい」

短い許可。
それだけで、息が少しだけ楽になる。

リィナはペンを取り、白紙にゆっくり書いた。

・週二回(夕方一時間)
・“来ない日”は責めない
・迎えに行かない
・触れるのは手だけ(本人が嫌ならやめる)

今までの枠を書き出す。
見える形にする。そうすると、少しだけ心が落ち着く。

当主はそれを見つめている。
視線が熱い。
でも、言葉は静かだ。

リィナは続けて書いた。

・代案:来ない日は“手紙”か“短い伝言”を残す(義務ではない)

書いた瞬間、胸が跳ねた。
自分で自分の首を絞める提案かもしれない。
でも、“何も残らない冷え”を少しだけ埋められる。

当主の目が、わずかに揺れた。

「手紙」

「はい」

リィナは慌てて付け足す。

「義務じゃないです。……私が余裕があるときだけ」

当主は黙って、ペンを取った。

そして、リィナの書いた行の横に、短く書き足す。

・返事は求めない(返事がなくても責めない)

リィナは目を瞬いた。

「……返事、求めないのですか」

当主は淡々と答える。

「お前は返事があると、義務になる」

図星だった。
返事があると、こちらは“返さなきゃ”になる。
当主はそれを分かっている。

リィナの胸がきゅっとなる。

「……ありがとうございます」

当主は小さく頷いただけだった。

リィナは、もう一つだけ提案を書いた。

・“終わりの合図”を決める(時間になったら必ず帰る)

当主が眉を寄せる。

「合図」

「はい」

リィナは言った。

「あなたが名残を言うと、私は揺れます。……私も、帰りたくなくなる」

言ってしまって、頬が熱くなる。
当主の目が静かに揺れる。

「だから、合図があったら帰る。あなたも引き止めない」

当主はしばらく黙り、やがてペンで書いた。

・合図:ランプを一段落とす(明るさを落とす)

リィナは小さく息を呑んだ。
灯りで合図。
この関係に似合いすぎて、胸が痛い。

「……分かりました」

当主は紙を見つめ、低く言った。

「これなら、お前は守れるか」

「はい」

リィナは頷いた。

「あなたも、守れますか」

当主は一拍置き、言った。

「守る」

努力ではなく、守る。
約束の言葉。

リィナは胸がほどけそうになった。

——そして、紙の最後に、当主が小さく書き足した。

・“来たい”が出た日は来い(枠の中で)

リィナは目を丸くした。

「……それは、私の意思です」

「そうだ」

当主は淡々と言う。

「俺はそれを、待つ」

待つ。
彼が、待つと言った。

胸が痛いほど温かくなる。

リィナは深呼吸し、立ち上がった。

「……今日は、ここまでにします」

当主が頷く。
引き止めない。守っている。

リィナは合図の通り、ランプを一段落とした。
灯りが少しだけ弱くなる。

当主の眉がふっとほどけた。
合図が、効いている。

リィナは扉の前で振り返り、小さく言った。

「おやすみなさい、アレクシス様」

当主は静かに返す。

「……おやすみ」

扉を閉める。

廊下は冷たい。
でも、胸の中は熱い。

捕獲ではない。
枠だ。
枠の中で、二人は“続け方”を選び始めた。
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