冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花

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第8話 「出ていけ」と言えば泣くから言えない――それだけじゃなくて、団長自身が“帰る場所”を手放せなくなっている

夜。
屋敷は静かだった。

騎士たちが帰り、厨房の火が落ち、廊下の灯りが少し暗くなる。
いつもなら、ヴァルドにとって“正しい時間”だ。

静けさは秩序。
秩序は安定。
安定は、騎士団長の心を守る。

……はずなのに。

「……うるさい」

ヴァルドは自室で、そう呟いた。

うるさいのは屋敷ではない。
音はない。
あるのは――胸の中の、妙な騒がしさだ。

紅茶を飲んでも収まらない。
書類を読み直しても収まらない。
剣を手入れしても収まらない。

原因は分かっている。
分かっているから、余計に腹が立つ。

――フィオナ。

昼間、彼女が笑うたび、屋敷が“生きている”気がした。
騎士たちが笑うたび、騎士団が“人間”に戻る気がした。
そしてそれが、なぜか自分の胸を、軽くする。

軽くなるのは、弱さだ。
団長は軽くなってはいけない。
重く、堅く、揺れない柱であるべきだ。

……なのに、揺れている。

ノックがした。

「団長さん、起きてますか?」

声は柔らかい。
台所の湯気みたいな声だ。

ヴァルドの喉が、わずかに詰まる。
出ていけと言えばいい。
“保護”は一時的なものだ。
身元を調べ、適切な施設へ引き渡すのが規定だ。

規定。
責任。
秩序。

「……入れ」

扉が開き、フィオナが顔を出した。
寝間着ではない。きちんとした服。
髪は結ばれている。
そして手には、湯気の立つカップが二つ。

「紅茶、持ってきました!」

「……なぜ」

「団長さん、当番かなって思って」

「当番は、もう終わった」

「じゃあ、延長です!」

フィオナはにこっとして、部屋に入ってくる。

ヴァルドは、言葉を探す。
ここは自室だ。
部下も騎士も入れない場所。
――彼女も、本来は入れてはいけない。

「……勝手に」

「勝手じゃないです!婆やさんに――」

「婆やは、許可権限を持たない」

フィオナがぱちぱちと瞬きして、少し困った顔をした。

「じゃあ……団長さんが許可してください!」

ヴァルドは沈黙した。
沈黙は、命令の前触れだと騎士団は知っている。
しかし今の沈黙は、違う。
ただ、言えないだけだ。

出ていけ。
帰れ。
ここは屋敷だ。保護施設ではない。

言えば――フィオナは泣く。
きっと泣く。
騎士団の士気が落ちる。
屋敷が静かになりすぎる。
……自分が、戻れなくなる。

“戻れなくなる”?

ヴァルドは、内心で眉を寄せた。

(何に)

