冷徹と噂の堅物騎士団長、恩返しのつもりが彼氏面で騎士団の運用規定になりました(副団長の胃が先に限界)

星乃和花

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後日談③ 恋人になったので、恩返しの言い訳が使えなくなった

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(三人称寄り団長視点)

 騎士団長は、結論を出すのが早い。

 戦略も、規律も、任務も――迷えば迷うほど被害が増える。だから決める。決めて、動く。それが最も確実で、最も正しい。

 だが、恋人になってからの彼は、ひとつだけ結論を遅らせている。

 ――言葉。

 彼女を「恋人にしたい」と言い、彼女が「なってください」と言った。あの日、確かに決まった。もう恩返しの言い訳は使えない。使う必要もない。

 それでも彼は、言葉を押し付けないと決めている。

 彼女はまだ、口元に「私なんて…」を浮かべることがある。完全に言葉になる前に飲み込むこともある。そのたびに、胸の奥がわずかに痛む。痛みの正体は苛立ちではない。――焦りでもない。

 ただ、守りたい。

 守りたいのに、守り方が過剰になる。自分の“当然”が、彼女にとっては“重い”ことも知った。だから、言葉では押さない。行動で示し、彼女が選べる余地を残す。

 それが、自分にできる最大限の「加減」だった。

 ***

 昼の休憩時間。

 事務室の時計が、きっちりと休憩の始まりを告げる。副団長が制度化した時間だ。彼女が座っても許される時間――ではない。座らなければならない時間。

 以前なら、彼女は必ず言っただろう。

『まだ大丈夫です』
『あと少しだけ』

 そして、笑って誤魔化した。

 だが今日は違った。

 彼女は書類の束を整え、ペンを置き、椅子から立ち上がった。

「……休憩、行ってきます」

 言い切る声が、少しだけ震えていた。けれど逃げる震えではない。選ぶ震えだ。

 団長は頷いた。短く。

「行け」

 言葉は少ない。それでも彼女の背中が、ほんの少し軽くなるのがわかった。

 彼女は休憩室に向かい、扉を閉めた。

 ――“今日は何もしない”を選んだ。

 その事実が、団長の胸に静かに落ちる。

 嬉しい、と同時に、怖い。

 彼女が休めるようになったことが怖いのではない。彼女が休めるようになった理由が、自分にあることが怖い。

 自分が彼女に影響を与えてしまう。
 良い影響であっても、それは責任を生む。

 だが責任から逃げる気はない。

 団長は視線だけを扉に向け、耳を澄ませた。気配、呼吸、物音。――何もない。静かだ。

 静かな休憩を守る。それが今日の任務だ。

 休憩室の前を通りがかった団員が、ひそひそ声で囁いた。

「団長、今日も監督してる…」
「監督じゃない。護衛だ」
「護衛って言えばいいのかな」
「護衛だと重い」
「重いのは団長だよ」

 団長が一瞥すると、団員たちは訓練より綺麗に散った。

 ――よし。

 ***

 休憩が終わる少し前。扉が開き、彼女が出てきた。

 顔が少しだけ柔らかい。疲れが消えたわけではない。だが、呼吸の深さが戻っている。団長はそれを確認し、内心で息を吐いた。

「……戻りました」

「うん」

 彼女は机に向かう前に、鞄をごそごそと探った。
 その仕草に、団長は嫌な予感と甘い予感を同時に覚えた。

 ――そして、出てきたのは小さな包みだった。

 あの日と同じ店の紙。素朴な焼き菓子。高級ではない。日常の甘さ。

「……団長、これ」

 彼女が差し出す。
 目を合わせない。合わせると照れるからだ。照れを笑いで誤魔化したくないからだ。

「昨日の、……お礼。です」

 団長の手が止まる。

 受け取る。受け取るべきだ。恋人として。彼女の“返したい”を奪わないために。

 彼はゆっくり手を伸ばし、包みを受け取った。

