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19:魔導石(重い)
二日後の夕方。
リィナは盆の上に、いつもの茶器と、薄い焼き菓子をひとつ載せた。
今日は枠の日。週二回のうちの一回目。
“来たい”が出た日ではなく、枠の予定の日。
(短く、一時間)
指先が少しだけ緊張している。
だが、心臓の音は前ほど暴れない。
枠があるから——怖さに名前がつく。
ノック二回。
「……入れ」
声は落ち着いていた。
掠れていない。眠れているのだろう。
扉を開けると、当主は机ではなく、窓辺の椅子に座っていた。
昨日までの書類の匂いが薄い。
灯りも、まだ早い時間なのに弱めに落としてある。
(……休む準備をしてる)
自分で整え始めた当主がそこにいる。
それだけで胸が少しだけ温かくなる。
「来たな」
「はい。枠の中です」
リィナがそう言うと、当主の口元がわずかに動く。
「分かっている」
今日は、余計な設計の匂いが少ない。
その代わり、何かを“隠している”気配がある。
リィナはお茶を淹れ、カップを差し出した。
当主は受け取り、一口飲む。
「……安定している」
またその言い方。
味ではなく、彼女の存在を評価する言葉。
リィナは自分の分を淹れ、椅子に座った。
沈黙が落ちる。
茶の香りが満ちる。
当主はカップを置き、視線を窓の方へ向けた。
「……リィナ」
「はい」
当主はしばらく黙った。
そして、唐突に言う。
「礼をする」
リィナは目を瞬いた。
「……礼、ですか」
「お前の伝言の礼だ」
返事はしないと言ったのに。
礼は言うと言った。
リィナは小さく頷いた。
「……礼なら、もう十分です」
当主は首を振る。
「言葉ではなく、形で返す」
形。
嫌な予感がする。
また設計? 罠? 囲い込み?
リィナは慎重に言った。
「……枠の外のことは、しないでください」
当主の目が、静かにこちらを見る。
「枠の中だ」
そう言い切って、当主は引き出しから小さな箱を出した。
装飾のない、薄い木箱。
派手ではない。質素。
それが逆に怖い。
当主は箱を机に置き、指で軽く押した。
「開けろ」
命令ではない。
でも、拒否しづらい。
リィナは息を吸い、そっと蓋を開けた。
中には、小さな灯りが入っていた。
手のひらに収まる、折りたたみ式の小さなランプ。
油ではなく、魔導石の淡い光——この屋敷で使われる簡易灯りだ。
「……これは」
リィナが呟くと、当主は淡々と答えた。
「お前のための灯りだ」
リィナの背中が冷たくなる。
(私のため、という名の囲い込み)
当主は続ける。
「お前が俺の部屋に来るとき、廊下は暗い。……お前は足音を忍ばせる。転ぶ」
リィナは口を開けた。
「転んでません」
「転びかけた」
当主は真顔で訂正する。
細かい。ひどい。
「それに、お前は夜に文字を書く。……目が悪くなる」
それは——手紙のことだ。
見抜かれている。怖い。
リィナは箱を閉じかけた。
当主が低く言う。
「これは、迎えに行く代わりだ」
リィナの手が止まる。
迎えに行かない。
約束。
彼はそれを守る代わりに、“道具”を寄越した。
当主は淡々と続ける。
「お前の生活に入らない。……だが、灯りだけは渡す。お前が困らないように」
リィナの喉が震える。
優しさの形をした介入。
でも、確かに“生活に入る”より軽い。
枠の中。
そう言い聞かせる。
リィナは震える声で言った。
「……これは、重いです」
当主の目が、わずかに揺れた。
「重いか」
「はい。持ったら、あなたを思い出します」
言ってしまった。
言ってしまった瞬間、頬が熱くなる。
当主の指先が動きかけて、止まる。掴まない。
当主は低く言った。
「……思い出せ」
リィナは息を呑む。
「それをぶつけない。……お前の枠を守る。だが、思い出すのは止めない」
彼の枠。
欲しがることは許せ。
ぶつけない。
リィナは箱を見つめ、迷った。
拒否すべきか。
受け取れば、枠が少しだけ狭まる。
でも、拒否したら——彼は別の形で礼を返そうとする。もっと強く。
リィナは息を吐き、そっと箱を持ち上げた。
「……ありがとうございます。受け取ります。でも——」
当主が目を上げる。
「条件があります」
当主は頷いた。
「言え」
リィナは震える声で言った。
「これは、“私が欲しいと思ったときだけ”使います。あなたのために使わない」
当主の目が、僅かに柔らかくなる。
「それでいい」
リィナは箱を胸元に抱え、深く息を吐いた。
——礼は、返事ではない。
でも、彼は形で返した。
枠を守りながら、彼なりの“残り方”を渡してきた。
リィナは時計を見る。
そろそろ一時間。
合図。
リィナは立ち上がり、ランプの明るさを一段落とした。
灯りが弱くなる。
当主の眉がふっとほどける。
合図が効いている。
「……おやすみなさい、アレクシス様」
当主は静かに返す。
「おやすみ」
扉を閉める。
廊下は暗い。
でも、リィナの胸元の箱が重い。
その重さは、檻かもしれない。
でも同時に、自分の意思で持った重さでもある。