フィオナがそっとカップを机に置く。
湯気がふわっと広がる。
部屋の中が、少しだけ温かくなる。

「団長さん、今日も頑張ってましたね」

「……仕事だ」

「仕事でも、頑張ってました」

フィオナは、真面目な顔をする。
昼間の相談のときと同じ顔。

「団長さん、みんなのこと、ちゃんと見てます。怖い顔だけど」

「怖いと言うな」

「怖いです!」

フィオナが即答し、そして続けた。

「でも、怖い顔の裏が優しいって、私は知ってます」

ヴァルドの胸が、ぎゅっと鳴った。

知っている。
その言葉が、胸の奥を掴む。

「……お前は、何も知らない」

「知ってます!」

「知らない」

「知ってます!」

言い合いになりかけて、フィオナはふっと笑った。

「じゃあ、知らないけど――感じてます」

感じてます。
それは、規律にも責任にもない言葉だ。
だが、その言葉は、妙に正確に胸を刺す。

ヴァルドは、視線を逸らして言った。

「……お前は、ここにいる理由がない」

フィオナの笑顔が、少しだけ揺れた。
泣くかもしれない。
ヴァルドの喉が固くなる。

しかしフィオナは、泣かなかった。

代わりに、少しだけ首を傾げて言った。

「理由、作ります!」

「作るな」

「作ります!」

フィオナは小さく拳を握る。

「ここは保護施設だから……じゃなくて。団長さんの屋敷だから、ちゃんとルールを作ります!」

「……ルール?」

「はい!“団長さんが困らないルール”です!」

ヴァルドは、思わず聞いてしまった。

「……例えば」

フィオナが指を折りながら言う。

「勝手に入らない。勝手に触らない。勝手に騒がない。勝手に外に出ない」

「……最後が一番大事だな」

「はい!」

フィオナが、嬉しそうに頷く。

その素直さに、胸が少し緩む。
緩むことが怖い。
怖いのに、嫌じゃない。

ヴァルドは、カップを手に取った。
紅茶を一口。

温かい。
胃に落ちる。
胸の奥の騒がしさが、少し静かになる。

フィオナが、ぽつりと言った。

「団長さん、静かなの好きですか?」

「……好きだ」

「じゃあ、私、静かにします」

「……お前は、静かにできない」

「できます!今日の夜はできます!」

フィオナは、胸を張ったあと、急にしょんぼりした。

「……でも、静かすぎるのも、寂しいですよね」

ヴァルドの手が止まった。

寂しい。
その言葉は、刃物みたいに刺さる。
自分が、寂しいと認めることになる。

ヴァルドは、低く言った。

「……寂しくない」

フィオナは、じっとヴァルドを見た。
まるで、言葉じゃなくて、温度を見ているみたいに。

「じゃあ、団長さんが寂しくならないように、私、ここにいます!」

ヴァルドの胸が、強く鳴った。
拒否すべきだ。
拒否して、規律を守れ。

――だが。

“ここにいる”という言葉が、
自分の中の何かを、ほどいてしまう。

ヴァルドは、短く言った。

「……勝手に決めるな」

フィオナが、にこっとする。

「じゃあ、団長さんが決めてください!」

ヴァルドは沈黙した。
沈黙の中で、規律と責任と秩序が揺れる。

出ていけと言えばいい。
正しい。
正しいはずだ。

だが。

この屋敷が静かになることを想像すると、
胸の奥がひどく冷える。

自分が、冷える。

それは――危険だ。
団長が冷えると、騎士団も冷える。
騎士団が冷えると、王都が冷える。

(……だから)

ヴァルドは、心の中で言い訳を作る。
責任で、包む。
規律で、包む。
本音を見えないようにする。

そして、命令の形で言った。

「……ここにいろ」

フィオナの顔が、ぱっと明るくなる。

「はい!」

ヴァルドは、続けてしまった。

「……ただし、条件がある」

フィオナが身を乗り出す。

「条件!はい!」

ヴァルドは、低く言う。

「……俺の許可なく、勝手に抱きつくな」

フィオナは固まった。

「えっ」

ヴァルドは、言ってから気づいた。
自分が何を言ったかを。

部屋の空気が止まる。
フィオナの頬が、じわっと赤くなる。

「……私、抱きついてました?」

「……抱きついていない」

「じゃあ、なんでそんな条件が……」

ヴァルドのこめかみが、ぴくりと動く。

(言うな。言うな。これ以上は)

フィオナは、赤い顔のまま、ふわっと笑った。

「わかりました!じゃあ、抱きつきたくなったら――許可を取ります!」

「取るな」

「取ります!」

「取るな」

「取ります!」

同じやり取りが、なぜか――少しだけ楽しい。

セシルがこの場にいたら、今の団長語を翻訳しただろう。

(訳:お前が近いと、心臓が危ない)

ヴァルドは紅茶を飲み干し、低く言った。

「……寝ろ」

フィオナは、嬉しそうに頷いた。

「はい!団長さんも寝てくださいね。守るために!」

ヴァルドは、答えの代わりに短く言った。

「……無理をするな」

「はい!」

フィオナが扉の前で振り返る。

「団長さん。今日も、“ここにいろ”って言ってくれてありがとうございます」

ヴァルドは、視線を逸らしたまま、低く言った。

「……礼を言うな」

「言います!」

フィオナは笑って、扉を閉めた。

静けさが戻る。
けれど、冷えない。

湯気の匂いが少し残っている。
それだけで、胸の奥が、少しだけ温かい。

ヴァルドは、ひとりで呟いた。

「……危ないのは、俺の方か」

(つづく)
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