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終章 日常過保護、固定
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「しゃん」と鳴っただけで、
周りの空気が、少しやわらかくなるようになったのは――
いつからだろう。
儀式から、いくつかの朝と夜が過ぎた。
神殿と政庁のあいだを行き来する生活にも、
ようやく、胸のどきどきが落ち着いてきた頃。
「アサ殿、今日も参謀殿の“輪”、ご健在だぞ」
政庁の中庭で訓練を眺めていたら、
山で一緒だった騎士が、
こそこそと耳打ちしてきた。
「ご健在って……」
つられて視線を向ける先。
参謀棟から出てきた黒い影――シグレさんの足元に、
ふつうの地面より、ほんの少しだけ明るい輪。
石畳の角に差しかかるたび、
角がすこし丸くなっている。
後ろから来た書記官さんが
抱えていた書類束を落としそうになると――
ふわりとクッションが生まれて、床にやさしく着地。
……のはずだった。
「うわっ!?」
「えっ」
輪が、なぜか書記官さんではなく、
シグレさんの方を優先して大きく膨らんだ。
結果――
書類束は床に散らばり、
シグレさんだけが完璧に守られる形になる。
「……過保護の方向、ずれてません?」
思わず口から出た言葉に、
騎士が肩を震わせた。
「“参謀発・多方向過保護”って、
記録官殿はおっしゃってましたが」
「日常だけは“参謀一点”なんですよね、きっと」
「そういう仕様にした覚えはないのだが」
いつの間にかすぐ近くに来ていた本人が、
ため息混じりにそう言った。
足元の輪が、
言い訳するみたいに、ぴこ、と揺れる。
……かわいい。
「参謀殿。
書類、拾いますね」
「すまん」
しゃがみこんで紙束を拾いながら、
胸元の鈴にそっと指を添える。
しゃん……と、
小さな音が鳴った。
その瞬間、
散らばっていた紙がふわりと浮き、
きちんと束になって腕の中に収まる。
「おお……」
「便利すぎませんかね、その鈴」
周りから感嘆の声が上がる。
でも、さっきの“優先順位”を思い出して、
私は鈴に小さく釘を刺しておいた。
(仕事中は、みんな優先。
シグレさんは“日常枠”だからね)
鈴が、くすぐったそうに震える。
了解、って、
言ってくれた気がした。
◇
日々は、少しずつ形を変えながら続いていく。
訓練場では、
鈴の輪の「厚み」を調整する練習が増えた。
「この隊列で、前衛には厚め、
後衛は薄めに。
私は最小限で構わん」
「はい」
シグレさんの声に合わせて、
私は鈴の柄をそっと撫でる。
しゃん。
輪が広がる。
前衛の兵士さんたちの足元に、
濃い色の輪。
後ろの方は、薄く。
シグレさんの周りだけ、
日常の輪がふわふわしているのは、
もう、誰も突っ込まなくなった。
「矢、いきます!」
弓兵の掛け声。
訓練用の鈍い矢が、
何本も空を走る。
いくつかは、対象の的に。
いくつかは、わざと外すように撃たれている。
外れた矢が、
兵士さんの模型に迫る――
直前に輪に弾かれ、
力を失って床に落ちた。
「よし。
過剰過ぎず、足りなさ過ぎずだ」
シグレさんの声に、
胸がほっと緩む。
少し離れた高台では、
宰相グレイムや将軍たちが
じっとこちらを眺めていた。
最初の頃の、
どこか怯えたような視線は、もうない。
代わりにあるのは――
慎重さと、期待と、
ほんの少しの呆れ。
「参謀殿?」
「なんだ」
「さっき、矢の方向、
わざと変えました?」
「気のせいだ」
本当に?
