守護契約のはずが、精霊騎士の距離が近すぎて心拍がもちません―― 距離ゼロで溺愛でした。

星乃和花

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第7話:ヒロイン、初めて“おかしい”に気づく

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 その日の午後。

 ギルドの掲示板に、少しだけ“嫌な匂い”のする依頼が貼られていた。

『王都近郊にて、精霊の暴走反応。
 結界の乱れにより、魔物の出現が不安定。
 調査と鎮静を要請』

 リリィは依頼書を見上げて、首を傾げた。

「精霊が……暴走……?」

「危険だ」

 背後からいつもの即答。
 近い。
 でも今日の声は、いつもより少しだけ硬かった。

 リリィは不思議に思って振り向く。

「エヴァン、こういう依頼……苦手?」

「……苦手ではない」

 否定はした。
 でも、ほんの少しだけ間があった。

 リリィは、胸の奥がちくっとした。

(なんでだろ。
 エヴァンが“言葉にしないもの”があると、気になる)

 いつもは鈍感で済ませられるのに。
 今日のリリィは、少しだけ違った。

「……行く?」

「行く」

 即答。
 でも声は低く、決意が強い。

 そのまま依頼が受理され、
 リリィとエヴァンは現場へ向かった。



 森は、前回と同じ場所だった。

 でも空気が違う。

 木々がざわざわしている。
 風がないのに葉が揺れる。
 鳥が鳴かない。
 空が、少し暗い。

 リリィは無意識に、エヴァンの腕に近づいてしまった。

「……なんか……こわい……」

 口に出した瞬間、背後が動く。

 ――ぴた。

 いつもの守護位置。
 でも今日は、ぴた、の度合いが強い。

 背中に当たる体温が、くっきりわかる。

「……離れるな」

 エヴァンの声が低く落ちた。

「う、うん……」

 リリィは頷いた。

 離れない。
 離れたくない。

 その感情が自分の中にあることに、まだ気づかないふりをした。



 森の奥へ進むほど、空気が重くなる。

 リリィは耳を澄ませた。
 すると、どこかで――

 泣き声みたいな音がした。

「……え?」

 リリィが立ち止まる。

 それは子どもの泣き声にも似ていて、
 動物の鳴き声にも似ていて、
 でもどちらでもない。

 森全体が、悲しんでいるみたいだった。

「精霊……?」

 リリィが呟くと、エヴァンの腕が一瞬強くなる。

「……触れるな」

「でも……助けないと……」

 リリィの言葉は、いつも通りの優しさだった。
 困っているものを見ると放っておけない。

 エヴァンは小さく息を吐く。

「……お前は、そうだ」

 それは責める声ではなく、
 どこか諦めたみたいな、でも愛おしさの混じった声。

 リリィは胸がきゅっとした。

(今の、何……?)

 わからない。
 わからないけど、耳が熱い。

 そのとき。

 ――カッ。

 足元の地面が光った。

「えっ」

 契約紋だ。
 リリィとエヴァンの足元に、淡い紋様が浮かび上がる。

 それはいつもの“守護の光”とは違う。

 荒い。
 波打つみたいに脈動している。

 そして、森の奥から――

 黒い霧が、吹き出した。

「うそ……」

 霧は生き物みたいに蠢き、
 木々の間から、何かの形を作り始める。

 ――魔物。

 でも、前回みたいな狼ではない。
 もっと大きく、もっと歪で、
 精霊の悲鳴が固まったような姿。

 リリィの喉がひゅっと鳴った。

「……あれ……」

「見るな」

 エヴァンが言った瞬間。

 リリィの体が、ふっと持ち上がった。

「えっ」

 抱えられた。

 完全に。

 足が地面から離れる。
 胸に抱き寄せられ、視界がエヴァンの外套で埋まる。

「えっ、えっ、えっ!?」

「動くな」

「む、無理だよぉ……!」

 リリィが小声で叫ぶ間に、エヴァンは静かに前へ出た。

 抱えたまま。

 ――抱えたまま、剣を抜いた。

 金属音が、森の中で澄んで響く。

 リリィは目を見開いた。

(片手で抱えて、片手で剣……?)