リィナは盆の上に、いつもの茶器と、薄い焼き菓子をひとつ載せた。
今日は枠の日。週二回のうちの一回目。
“来たい”が出た日ではなく、枠の予定の日。
(短く、一時間)
指先が少しだけ緊張している。
だが、心臓の音は前ほど暴れない。
枠があるから——怖さに名前がつく。
ノック二回。
「……入れ」
声は落ち着いていた。
掠れていない。眠れているのだろう。
扉を開けると、当主は机ではなく、窓辺の椅子に座っていた。
昨日までの書類の匂いが薄い。
灯りも、まだ早い時間なのに弱めに落としてある。
(……休む準備をしてる)
自分で整え始めた当主がそこにいる。
それだけで胸が少しだけ温かくなる。
「来たな」
「はい。枠の中です」
リィナがそう言うと、当主の口元がわずかに動く。
「分かっている」
今日は、余計な設計の匂いが少ない。
その代わり、何かを“隠している”気配がある。
リィナはお茶を淹れ、カップを差し出した。
当主は受け取り、一口飲む。
「……安定している」
またその言い方。
味ではなく、彼女の存在を評価する言葉。
リィナは自分の分を淹れ、椅子に座った。
沈黙が落ちる。
茶の香りが満ちる。
当主はカップを置き、視線を窓の方へ向けた。
「……リィナ」
「はい」
当主はしばらく黙った。
そして、唐突に言う。
「礼をする」
リィナは目を瞬いた。
「……礼、ですか」
「お前の伝言の礼だ」
返事はしないと言ったのに。
礼は言うと言った。
リィナは小さく頷いた。
「……礼なら、もう十分です」
当主は首を振る。
「言葉ではなく、形で返す」
形。
嫌な予感がする。
また設計? 罠? 囲い込み?
リィナは慎重に言った。
「……枠の外のことは、しないでください」
当主の目が、静かにこちらを見る。
「枠の中だ」
そう言い切って、当主は引き出しから小さな箱を出した。
装飾のない、薄い木箱。
派手ではない。質素。
それが逆に怖い。
当主は箱を机に置き、指で軽く押した。
「開けろ」
命令ではない。
でも、拒否しづらい。
リィナは息を吸い、そっと蓋を開けた。
中には、小さな灯りが入っていた。
手のひらに収まる、折りたたみ式の小さなランプ。
油ではなく、魔導石の淡い光——この屋敷で使われる簡易灯りだ。
「……これは」
リィナが呟くと、当主は淡々と答えた。
「お前のための灯りだ」
リィナの背中が冷たくなる。
(私のため、という名の囲い込み)
当主は続ける。
「お前が俺の部屋に来るとき、廊下は暗い。……お前は足音を忍ばせる。転ぶ」
リィナは口を開けた。
「転んでません」
「転びかけた」
当主は真顔で訂正する。
細かい。ひどい。
「それに、お前は夜に文字を書く。……目が悪くなる」
それは——手紙のことだ。
見抜かれている。怖い。
リィナは箱を閉じかけた。
当主が低く言う。
「これは、迎えに行く代わりだ」
リィナの手が止まる。
迎えに行かない。
約束。
彼はそれを守る代わりに、“道具”を寄越した。
当主は淡々と続ける。
「お前の生活に入らない。……だが、灯りだけは渡す。お前が困らないように」
リィナの喉が震える。
優しさの形をした介入。
でも、確かに“生活に入る”より軽い。
枠の中。
そう言い聞かせる。
リィナは震える声で言った。
「……これは、重いです」
当主の目が、わずかに揺れた。
「重いか」
「はい。持ったら、あなたを思い出します」
言ってしまった。
言ってしまった瞬間、頬が熱くなる。
当主の指先が動きかけて、止まる。掴まない。
当主は低く言った。
「……思い出せ」
リィナは息を呑む。
「それをぶつけない。……お前の枠を守る。だが、思い出すのは止めない」
彼の枠。
欲しがることは許せ。
ぶつけない。
リィナは箱を見つめ、迷った。
拒否すべきか。
受け取れば、枠が少しだけ狭まる。
でも、拒否したら——彼は別の形で礼を返そうとする。もっと強く。
リィナは息を吐き、そっと箱を持ち上げた。
「……ありがとうございます。受け取ります。でも——」
当主が目を上げる。
「条件があります」
当主は頷いた。
「言え」
リィナは震える声で言った。
「これは、“私が欲しいと思ったときだけ”使います。あなたのために使わない」
当主の目が、僅かに柔らかくなる。
「それでいい」
リィナは箱を胸元に抱え、深く息を吐いた。
——礼は、返事ではない。
でも、彼は形で返した。
枠を守りながら、彼なりの“残り方”を渡してきた。
リィナは時計を見る。
そろそろ一時間。
合図。
リィナは立ち上がり、ランプの明るさを一段落とした。
灯りが弱くなる。
当主の眉がふっとほどける。
合図が効いている。
「……おやすみなさい、アレクシス様」
当主は静かに返す。
「おやすみ」
扉を閉める。
廊下は暗い。
でも、リィナの胸元の箱が重い。
その重さは、檻かもしれない。
でも同時に、自分の意思で持った重さでもある。
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