冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花

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第10話 保護対象が行方不明になった瞬間、冷徹団長が王都を封鎖しかけて騎士団が青ざめる(※ただの買い出し中の事故)

朝。
屋敷は、静かだった。

――静かすぎた。

いつもなら聞こえるはずの音がない。
鍋が鳴らない。
鼻歌がない。
湯気の匂いがしない。

ヴァルドは廊下を歩きながら、無表情のまま立ち止まった。
台所の扉は開いている。中は空。
机には、昨日のままの布巾。
火も入っていない。

「……オルガ」

オルガ婆やが、控えめに顔を出す。

「はい、団長様」

「フィオナは」

「……先ほどまでは、いらっしゃったのですが」

「どこへ行った」

「それが……」

婆やの表情に、わずかな戸惑いが混じる。
“わからない”という言葉を口にするのが、屋敷でいちばん許されない人物――それが婆やだ。

ヴァルドの胸の奥が、嫌な形で冷えた。

(ない)

フィオナが、いない。

――保護対象が。

ヴァルドは無表情のまま、歩幅を速めた。
客間、廊下、物置、庭。
どこにもいない。
彼女の部屋も空。ベッドも乱れていない。

「……セシル」

副官が、すぐに現れた。顔色が悪いのは通常運転だ。

「はい、団長」

ヴァルドは低く言った。

「捜索。全区域」

セシルの手が止まった。

「……団長、“全区域”は」

「王都全域だ」

セシルは、一瞬だけ固まり、それから静かに息を吸った。

「団長。王都の機能が……止まります」

「止める」

「止めないでください」

「止める」

「止めないでください!」

セシルが珍しく声を荒げた。
通りがかった騎士たちが、びくっとする。

ブラムが駆け寄ってきた。

「団長!何が!?」

ヴァルドは答えた。

「フィオナがいない」

ブラムの顔が青ざめる。

「……保護施設の……」

「屋敷だ」

「屋敷型保護施設の保護対象が……!」

ヴァルドの眉間が深くなる。

「余計な言い回しをするな」

ブラムは敬礼した。

「はい!」

……その“はい”がやけに震えている。

騎士団は知っている。
団長の命令が短いほど、危険度が高いことを。

セシルが低い声で言った。

「団長、冷静に」

ヴァルドは冷静だった。
冷静なまま、暴走しているだけだ。

「捜索は迅速が最優先だ」

「迅速すぎると、王都が止まります」

「止める」

「止めないでください!!」

セシルは、胃を押さえた。

(団長、今のあなたは“規律”ではなく“感情”です)

