幸福配合の甘やかしレシピ

星乃和花

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終章 幸福配合は、これからも。

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 それから、少し時間が経った。

 季節は穏やかに進んで、
 王立アカデミーは、学園祭の準備で賑わっていた。

 配合部の教室も、例外ではない。

「ミリア、そのラベル、もう少し右」

「は、はい!」

 窓際の机には、色とりどりの小瓶が並んでいる。

 “日替わり・小さな幸福配合レシピ”。

 それが、今年の配合部の出し物だ。

 香りつきのしおり。
 気持ちが少し軽くなるハーブクッキー。
 前向きになれるお茶のブレンド。

 どれも、幸福配合ほど劇的なものではないけれど――
 日々の中で「ふふっ」と笑いたくなる、
 小さなひと工夫が詰まっている。

 そのレシピ表の端には、
 小さく「監修:レオン・アーデン」と書かれていた。

「名前、ほんとうに入れちゃってよかったんですか?」

「事実だろう」

 背後から聞こえた声に振り返ると、
 いつものように腕を組んで立つレオン様がいた。

 今日の彼は、配合部の臨時協力者として、
 白衣を着ている。

 それだけで、学園の女子たちの視線が刺さるほどだった。

「でも、“監修”って、偉い人みたいで……」

「実際、監修した」

 さらっと言う。

 たしかに、レシピの最終調整や、
 安全性の確認は、全部一緒にやった。

「“一日三枚以上クッキーを食べないこと”って注釈、
 完全にレオン様の字ですよね」

「効力の持続時間を考えると、妥当な上限だ」

「甘やかしすぎ防止の配合……」

「自制も大事だ」

 こんなやり取りも、すっかり日常になった。

 “成果主義の恋人契約”のおかげで、
 わたしは少しずつ、
 “甘やかされる自分”を受け止められるようになったと思う。

 一日一回の“気持ち報告”は、
 最初こそ緊張の連続だったけれど――

「今日の気持ちは?」

「えっと……学園祭、楽しみです。でも、ちょっと緊張してます」

「どちらが強い」

「楽しみ、です」

「なら問題ない」

 今では、こうして、
 ほとんど反射的に本音を言えるようになっていた。

 クラスメイトたちも、噂はしながらも、
 前よりずっと柔らかい目でわたしたちを見る。

 ふたりで並んでいると、
 「お似合いだね」と笑ってくれる人も増えた。

 それが、少しむずがゆくて、でも嬉しい。

 ◇

 準備が一段落したところで、
 顧問の先生がひょいと顔を出した。

「ミリア、レオン君」

「はい」

「ふたりに、幸福配合省から新しい依頼が来ている」

「えっ」

 先生が持っていた封筒には、
 見慣れた紋章が押されていた。

 幸福配合省。

 あの事故以来、何度かやり取りはあったけれど――
 今回は、“学園祭に合わせて”の依頼らしい。

 封を切って、中身を覗く。

『王立アカデミー配合部および関連生徒各位』

 丁寧な挨拶文のあとに、
 こんな一文が続いていた。

『最近の研究により、幸福配合は“単独での投与”よりも、
 “他者との相互作用”によって効力が増す可能性が示唆されています』

「相互作用……?」

 つぶやくと、横からレオン様の視線がのぞき込んできた。

「続きを」

「はい」

『特に、“日々のやり取り”や“ささやかな支え合い”がある関係性において、
 幸福感の持続時間が長くなる傾向が見られました』

 紙には、いくつかのグラフや数字が並んでいる。

『つきましては、貴学祭での“日替わり小さな幸福配合レシピ”の実践を通じ、
 みなさまの体験を、自由な感想としてお寄せいただければ幸いです』

 最後に、あのときと同じ――
 柔らかい手書きの追伸が添えられていた。

『“誰かと分け合う幸福”の具体例を、ぜひ教えてください』

 分け合う、という言葉に、
 胸がちくりとした。

 あの日の事故は、一人でこっそり
 幸福配合を試そうとして起こしたものだった。

 今、学園祭で配ろうとしているのは、
 “誰かの一日にそっと添えたい配合”。

 ひとりじゃなくて、誰かと一緒に。

「……素敵ですね」

 思わずもれていた。

「何がだ」

「“相互作用で効力が増す”ってところです」

「研究者は回りくどい言い方をする」

 レオン様が、わずかに肩をすくめる。

「要するに、“ひとりでかける魔法より、
 ふたりでかける魔法のほうが長持ちする”って話だ」

「……っ」

 言い換えが、いちいち甘い。

 先生は苦笑しながら言った。

「ふたりには、まさにぴったりのテーマかもしれないな」

「え?」

「この数ヶ月の君たちを見ていれば、
 幸福配合の“生きた参考例”だと、省も思うだろうさ」

「そ、そんな、大げさですよ……!」

「そうか?」

 レオン様は、まったく否定しなかった。

 むしろ、当然のような顔をしている。

 先生は肩を叩いて、職員室へ戻っていった。

 ◇

 教室に、再び静けさが戻る。

 窓から差し込む光が、
 小瓶の中の液体をキラキラと照らしていた。

「……“誰かと分け合う幸福”か」

 封筒を閉じながら呟くと、
 レオン様がこちらを見た。

「ひとつ、仮説がある」

「仮説?」

「幸福配合の“本当の効力”は、
 感情そのものじゃない」

「え?」

