看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

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18:手紙

その夜、リィナは自室で白い紙を一枚、机の上に置いた。

“来ない日の代案:手紙か短い伝言”。
義務ではない。余裕がある時だけ。
返事は求めない。返事がなくても責めない。

書くつもりなんてなかったのに、ペンを取ってしまった。
指先が覚えている。あの部屋の灯りの合図。指先の熱。

(……余裕がある時だけ)

今が余裕なのか、ただ落ち着かないだけなのか分からない。

リィナは、短く書いた。
短く。言い訳にならない程度に。

本日のお茶は少し濃くしました。
休めたなら、よかったです。
——リィナ

それだけ書いて、封をした。
渡す手段は、執事に預けるしかない。
執事が見る。侍女長が知る。屋敷が知る。
それが怖い。

でも——当主は“迎えに行かない”と言った。
なら、こちらから行く分には、枠の中だ。

翌朝。

リィナは台所でいつものように動きながら、封筒を胸元の内ポケットに隠していた。
紙一枚の重さが、妙に重い。

昼前、執事が台所に現れた。
相変わらず無表情。
けれど今日は、いつもより一歩だけ静かに歩く。音を立てない。

「リィナ」

リィナは背筋を伸ばした。

「……はい」

執事は周囲に人がいないことを確認して、声を落とす。

「当主は、今日も枠を守っております」

報告。
責めではない。
でも、胸が痛い。

「……ありがとうございます」

リィナは震える指で、封筒を差し出した。

「これを……お渡しいただけますか」

執事は封筒を見た。
目の動きがほんの少しだけ柔らかくなる。

「手紙ですね」

「短い伝言です。……返事はいりません」

執事は頷いた。

「承知しました。……当主は、返事を求めないと約束されています」

その言い方が、妙に“当主の努力”を誇らしげに感じて、リィナは胸がぎゅっとなった。

執事は封筒を受け取り、淡々と告げた。

「当主は、あなたの言葉を……薬のように扱います」

「薬……?」

「効く、という意味です」

執事はそれだけ言って去った。



夕方。

リィナは庭の端を歩きながら、落ち着かない胸をなだめていた。
今日の夕方は“枠”ではない。行かない日だ。
だからこそ、余計に当主の反応が気になる。

返事は来ない。来ない方が良い。
でも、来たら嬉しい。
来なければ落ち着くはず。
なのに、落ち着かない。

(……私は何をしてる)

自分で自分を捕まえに行っている気がする。

夜。

リィナが自室で針仕事をしていると、ノックがあった。
侍女長の声。

「リィナ。少し」

胸が跳ねた。
何か言われる? 手紙のこと? 勝手なことを?

扉を開けると、侍女長が立っていた。
表情はいつも通り厳しい——けれど、目だけが少し柔らかい。

「当主がね」

リィナの喉が鳴る。

「……はい」

侍女長は短く言った。

「あなたの手紙を受け取って、“今日は冷えない”って」

リィナは固まった。

冷えない。
あの言葉は約束で言わないはずだったのに。
でも、侍女長に言った。
直接ぶつけていない。枠の中に収めている。

侍女長は続ける。

「それで、言ったの。——“返事はしない。だが、礼は言う”。って」

礼。
また礼。

リィナは唇を噛んだ。
返事がないのが、安心で、少し寂しい。
その矛盾が苦しい。

侍女長は、少しだけ声を落とした。

「……リィナ。あなたは、今、自分の意思で進んでる?」

リィナは胸を押さえた。

「……はい。枠の中で」

侍女長は頷いた。

「なら、いい。……でも、枠を忘れないで。あなたが壊れたら、当主も壊れる」

リィナは小さく頷いた。

「はい」

侍女長は去った。

——その夜。

リィナは机に向かい、白紙をもう一枚出した。

返事はいらない。
でも、礼を言うと言った。

礼を言うなら、当主はきっと——また“おやすみ”を返すだろうか。
そんな期待が胸に生まれてしまう。

リィナは小さく息を吐き、紙を伏せた。

(次の枠は、いつだろう)

週二回。
だから、次は二日後。

“来たい”が出た日は来い(枠の中で)。
当主が書き足したその一行が、胸の奥で静かに光っていた。

そして、リィナは知らない。

当主が“返事をしない”代わりに、
別の形で“礼”を返す準備を始めていることを。
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