 人間じゃない。
 いや、精霊騎士だから人間じゃないんだけど。

 エヴァンの背中は、いつもより大きく見えた。

「……鎮まれ」

 エヴァンが剣先を向けると、
 黒い霧の魔物がうねり、唸り声を上げた。

 森全体がびりびり震える。

 リリィは思わずエヴァンの服をぎゅっと掴んだ。

 その瞬間。

 エヴァンの腕が、さらに強くリリィを抱き締めた。

 ――痛くない程度に。
 でも逃がさない強さで。

 リリィは息を呑む。

「エヴァン……」

「黙れ」

「ひっ」

 怖い声。
 初めて聞いた。

 リリィの胸が、ひゅっと縮む。

 でもその怖さは、リリィに向けられたものではない。
 森の奥の“歪み”に向けられている。

 エヴァンの剣が光る。

 光は白く、冷たい。
 でもリリィの胸だけは温かい。
 抱かれているから。

 魔物が襲いかかろうとした瞬間。

 エヴァンが、一歩踏み込んだ。

 ――ズン。

 地面が鳴る。
 空気が割れる。

 剣が走り、黒い霧が裂ける。

 なのに霧は消えない。
 裂けても裂けても、悲しみが滲み出るように増える。

「……だめだ……」

 リリィが呟く。

 この霧は“敵”じゃない。
 ただ苦しいだけの何かだ。

 リリィは、抱えられたまま手を伸ばした。

「エヴァン、待って……!」

「触るなと言った」

「でも、これ……怖がってるだけだよ……!」

 リリィの声が震える。

 エヴァンの動きが、一瞬止まった。

 その隙に、霧がうねり――
 エヴァンの脚に絡みつこうとする。

「……っ」

 エヴァンが避ける。
 避けた瞬間、リリィの体が揺れた。

「わっ」

 リリィの心臓が跳ねた。

 ――その瞬間。

 エヴァンの目が、変わった。

 静かな湖みたいな目が、
 一瞬だけ獣みたいに鋭くなる。

 守護。
 守護本能むき出し。

「……離すな」

 エヴァンの声が、低く、硬い。

 次の瞬間。

 リリィの体はさらに抱き寄せられた。
 胸に押し付けられるほど。
 息が詰まるほど近い。

「ち、近……!」

「黙れ」

「また黙れって言った……!」

 リリィは涙目になった。

 でも――怖いはずなのに。

 怖くない。

 だって、この腕の中は安全だ。

 その事実が、リリィの胸をじんわり温めた。

 そして、リリィは初めて“違和感”に触れる。

(……守護って……こんなに、必死になるもの?)

 いつも“当然”って言う人が、
 今は“必死”だ。

 必死で、離さない。

 それが、契約のせいだけじゃない気がした。

 リリィの心拍が、静かに乱れ始める。

(だめ、条項……!)

 でも今は、条項の恥ずかしさより、
 もっと大きいものが心の中にあった。

 ――失いたくない。

 自分の中にそんな願いがあることに、リリィは驚いた。



 霧の魔物は、なおも唸り、形を変える。

 悲鳴は大きくなる。
 森が泣いている。

 リリィは息を吸って、震える声で言った。

「……エヴァン」

「黙れ」

「黙らない……!」

 リリィは珍しく、反抗した。

 エヴァンの動きが止まる。

 リリィは、ぎゅっとエヴァンの胸元を握り、
 小さな手を霧へ向けた。

「……こわかったねぇ……」

 声は震えている。
 でも、優しさは揺れない。

 リリィの指先から、淡い光がこぼれた。

 草を元気にする程度の、ちいさな癒し。
 でも今は、それでいい。

 霧の魔物が、一瞬だけ動きを止めた。

 赤い目が、リリィを見た。

 リリィは息を呑みながら、続けた。

「だいじょうぶ……
 ここにいるよ……」

 その言葉は、霧に向けたものでもあり、
 自分に向けたものでもあり、
 ――エヴァンに向けたものでもあった。

 霧が揺れる。
 形が崩れる。

 唸り声が、泣き声に変わっていく。

 エヴァンが、小さく息を吐いた。

「……鎮まれ」

 剣が光る。

 でも今度の光は、切るためではなく――
 包むための光だった。

 白い光が霧を包み、
 霧は、ゆっくりと森へ溶けていく。

 最後に、ふわ、と風が吹いた。

 森が、静かに息をした。



 戦いが終わったあと。

 リリィは、まだエヴァンに抱えられたままだった。

「……終わった?」

「ああ」

 返事は短い。

 でも腕は緩まない。
 緩めない。

 リリィは小さく笑ってしまった。

「エヴァン、抱っこしたまま……」

「危険だ」

「もう危険じゃないよ……」

「可能性がある」

 可能性で抱っこ。
 もうなんでもあり。

 リリィがくすくす笑うと、エヴァンは眉を少し動かした。

「……笑うな」

「笑っちゃうよぉ……」

 リリィが言いながら、ふと真面目な顔になる。

 さっきのエヴァンの声。
 怖かった。

 でも――それ以上に。

 必死だった。

 リリィは勇気を出して言った。

「……エヴァン、さっき……怖かった」

「……すまない」

 エヴァンが即答で謝った。

 即答で謝るなんて、珍しい。

 リリィは首を振る。

「違うの。
 私が怖かったのは、怒られたことじゃなくて……」

 リリィは言葉を探す。

 胸が、きゅっとなる。

 口に出したら、戻れない気がする。

 でも――

 リリィは、口に出してしまった。

「……離れるのが、さみしかった」

 エヴァンの動きが止まった。

 空気が、一瞬で静まる。

 リリィは慌てて続ける。

「あっ、ち、違う、えっと……守護がないと不安っていうか……!」

 言い訳がぐちゃぐちゃになる。

 でもエヴァンは、リリィを見下ろしていた。

 その目が、いつもよりずっと柔らかい。

「……そうか」

 短い返事。

 でもその声は、優しかった。

 エヴァンはリリィをゆっくり降ろした。
 地面に足がつく。

 その瞬間、リリィの胸が少しだけ落ちる。

(……やだな)

 その小さな本音が、自分で自分を驚かせた。

 でも次の瞬間。

 エヴァンの手が、リリィの手を取った。

 ――ぎゅ。

「離れない」

 低い声。

 それだけで、胸の奥がふわっと温かくなる。

 リリィは、ぽかんとしたまま言った。

「……それ、契約?」

「……契約だ」

 ちょっとだけ間があった。

 リリィは、気づいた。

 その間に入ったものは、
 “契約”だけじゃない。

 でもまだ、その名前を知らない。

 リリィは、照れくさくて笑った。

「……そっかぁ」

 エヴァンは真顔のまま、リリィの背後に回った。

 ――ぴた。

 いつもの守護位置。

 でも今日は、その近さが少しだけ違って感じた。

 守られているのではなく、
 そばにいてくれる。

 そんな風に。
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