彼の輪が、
さっき一瞬だけ、私の方に伸びたように見えたのは――
気のせいじゃない気がする。
(“私自身も”守るって決めたの、
鈴、ちゃんと覚えてるんだなぁ)
胸元の鈴を軽く押さえながら、
密かに笑う。
◇
仕事以外にも、
鈴の輪が役に立つ場面は、
想像以上に多い。
「参謀殿、また階段飛ばして降りてきたでしょう」
「時間が惜しい」
「こけたら余計に時間かかりますよ」
「……輪がある」
「開き直った!?」
政庁の長い階段を
二段飛ばしで降りようとしたシグレさんの足元に、
鈴が自動的にクッションを生成したのを見て、
私は思わず声を上げた。
そのやりとりを見ていた書記官さんが、
こっそり囁く。
「参謀殿、最近ちょっと、
『自分が守られている』自覚出てきましたよね」
「出てきましたね……」
「守られ慣れしてきたといいますか」
「それはそれでどうなんでしょうね……」
苦笑いの輪が、
場の空気に広がる。
彼自身も、それを分かっているらしく、
たまに、階段の前で
ほんの一瞬だけ、足を止めるようになった。
少し深く息を吸ってから降りるときは――
なんとなく、
鈴の輪も、嬉しそうだ。
◇
ある休日。
珍しく、
シグレさんと予定が重なった。
「今日は休みだ」
「めずらしい……」
「政庁も神殿も、
静かな日がないと回らんからな」
お互いの仕事が一段落したその日、
私たちは、
王都の外れにある小さな丘に足を運んだ。
神殿の塔も、城も、
少し遠くに見える場所。
草の匂いと、
微かな土の匂い。
「ここ、村の丘にちょっと似てます」
「そうか」
並んで腰を下ろす。
足元には、
いつもの輪。
丘の斜面に沿って、
ゆるやかに広がっている。
「……あの後、村には戻ったのか」
「はい。
儀式の報告も兼ねて、
おばあちゃんたちに顔を見せに」
村の人たちは、
「おお、国の鈴守さん」と笑いながら
たくさんの野菜とお菓子を持たせてくれた。
階段は相変わらず急だったけれど、
鈴の輪がさりげなく支えてくれたから、
前より怖くなかった。
「『参謀殿は元気かね』って聞かれましたよ」
「なぜ私の話になる」
「“アサが守りたいって言った人なら、
きっといい人だ”って」
胸の奥が、
じわっと温かくなる。
「そういう理由付けか」
「私も、ちょっとそう思います」
「……根拠が薄い」
「でも、嬉しいですよ」
彼は、少しだけ困った顔をした。
困った顔をするたびに、
輪がふわっと厚くなるのが、
最近のひそかな楽しみだ。
◇
「参謀殿」
「なんだ」
「……鈴、
ちょっとだけ触ってみます?」
「ちょっとだけ、とは」
「いつも守られてばかりだから。
たまには、“守る側の手触り”も」
そう言って、
胸元の鈴を外し、
そっと彼の手に乗せる。
銀色の鈴は、
光を受けて小さくきらりと光った。
シグレさんは、
しばらく無言で鈴を眺めていた。
それから、
指先でそっと触れる。
しゃん。
いつもより、
少し低めの音が鳴った。
「……重いな」
「重いですか?」
「君が抱えているものが、
思ったより多い」
淡々とした声。
でも、その中に
やわらかなものが混ざっている。
「全部抱えようとするな」
「はい」
「分けろ」
「……誰にですか?」
「まずは、この鈴と。
それから――」
少しだけ間があいた。
「私と」
鈴が、
きれいに鳴った。
しゃらん。
その音は、
丘の上の風とよく馴染む。
私は小さく笑って、頷いた。
「じゃあ、
参謀殿もちゃんと分けてくださいね」
「何を」
「“守らないと”って気持ち。
たぶん、抱え過ぎです」
「……」
「私と、鈴と、
王都の人たちと。
みんなで、薄く分ければいいんです」
彼は、少しだけ目を細めた。
「君はほんとうに、
欲張りだな」
「そうですね」
自覚は、もうある。
「でも、“欲張りも、ときどきなら神様は笑って許してくれる”って
イリアさんが言ってました」
「神殿の言葉か」
「神様の言葉かもしれませんよ?」
風が吹く。
