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第15話 「落とし物でした」――拾われ娘が落としていたのは自分の心だと気づき、団長に返事をする
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夜。
屋敷は、静かだった。
あの“拾い直し儀式(茶番)”が終わってから、フィオナの中の時間だけが、少し変な速度で流れている。
歩くたびに、頬が熱い。
思い出すたびに、胸がぎゅっとなる。
――「俺のそばにいてほしい」
あんな言葉、反則だ。
反則なのに、団長さんは無表情で言った。
無表情なのに、耳が赤かった。
(……ずるい)
フィオナは自分の部屋で、ベッドに座ったまま、膝を抱えた。
最初は、“落とし物です!”って言った。
本当にそうだと思った。
路上で眠ってしまって、目が覚めたら団長さんがいて、
ここは保護施設で、私は保護対象で――
そうやって考えれば、全部、整理できると思っていた。
でも。
屋敷の廊下の匂い。
台所の湯気。
紅茶の温度。
騎士たちの笑い声。
団長さんの「ここにいろ」。
――それが、どれも好きだった。
好き、って。
保護施設に対して言う言葉じゃない。
フィオナは、胸に手を当てた。
(……私、勘違いしてた)
保護されているから安心なんじゃない。
この屋敷の空気が、安心なんだ。
それに。
団長さんが怖いから安心なんじゃない。
団長さんが、ちゃんと見てくれているから――安心なんだ。
フィオナは、ゆっくり息を吐いた。
「落とし物でした」
あの言葉を、もう一度心の中で繰り返す。
落とし物は、パンでも財布でもなくて。
――たぶん、自分の心だった。
自分の“好き”を、落としていた。
好きだって言ったら、迷惑かもしれない。
好きだって思ったら、規則違反かもしれない。
でも、拾われたのは私だけじゃない。
私も、団長さんの“休憩”を拾ってしまったのだ。
(……返事、しなきゃ)
返事をしていない。
あの「はい」は、返事の入口だっただけだ。
♡
翌朝。
フィオナは台所で、いつもより静かに動いていた。
鍋の音が控えめ。鼻歌もない。
その静けさが、屋敷を少しだけ冷やす。
オルガ婆やが、心配そうに声をかけた。
「フィオナ様。何か……」
フィオナは、ぎゅっとエプロンの端を握りしめる。
「婆やさん……私、ずっと勘違いしてました」
婆やは、そっと首を傾げた。
「勘違い?」
「ここが保護施設だって。……そう思う方が、楽だったんです」
婆やの目が、少し柔らかくなる。
彼女は、何も責めない。
屋敷で一番、空気の温度を知っている人だ。
フィオナは続けた。
「でも、違うってわかってきました。ここ、屋敷で……私は、ここが好きで……」
“好き”と言った瞬間、頬が熱くなる。
婆やは、小さく笑った。
「……ようやく気づいたのですね」
フィオナが驚く。
「婆やさん、知ってたんですか!?」
「もちろん」
婆やは淡々と言う。
まるで今日の天気を言うみたいに。
「旦那様――団長様は、不器用なだけです」
フィオナは、目をぱちぱちさせる。
「不器用……」
「ええ。言葉も、態度も、ぜんぶ。守り方が、鎧のままなのです」
フィオナは、胸の奥がじんとした。
守り方が、鎧のまま。
確かにそうだ。
命令みたいに抱きしめて、規則みたいに心配して、無表情で優しい。
婆やは、そっと背中を押すように言った。
「フィオナ様が、返事をして差し上げてください」
「……返事」
「旦那様は、もう言葉を置いてしまいました。拾ったのです。
今度は、拾われた側が“拾い返す”番ですよ」
フィオナの喉が、きゅっと鳴った。
拾い返す。
それは、勇気だ。
♡
その夜。
屋敷の廊下は、いつもより静かだった。
ヴァルドは執務室にいた。
書類を見ているふりをしている。
ふりだ、とフィオナには分かる。
――あの儀式以来、団長さんは少しだけ、動きが固い。
「団長さん」
フィオナが声をかけると、ヴァルドは即座に顔を上げた。
反応が早い。
“視界に入れ規則”を消したはずなのに、目はもう追っている。
「……何だ」
フィオナは、手を握った。
胸がうるさい。
でも、逃げない。
「昨日の……拾い直しのこと」
ヴァルドの喉仏が、わずかに動く。
「……茶番だ」
「茶番でした」
フィオナは笑って頷く。
笑えているのに、胸はぎゅっとしている。
「でも、団長さんの言葉は……茶番じゃなかったです」
ヴァルドが、わずかに息を止めた。
フィオナは、一歩近づいた。
近づくと、心臓がうるさくなる。
でも、逃げない。
「団長さんが“ここにいろ”って言うの、最初は命令だと思ってました」
ヴァルドが低く言う。