しかし、それを口に出すと死ぬ。社会的に。

ヴァルドは淡々と続ける。

「門を――」

セシルが遮った。

「団長!封鎖は駄目です!」

「……なぜ」

「民が困ります!」

「……フィオナが困る」

セシルが、詰まった。
そして、すぐに小さく呟く。

「……団長、嫉妬より重いものが来ましたね」

ヴァルドが即答する。

「違う。責任だ」

「(訳:心配で死ぬ)」

「聞こえている」

「失礼しました」



結局、王都封鎖は“未遂”で止まった。
止めたのはセシルの胃と、騎士団の青ざめた顔だ。

捜索隊は、段階的に編成された。

第一隊:屋敷周辺、騎士団区画
第二隊:市場周辺、巡回路
第三隊:万が一のための待機

ヴァルドは第一隊の先頭に立ち、短く命令を落とす。

「散れ。探せ。報告しろ」

騎士たちが一斉に動く。
動きが速すぎて、ほとんど風だ。

ブラムが走りながら叫ぶ。

「フィオナさんー!!」

セシルが眉をひそめる。

「名前を叫ぶな。逆に混乱します」

ブラムが振り向き、涙目で言った。

「副官、俺、混乱してます!」

「私もです!」



屋敷の門前で、ヴァルドは一度だけ立ち止まった。
――門の内側に、フィオナがいない。

この事実が、胸の奥を妙に冷やす。

彼女は規律を守らない。
善意が暴走する。
勝手に保護施設と言う。
なのに、いないと――静かすぎる。

静かすぎるのは、嫌だ。

ヴァルドはその感覚を“不要”として切り捨て、再び歩き出した。

「セシル。最後に見た者は」

セシルは即答する。

「オルガ婆やと、厨房係です。どちらも“先ほどまでいた”と」

「先ほど、とはいつだ」

「……曖昧です」

ヴァルドの目が鋭くなる。

「曖昧を許すな」

「団長、曖昧は存在します!」

「許さない」

「(胃が)壊れます!」

セシルが叫びたいのを堪える。

そのとき、若い騎士が駆け戻ってきた。

「団長!フィオナさんの部屋に、これが!」

差し出されたのは、小さな紙。
フィオナの丸い字で、こう書かれていた。

『ちょっとだけ外に出ます! すぐ戻ります!
 危なくないです! たぶん!』

ヴァルドの眉間が、一気に深くなる。

「……たぶん?」

セシルが、頭を抱えた。

「“たぶん”が最悪です……!」

ブラムが震える声で言った。

「団長?」

「閉鎖」

「しないでください!!」

セシルが反射で止める。

ヴァルドは紙を握り、低く言った。

「外に出るなと言った」

ブラムが頷く。

「言いましたね」

セシルが冷静に補足する。

「言いましたが、彼女は“外出は同行者が必要”というルールの方を強く信じています」

「……同行者は誰だ」

セシルは、嫌な予感を抱きながら言った。

「……単独の可能性が高いです」

ヴァルドの目が、さらに冷える。

「……捜索範囲を広げる」

セシルが即答する。

「団長、王都は止めないでください」

「止めない」

「本当ですか」

「……止めかけただけだ」

「かけないでください!!」



市場へ向かう道。
民の声が聞こえる。屋台の匂いがする。
いつぞやの“王女騒動”の名残もある。
人が多い。情報も多い。

――だからこそ、フィオナが混ざれば、見失いやすい。

ヴァルドは足を止めずに、短く命令した。

「聞き込み」

騎士たちが散る。
数分後、情報が集まる。

「小柄な金髪の娘を見た、という証言あり!」

「子どもと話していた!」

「袋を持って走っていた!」

セシルが眉をひそめる。

「……走る、が最悪です」

ブラムが頷く。

「最悪です」

「団長、封鎖……」

「やるな」

ヴァルドが即答した。
セシルが息を呑む。

「……団長?」

ヴァルドは低く言う。

「封鎖する前に、捕まえる」

「(訳:早く会いたい)」

セシルは心で訳したが、口には出さなかった。



手がかりは、意外なところから出た。

昨日の花屋の店主が、顔を真っ赤にして駆け寄ってきたのだ。

「団長様!あの、お連れの方なら――さっき!」

「どこだ」

ヴァルドの声が短い。
短すぎて、店主がびくっとした。

「ろ、路地の方へ……!子どもが泣いていて、それを――」

セシルが、はっとする。

「子ども?」

店主が頷く。

「迷子…というより、荷車の下に手が挟まったみたいで!お連れの方が飛び込んで――“危ない!”って言いながら!」

ヴァルドの胸の奥が、嫌な音を立てた。

危ない。
危ないのは、彼女だ。

ヴァルドは方向を指示する。

「案内しろ」

「は、はい!」

店主が走る。
騎士団も走る。
市場がざわつく。

「団長様が走ってる!?」

「何が起きたの!?」

「王都封鎖!?(違います)」

セシルは走りながら、胃に言い聞かせる。

(封鎖しない、封鎖しない、封鎖しない)