鈴が揺れる。
その輪は、
誰かを縛る鎖ではなくて――
誰かの足元をそっと支える布団みたいに、
やわらかい。
◇
日が落ちる頃。
王都の灯が、ぽつぽつと点り始める。
遠くの鐘楼から、
時刻を告げる音が聞こえた。
それに重なるように、
神殿の塔の鈴が鳴る。
しゃらん、しゃらら。
いくつもの鈴の音が重なった中に、
自分の鈴の音が、
ひとつだけ紛れ込んでいる気がする。
「アサ」
「はい」
「“過保護ロック”は、
日常限定だ」
「はい」
「任務のときは、
迷わず切って構わん」
「はい」
「その代わり――」
彼は、ほんの少しだけ
視線を外しながら言った。
「日常の中でまで、
私はもう、それを解けと言うつもりはない」
胸の中で、
何かがほっと息をついた。
「……解かない、でいいですか?」
「ああ」
短い返事。
でも、それで十分だった。
「じゃあ、
日常だけは、ずっと固定で」
「ずっとは、長いぞ」
「じゃあ、
私が“もう大丈夫です”って言える日まで」
「それなら、
安心して固定できるな」
彼の口元が、
少しだけ笑った。
◇
王都のどこかで、
今日も誰かが、
転びそうになっている。
荷車の車輪が、
石畳の段差に引っかかる。
駆け出した子どもが、
角を曲がりきれずによろめく。
書記官が、
抱えた書類を落としそうになる。
そのたびに、
どこかで小さく鈴が鳴る。
しゃん。
石段が、すこし丸くなる。
荷車の下に、薄い輪が敷かれる。
書類の束が、ふわりと浮かんで腕に戻る。
見えない安全域が、
ふわり、ふわりと広がっていく。
その中心には、
いつも黒い影がひとつ。
国のために計算する参謀と、
その足元を過保護に守る鈴守。
「鈴守ヒロインに過保護ロックされました」と、
いつか誰かが冗談めかして言った言葉は――
今では、王都でちょっとした合言葉になっている。
“今日もちゃんと守られてますか?”
そんな意味を込めて。
私は、胸元の鈴にそっと触れる。
「今日も、守りますね」
鈴が、小さく震えた。
しゃらん。
日常過保護、固定。
このやさしい呪いが続く限り、
きっとこの国は、何度だって転びそうになりながら――
それでも、
ちゃんと立ち上がっていける。
そんな気がして、
私はもう一度、鈴を鳴らした。
周りの空気が、少しやわらかくなるようになったのは――
いつからだろう。
儀式から、いくつかの朝と夜が過ぎた。
神殿と政庁のあいだを行き来する生活にも、
ようやく、胸のどきどきが落ち着いてきた頃。
「アサ殿、今日も参謀殿の“輪”、ご健在だぞ」
政庁の中庭で訓練を眺めていたら、
山で一緒だった騎士が、
こそこそと耳打ちしてきた。
「ご健在って……」
つられて視線を向ける先。
参謀棟から出てきた黒い影――シグレさんの足元に、
ふつうの地面より、ほんの少しだけ明るい輪。
石畳の角に差しかかるたび、
角がすこし丸くなっている。
後ろから来た書記官さんが
抱えていた書類束を落としそうになると――
ふわりとクッションが生まれて、床にやさしく着地。
……のはずだった。
「うわっ!?」
「えっ」
輪が、なぜか書記官さんではなく、
シグレさんの方を優先して大きく膨らんだ。
結果――
書類束は床に散らばり、
シグレさんだけが完璧に守られる形になる。
「……過保護の方向、ずれてません?」
思わず口から出た言葉に、
騎士が肩を震わせた。
「“参謀発・多方向過保護”って、
記録官殿はおっしゃってましたが」
「日常だけは“参謀一点”なんですよね、きっと」
「そういう仕様にした覚えはないのだが」
いつの間にかすぐ近くに来ていた本人が、
ため息混じりにそう言った。
足元の輪が、
言い訳するみたいに、ぴこ、と揺れる。
……かわいい。
「参謀殿。
書類、拾いますね」
「すまん」
しゃがみこんで紙束を拾いながら、
胸元の鈴にそっと指を添える。
しゃん……と、
小さな音が鳴った。
その瞬間、
散らばっていた紙がふわりと浮き、