「“自分の気持ちを誰かに伝えたいと思うようになること”だ」

 彼は、配合部の机を指先で軽く叩く。

「誤射の日、お前はひとりでこっそり試そうとしていた」

「……はい」

「今はどうだ」

「……今は、誰かと一緒に試したいです」

 クッキーも。
 お茶も。
 香りのしおりも。

 誰かの一日にそっと寄り添ってくれたらいいなと、本気で思っている。

「日々の“気持ち報告”も、
 ある意味で、“心の中の配合の成分表”だ」

「せいぶんひょう……」

「“緊張”が何割、“楽しみ”が何割、“不安”が何割」

 彼は、いつもの調子で言葉を並べる。

「それを隣で確認しながら調整するのが、“恋人”の仕事だ」

「そんな……」

 少し笑ってしまう。

「ずいぶん、忙しい仕事ですね」

「もともと多忙だ」

 即答。

「でも、知らないうちにやられるよりは、
 自分で関わったほうがまだマシだ」

「え?」

「お前が誰かに甘やかされているなら、
 俺が関わっておきたい」

 さらっと独占欲まで混ぜてくるのは、
 相変わらずだ。

 でも、それが嬉しい。

 ◇

「ねえ、レオン様」

「なんだ」

「わたし、幸福配合省の質問票に、
 ひとつだけ書き足したいことがあるんです」

「聞こう」

 学園祭用の小瓶をひとつ手に取りながら、言う。

「“幸福配合の効力なんて、最初の八分で切れていました。
 でも、あの日からずっと、わたしは幸せです”って」

 あの事故の日。
 霧に包まれた配合室で、泣きそうになっていたわたし。

 その八分が、全部を変えたわけじゃない。

 でも、きっかけには、なった。

 八分で切れる薬よりも、
 そのあとに続けてくれた甘やかしのほうが、
 ずっと大きくて、あたたかくて。

「いい文章だ」

 レオン様は、素直に頷いた。

「“その後も継続観測中”と添えておけ」

「継続観測中……」

 また、研究者みたいな言い方をする。

「じゃあ、こうします」

 わたしは、空中に指で文字を書くようにしながら言った。

「“幸福配合は、あの日の八分で切れました。
 でも、あの日から始まった“誰かと分け合う甘やかし”は、
 いまも継続観測中です”」

「……」

 レオン様が、少しだけ目を細めた。

 それから、小さく笑う。

「“継続観測者:ミリア・フェルナン、レオン・アーデン”」

「ふたりで名前、連ねちゃいます?」

「当然だろう」

 わたしたちは顔を見合わせて、
 思わず笑った。

 ◇

 学園祭当日。

 配合部の教室には、
 あちこちから香りを嗅ぎに来る生徒たちが集まった。

「このしおり、落ち込んだときに読むと、
 ふわっと前向きになれるんだって」

「クッキーもあるの? 食べてみたい!」

「甘さ、ちょうどいい……」

 机の向こう側で、
 誰かの笑顔がはじける。

 しおりを手に取る人。
 香りを確かめる人。
 クッキーをかじって、ふふっと笑う人。

 そのひとつひとつを見ているだけで、
 胸の中があたたかくなる。

(八分以上、続くといいな)

 そんなことを思いながら、
 わたしは、祖母の手鏡にそっと触れた。

 鏡を開くと、
 そこには今日のわたしと――

「ミリア」

 いつの間にか背後に立っていた、レオン様の姿。

「“本日の気持ち報告”を」

「えっと……」

 人でいっぱいの教室。
 香りと笑い声と、揺れる布の音。

「……すごく、楽しいです」

 言葉にしてみると、
 予想以上に胸がいっぱいだったことに気づく。

「でも、ちょっとだけ、怖くもあります」

「怖い?」

「こんなに幸せでいいのかなって。
 また、失敗して誰かに迷惑をかけるんじゃないかなって」

 正直に言うと、
 レオン様の手が、そっとわたしの肩に置かれた。

「なら、こう書き足しておけ」

「え?」

「“失敗しても、一緒に片づけてくれる人がいます”」

「……」

「“その人は、成果主義で、甘やかしが過剰で、
 少しだけずるくて、とても優しいです”」

 自分のことをそこまで言える人は、
 あまりいないと思う。

 でも、その自己紹介は、
 妙にしっくりきてしまうのが悔しい。

「……はい」

 鏡の中で、わたしは笑った。

 幸福配合の効力なんて、
 とっくにどこかへ消えてしまったのかもしれない。

 でも――

 小さなクッキーを差し出す手。
 夕日の下で交わす言葉。
 “今日の気持ち”を伝え合う時間。

 そうやって毎日少しずつ、
 レオン様と一緒に混ぜてきたものが、
 今のわたしの中で、確かに甘く膨らんでいる。

(この配合は、きっと、これからも続く)

 鏡を閉じて、顔を上げる。

「レオン様」

「なんだ」

「これからも、“継続観測”よろしくお願いします」

「当然だ」

 彼は、少し得意そうに言った。

「お前が“もう十分です”と言う日まで、続ける」

「じゃあ……ずっとですね」

「そうだな」

 笑いながら交わしたその言葉が、
 たしかな約束みたいに、胸に残る。

 学園祭の喧騒の中で、
 香りと笑顔に包まれながら――

 わたしは改めて思った。

 幸福配合は、八分で切れる薬なんかじゃない。

 あの日、誤射で始まった“甘やかし”は、
 副作用なんかじゃなくて。

 わたしとレオン様の、
 これからの日々を一緒に混ぜていくための、
 最初のさじだったのだと。
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