「命令だ」
「はい。でも……」
フィオナは、胸に手を当てた。
「私、その命令、嬉しかったです」
ヴァルドの指先が、ぴくりと動く。
フィオナは続けた。
「怖いからじゃなくて。
守られてるからじゃなくて。
団長さんが、私のことを大事にしてくれてるって……感じたから」
ヴァルドは、無表情のまま固まっている。
固まっているのに、耳がほんの少し赤い。
フィオナは、小さく息を吸った。
「私ね、最初、“落とし物です”って言いました」
「……言った」
「落とし物、ほんとは……自分の心だったみたいです」
ヴァルドの眉間が、ほんの少しだけ緩んだ。
それは、彼の“驚き”の表情だ。
フィオナは、やっと言える。
「私、ここが好きです。……この屋敷が。台所が。紅茶が。騎士団のみんなが。
そして……団長さんが」
言った瞬間、頬が熱くなって視界が滲む。
泣きそうで、でも泣かない。
泣くと、逃げになる気がした。
ヴァルドが、低い声で言う。
「……俺は、守りたいだけだ」
フィオナは、首を振った。
「うん。知ってます。だから嬉しかった」
そして、最後の言葉を置く。
「でも今度は……“いていい”って言ってほしい」
空気が止まった。
ヴァルドが、息を飲む音が聞こえた。
本当に。
騎士団長が、息を飲んだ。
フィオナは、怖いのに、目を逸らさなかった。
ヴァルドの手が、ゆっくりと机から離れた。
まるで剣を取るみたいな動きで、慎重に。
そして、彼は正面から言った。
「……いていい」
短い。
でも、命令じゃない。
許可でもない。
ただの、気持ちだ。
フィオナの胸が、ふわっとほどけた。
「……はい」
ヴァルドは、もう一度言った。
念押しみたいに。
祈りみたいに。
「……ここにいていい」
フィオナの目が潤む。
今度は、涙が落ちた。
落ちても、逃げじゃない。
ヴァルドは、視線を逸らして、いつもの命令で逃げようとした。
「……泣くな」
フィオナは涙を拭きながら笑った。
ほんの少しだけ距離を詰める。
「団長さん。私、返事、ちゃんとしました」
ヴァルドは、低く言った。
「……ああ」
その“ああ”が、今までで一番優しかった。
フィオナは、最後にもう一度言う。
「落とし物、返しました」
ヴァルドは、息を吐いた。
胸の奥の冷えが、もう戻らない気がした。
そして、いつもの言葉を――今度は少し違う意味で言う。
「……ここにいろ」
フィオナは、泣き笑いで頷いた。
「はい。……ここにいます」
(つづく)
屋敷は、静かだった。
あの“拾い直し儀式(茶番)”が終わってから、フィオナの中の時間だけが、少し変な速度で流れている。
歩くたびに、頬が熱い。
思い出すたびに、胸がぎゅっとなる。
――「俺のそばにいてほしい」
あんな言葉、反則だ。
反則なのに、団長さんは無表情で言った。
無表情なのに、耳が赤かった。
(……ずるい)
フィオナは自分の部屋で、ベッドに座ったまま、膝を抱えた。
最初は、“落とし物です!”って言った。
本当にそうだと思った。
路上で眠ってしまって、目が覚めたら団長さんがいて、
ここは保護施設で、私は保護対象で――
そうやって考えれば、全部、整理できると思っていた。
でも。
屋敷の廊下の匂い。
台所の湯気。
紅茶の温度。
騎士たちの笑い声。
団長さんの「ここにいろ」。
――それが、どれも好きだった。
好き、って。
保護施設に対して言う言葉じゃない。
フィオナは、胸に手を当てた。
(……私、勘違いしてた)
保護されているから安心なんじゃない。
この屋敷の空気が、安心なんだ。
それに。
団長さんが怖いから安心なんじゃない。
団長さんが、ちゃんと見てくれているから――安心なんだ。
フィオナは、ゆっくり息を吐いた。
「落とし物でした」
あの言葉を、もう一度心の中で繰り返す。
落とし物は、パンでも財布でもなくて。
――たぶん、自分の心だった。
自分の“好き”を、落としていた。
好きだって言ったら、迷惑かもしれない。
好きだって思ったら、規則違反かもしれない。
でも、拾われたのは私だけじゃない。
私も、団長さんの“休憩”を拾ってしまったのだ。
(……返事、しなきゃ)
返事をしていない。
あの「はい」は、返事の入口だっただけだ。
♡
翌朝。
フィオナは台所で、いつもより静かに動いていた。
鍋の音が控えめ。鼻歌もない。
その静けさが、屋敷を少しだけ冷やす。
オルガ婆やが、心配そうに声をかけた。
「フィオナ様。何か……」
フィオナは、ぎゅっとエプロンの端を握りしめる。
「婆やさん……私、ずっと勘違いしてました」
婆やは、そっと首を傾げた。
「勘違い?」
「ここが保護施設だって。……そう思う方が、楽だったんです」
婆やの目が、少し柔らかくなる。