きちんと束になって腕の中に収まる。
「おお……」
「便利すぎませんかね、その鈴」
周りから感嘆の声が上がる。
でも、さっきの“優先順位”を思い出して、
私は鈴に小さく釘を刺しておいた。
(仕事中は、みんな優先。
シグレさんは“日常枠”だからね)
鈴が、くすぐったそうに震える。
了解、って、
言ってくれた気がした。
◇
日々は、少しずつ形を変えながら続いていく。
訓練場では、
鈴の輪の「厚み」を調整する練習が増えた。
「この隊列で、前衛には厚め、
後衛は薄めに。
私は最小限で構わん」
「はい」
シグレさんの声に合わせて、
私は鈴の柄をそっと撫でる。
しゃん。
輪が広がる。
前衛の兵士さんたちの足元に、
濃い色の輪。
後ろの方は、薄く。
シグレさんの周りだけ、
日常の輪がふわふわしているのは、
もう、誰も突っ込まなくなった。
「矢、いきます!」
弓兵の掛け声。
訓練用の鈍い矢が、
何本も空を走る。
いくつかは、対象の的に。
いくつかは、わざと外すように撃たれている。
外れた矢が、
兵士さんの模型に迫る――
直前に輪に弾かれ、
力を失って床に落ちた。
「よし。
過剰過ぎず、足りなさ過ぎずだ」
シグレさんの声に、
胸がほっと緩む。
少し離れた高台では、
宰相グレイムや将軍たちが
じっとこちらを眺めていた。
最初の頃の、
どこか怯えたような視線は、もうない。
代わりにあるのは――
慎重さと、期待と、
ほんの少しの呆れ。
「参謀殿?」
「なんだ」
「さっき、矢の方向、
わざと変えました?」
「気のせいだ」
本当に?
彼の輪が、
さっき一瞬だけ、私の方に伸びたように見えたのは――
気のせいじゃない気がする。
(“私自身も”守るって決めたの、
鈴、ちゃんと覚えてるんだなぁ)
胸元の鈴を軽く押さえながら、
密かに笑う。
◇
仕事以外にも、
鈴の輪が役に立つ場面は、
想像以上に多い。
「参謀殿、また階段飛ばして降りてきたでしょう」
「時間が惜しい」
「こけたら余計に時間かかりますよ」
「……輪がある」
「開き直った!?」
政庁の長い階段を
二段飛ばしで降りようとしたシグレさんの足元に、
鈴が自動的にクッションを生成したのを見て、
私は思わず声を上げた。
そのやりとりを見ていた書記官さんが、
こっそり囁く。
「参謀殿、最近ちょっと、
『自分が守られている』自覚出てきましたよね」
「出てきましたね……」
「守られ慣れしてきたといいますか」
「それはそれでどうなんでしょうね……」
苦笑いの輪が、
場の空気に広がる。
彼自身も、それを分かっているらしく、
たまに、階段の前で
ほんの一瞬だけ、足を止めるようになった。
少し深く息を吸ってから降りるときは――
なんとなく、
鈴の輪も、嬉しそうだ。
◇
ある休日。
珍しく、
シグレさんと予定が重なった。
「今日は休みだ」
「めずらしい……」
「政庁も神殿も、
静かな日がないと回らんからな」
お互いの仕事が一段落したその日、
私たちは、
王都の外れにある小さな丘に足を運んだ。
神殿の塔も、城も、
少し遠くに見える場所。
草の匂いと、
微かな土の匂い。
「ここ、村の丘にちょっと似てます」
「そうか」
並んで腰を下ろす。
足元には、
いつもの輪。
丘の斜面に沿って、
ゆるやかに広がっている。
「……あの後、村には戻ったのか」
「はい。
儀式の報告も兼ねて、
おばあちゃんたちに顔を見せに」
村の人たちは、
「おお、国の鈴守さん」と笑いながら
たくさんの野菜とお菓子を持たせてくれた。
階段は相変わらず急だったけれど、
鈴の輪がさりげなく支えてくれたから、
前より怖くなかった。
「『参謀殿は元気かね』って聞かれましたよ」
「なぜ私の話になる」
「“アサが守りたいって言った人なら、
きっといい人だ”って」
胸の奥が、
じわっと温かくなる。
「そういう理由付けか」
「私も、ちょっとそう思います」
「……根拠が薄い」
「でも、嬉しいですよ」
彼は、少しだけ困った顔をした。