ブラムが横で呟いた。

「副官、団長の歩幅、いつもより長いです」

「見なくていいです」

「見えます」

「……見えますね」



路地の奥。
人だかりができていた。

泣いている子ども。
大人たちのざわめき。
荷車の下に挟まった小さな手。
そして――膝をついているフィオナ。

フィオナは、子どもの手を支えながら、必死に声をかけていた。

「大丈夫!痛いよね!でも、今、抜けるよ!」

「うえぇぇ……」

「泣いていいよ!泣くのは強いってこと!」

その言葉が、あまりにもフィオナらしくて――
ヴァルドの胸の奥の冷えが、一瞬だけほどけた。

……だが、次の瞬間。

フィオナの袖が汚れている。
膝も擦っている。
髪も少し乱れている。

“危ないから外に出るな”の意味が、すべてそこにあった。

ヴァルドは、低い声で言った。

「……フィオナ」

フィオナが振り返る。
そして、ぱっと笑った。

「団長さん!子ども、助かりました!」

ヴァルドの眉間が、深くなる。
怒るべきだ。叱るべきだ。
規律違反だ。

――しかし、彼女が無事でいることに、胸の奥が先に息を吐いた。

セシルがすぐに状況を確認する。

「子どもの手は?」

周囲の大人が頷く。

「もう大丈夫そうです!彼女が上手く支えてくれて!」

ブラムが、子どもにしゃがんで言う。

「偉かったな。もう泣かなくていい」

子どもが鼻水をすすって頷く。

フィオナが満足そうに立ち上がり――その瞬間、よろけた。

ヴァルドの手が伸びる。
早い。剣より早い。

フィオナの肩を、外套の陰に引き寄せる。
ほとんど抱き寄せる形で、支えた。

フィオナがきょとんとする。

「団長さん?」

ヴァルドは、低く言った。

「……勝手に消えるな」

フィオナが、ぱちぱちと瞬きする。

「消えてないです!ここに――」

「消えた」

短い。
短いのに、重い。

セシルが小声で呟く。

「(訳:心臓が止まるかと思った)」

ヴァルドが即座に言う。

「黙れ」

フィオナは、なぜか少ししょんぼりした。

「ごめんなさい……でも、子どもが痛そうだったから……」

ヴァルドは、叱る言葉を探した。
規律。責任。命令。
山ほどある。

なのに、出てきたのは――本音だった。

「……無事でいろ」

フィオナの目が、丸くなる。

「……はい」

その返事が、胸の奥に落ち着く。
落ち着くのが悔しい。

ヴァルドは、命令で上書きする。

「次は、必ず知らせろ」

「はい!」

「外に出るな」

「……はい!」

フィオナは一瞬、言い淀んだ。
でも、すぐに付け足す。

「じゃあ、団長さんが一緒なら、出てもいいですか?」

ヴァルドの喉が詰まった。
セシルが、遠くで天を仰いだ。

ヴァルドは無表情のまま言った。

「……必要なら」

フィオナの顔が、ぱっと明るくなる。

「必要です!」

「……即答するな」

「します!」

周囲の人々が、またざわつき始める。

「今の、告白……?」

「団長様、抱き寄せた……?」

「王女様……?(違います)」

セシルが、胃を押さえながら小声で言った。

「団長、王都封鎖より先に、噂が封鎖できません」

ヴァルドは短く返した。

「閉鎖しろ」

「できません!」

ブラムが、ニヤニヤしながら言う。

「団長、戻りましょう。フィオナさん、団長の外套の中に収まってるので」

「収まってないです!」

フィオナが慌てて離れようとするが、ヴァルドの手が――ほんの少しだけ、肩を押さえた。

「……歩けるか」

「歩けます!」

「……なら、ゆっくり歩け」

フィオナが、ふわっと笑う。

「はい!」

セシルは、静かにメモを取った。

(団長語:無事でいろ
 訳:それだけが一番の本音)

ヴァルドは、そのメモを見ないふりをした。
だが――フィオナが外套の陰で小さく頷くのを見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。

(つづく)
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