彼女は、何も責めない。
屋敷で一番、空気の温度を知っている人だ。
フィオナは続けた。
「でも、違うってわかってきました。ここ、屋敷で……私は、ここが好きで……」
“好き”と言った瞬間、頬が熱くなる。
婆やは、小さく笑った。
「……ようやく気づいたのですね」
フィオナが驚く。
「婆やさん、知ってたんですか!?」
「もちろん」
婆やは淡々と言う。
まるで今日の天気を言うみたいに。
「旦那様――団長様は、不器用なだけです」
フィオナは、目をぱちぱちさせる。
「不器用……」
「ええ。言葉も、態度も、ぜんぶ。守り方が、鎧のままなのです」
フィオナは、胸の奥がじんとした。
守り方が、鎧のまま。
確かにそうだ。
命令みたいに抱きしめて、規則みたいに心配して、無表情で優しい。
婆やは、そっと背中を押すように言った。
「フィオナ様が、返事をして差し上げてください」
「……返事」
「旦那様は、もう言葉を置いてしまいました。拾ったのです。
今度は、拾われた側が“拾い返す”番ですよ」
フィオナの喉が、きゅっと鳴った。
拾い返す。
それは、勇気だ。
♡
その夜。
屋敷の廊下は、いつもより静かだった。
ヴァルドは執務室にいた。
書類を見ているふりをしている。
ふりだ、とフィオナには分かる。
――あの儀式以来、団長さんは少しだけ、動きが固い。
「団長さん」
フィオナが声をかけると、ヴァルドは即座に顔を上げた。
反応が早い。
“視界に入れ規則”を消したはずなのに、目はもう追っている。
「……何だ」
フィオナは、手を握った。
胸がうるさい。
でも、逃げない。
「昨日の……拾い直しのこと」
ヴァルドの喉仏が、わずかに動く。
「……茶番だ」
「茶番でした」
フィオナは笑って頷く。
笑えているのに、胸はぎゅっとしている。
「でも、団長さんの言葉は……茶番じゃなかったです」
ヴァルドが、わずかに息を止めた。
フィオナは、一歩近づいた。
近づくと、心臓がうるさくなる。
でも、逃げない。
「団長さんが“ここにいろ”って言うの、最初は命令だと思ってました」
ヴァルドが低く言う。
「命令だ」
「はい。でも……」
フィオナは、胸に手を当てた。
「私、その命令、嬉しかったです」
ヴァルドの指先が、ぴくりと動く。
フィオナは続けた。
「怖いからじゃなくて。
守られてるからじゃなくて。
団長さんが、私のことを大事にしてくれてるって……感じたから」
ヴァルドは、無表情のまま固まっている。
固まっているのに、耳がほんの少し赤い。
フィオナは、小さく息を吸った。
「私ね、最初、“落とし物です”って言いました」
「……言った」
「落とし物、ほんとは……自分の心だったみたいです」
ヴァルドの眉間が、ほんの少しだけ緩んだ。
それは、彼の“驚き”の表情だ。
フィオナは、やっと言える。
「私、ここが好きです。……この屋敷が。台所が。紅茶が。騎士団のみんなが。
そして……団長さんが」
言った瞬間、頬が熱くなって視界が滲む。
泣きそうで、でも泣かない。
泣くと、逃げになる気がした。
ヴァルドが、低い声で言う。
「……俺は、守りたいだけだ」
フィオナは、首を振った。
「うん。知ってます。だから嬉しかった」
そして、最後の言葉を置く。
「でも今度は……“いていい”って言ってほしい」
空気が止まった。
ヴァルドが、息を飲む音が聞こえた。
本当に。
騎士団長が、息を飲んだ。
フィオナは、怖いのに、目を逸らさなかった。
ヴァルドの手が、ゆっくりと机から離れた。
まるで剣を取るみたいな動きで、慎重に。
そして、彼は正面から言った。
「……いていい」
短い。
でも、命令じゃない。
許可でもない。
ただの、気持ちだ。
フィオナの胸が、ふわっとほどけた。
「……はい」
ヴァルドは、もう一度言った。
念押しみたいに。
祈りみたいに。
「……ここにいていい」
フィオナの目が潤む。
今度は、涙が落ちた。
落ちても、逃げじゃない。
ヴァルドは、視線を逸らして、いつもの命令で逃げようとした。
「……泣くな」
フィオナは涙を拭きながら笑った。
ほんの少しだけ距離を詰める。
「団長さん。私、返事、ちゃんとしました」
ヴァルドは、低く言った。
「……ああ」
その“ああ”が、今までで一番優しかった。
フィオナは、最後にもう一度言う。
「落とし物、返しました」
ヴァルドは、息を吐いた。
胸の奥の冷えが、もう戻らない気がした。
そして、いつもの言葉を――今度は少し違う意味で言う。
「……ここにいろ」
フィオナは、泣き笑いで頷いた。
「はい。……ここにいます」
(つづく)
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