困った顔をするたびに、
輪がふわっと厚くなるのが、
最近のひそかな楽しみだ。
◇
「参謀殿」
「なんだ」
「……鈴、
ちょっとだけ触ってみます?」
「ちょっとだけ、とは」
「いつも守られてばかりだから。
たまには、“守る側の手触り”も」
そう言って、
胸元の鈴を外し、
そっと彼の手に乗せる。
銀色の鈴は、
光を受けて小さくきらりと光った。
シグレさんは、
しばらく無言で鈴を眺めていた。
それから、
指先でそっと触れる。
しゃん。
いつもより、
少し低めの音が鳴った。
「……重いな」
「重いですか?」
「君が抱えているものが、
思ったより多い」
淡々とした声。
でも、その中に
やわらかなものが混ざっている。
「全部抱えようとするな」
「はい」
「分けろ」
「……誰にですか?」
「まずは、この鈴と。
それから――」
少しだけ間があいた。
「私と」
鈴が、
きれいに鳴った。
しゃらん。
その音は、
丘の上の風とよく馴染む。
私は小さく笑って、頷いた。
「じゃあ、
参謀殿もちゃんと分けてくださいね」
「何を」
「“守らないと”って気持ち。
たぶん、抱え過ぎです」
「……」
「私と、鈴と、
王都の人たちと。
みんなで、薄く分ければいいんです」
彼は、少しだけ目を細めた。
「君はほんとうに、
欲張りだな」
「そうですね」
自覚は、もうある。
「でも、“欲張りも、ときどきなら神様は笑って許してくれる”って
イリアさんが言ってました」
「神殿の言葉か」
「神様の言葉かもしれませんよ?」
風が吹く。
鈴が揺れる。
その輪は、
誰かを縛る鎖ではなくて――
誰かの足元をそっと支える布団みたいに、
やわらかい。
◇
日が落ちる頃。
王都の灯が、ぽつぽつと点り始める。
遠くの鐘楼から、
時刻を告げる音が聞こえた。
それに重なるように、
神殿の塔の鈴が鳴る。
しゃらん、しゃらら。
いくつもの鈴の音が重なった中に、
自分の鈴の音が、
ひとつだけ紛れ込んでいる気がする。
「アサ」
「はい」
「“過保護ロック”は、
日常限定だ」
「はい」
「任務のときは、
迷わず切って構わん」
「はい」
「その代わり――」
彼は、ほんの少しだけ
視線を外しながら言った。
「日常の中でまで、
私はもう、それを解けと言うつもりはない」
胸の中で、
何かがほっと息をついた。
「……解かない、でいいですか?」
「ああ」
短い返事。
でも、それで十分だった。
「じゃあ、
日常だけは、ずっと固定で」
「ずっとは、長いぞ」
「じゃあ、
私が“もう大丈夫です”って言える日まで」
「それなら、
安心して固定できるな」
彼の口元が、
少しだけ笑った。
◇
王都のどこかで、
今日も誰かが、
転びそうになっている。
荷車の車輪が、
石畳の段差に引っかかる。
駆け出した子どもが、
角を曲がりきれずによろめく。
書記官が、
抱えた書類を落としそうになる。
そのたびに、
どこかで小さく鈴が鳴る。
しゃん。
石段が、すこし丸くなる。
荷車の下に、薄い輪が敷かれる。
書類の束が、ふわりと浮かんで腕に戻る。
見えない安全域が、
ふわり、ふわりと広がっていく。
その中心には、
いつも黒い影がひとつ。
国のために計算する参謀と、
その足元を過保護に守る鈴守。
「鈴守ヒロインに過保護ロックされました」と、
いつか誰かが冗談めかして言った言葉は――
今では、王都でちょっとした合言葉になっている。
“今日もちゃんと守られてますか?”
そんな意味を込めて。
私は、胸元の鈴にそっと触れる。
「今日も、守りますね」
鈴が、小さく震えた。
しゃらん。
日常過保護、固定。
このやさしい呪いが続く限り、
きっとこの国は、何度だって転びそうになりながら――
それでも、
ちゃんと立ち上がっていける。
そんな気がして、
私はもう一度、鈴を鳴らした。
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