 ――温かい。

 菓子の温度ではない。彼女の体温が、紙に残っているような気がする。

 胸の内ポケットに入れたい。

 衝動は即座に形になる。彼の動きは常に速い。だから危険だ。

 団長の指が内ポケットに向かいかけた瞬間、脳内で副団長の声が響いた。

『団長、それは仕事中に入れる場所です!!』

 ……確かに。

 団長は動きを止め、無表情のまま包みを机の引き出しに入れた。

 彼女の引き出しではない。自分の机の引き出しだ。
 ――自分の手の届く範囲に置く。それが彼の“加減”。

「……受け取る」

「はい」

 彼女が小さく頷く。

 団長は言葉を探す。
 “ありがとう”は軽すぎる。
 “大切にする”は重すぎる。
 それでも言うべきだ。彼女が返してくれたのだから。

「……嬉しい」

 短く。

 彼女の目が少しだけ見開かれ、それから戸惑ったように笑った。

 その笑い方が、昔の記憶を呼び起こす。

 砂埃。血の匂い。遠のく視界。
 その中で聞こえた声。

『大丈夫ですよ』

 彼女が言った。あの時、泣きそうに笑いながら。

 自分は、あの言葉で救われた。

 手当ではない。誰かが“自分を大丈夫だと言ってくれた”ことが救いだった。

 今は、その順番が回ってきた。

 彼女が彼女自身を「大丈夫」と扱えるように。
 自分は、そのためにいる。

 恩返しではない。
 恋人としての意思だ。

 ***

 夕方。業務が終わり、彼女が帰り支度をする。

 団長は当たり前の顔で言った。

「送る」

「……今日も?」

「今日も」

 彼女は小さく頷く。
 受け取る練習が、少しずつ進んでいる。

 王都の帰り道。人混みは少なく、風が冷たい。
 団長は彼女の歩幅に合わせ、車道側に立つ。段差の前では必ず一歩先に出る。

 彼女は、それに慣れてしまった自分を怖がっている気配がある。

 だから団長は、余計な言葉を足さない。
 “当然”を押し付けない。

 ただ、いる。

 彼女がぽつりと呟いたのは、門の近くだった。

「……守られてるの、嬉しい」

 団長の胸が、静かに鳴る。

 彼女は続けた。声が小さい。

「でも……まだ、受け取るの下手で」

 団長は足を止めた。
 止めたのは彼女を遮るためではない。今言うべき言葉を選ぶためだ。

 短く、確実に。

「下手でいい」

 彼女が顔を上げる。

「俺が待つ」

 彼女の瞳が揺れる。
 笑いそうになって、泣きそうになって、呼吸が揺れて、それでも彼女は言った。

「……待たせたら、ごめんなさい」

「謝るな」

「……でも」

「待つのは、俺の意思だ」

 それだけ言って、団長は歩き出した。
 歩き出すことで、彼女の逃げ道を残す。

 彼女は遅れずに隣を歩いた。
 隣。そこにいることが、今はもう“許可”ではなく“選択”になり始めている。

 ***

 別れ際。門の前。

 彼女が小さく頭を下げた。

「……ありがとうございました。今日も」

「うん」

 団長は言いかけた。
 抱きしめたい。
 そうすれば彼女は安心するかもしれない。
 だが“安心”が“依存”になってはいけない。自分の温度で、彼女の足を止めたくない。

 団長は理性で手を止めた。

 その瞬間。

 彼女が、自分から団長の袖をつかんだ。

 ほんの数秒。
 指先が布を掴むだけ。
 それだけで、団長の中で何かが静かに崩れる。

 ――自分から、掴んだ。

 団長は動かない。動けば彼女を囲ってしまう。
 ただ、そこにいる。

 彼女が小さく言う。

「……明日も、会えますよね」

 団長は答えた。短く。

「……明日も会える」

 確認。
 それだけで十分だった。

 彼女が袖を離す。
 離しても、もう戻ってくると知っている離れ方だった。

 団長は歩き出しながら、自分の胸の奥を静かに確かめる。

 これが――幸せか。

 豪華な言葉も、派手な式も、今は要らない。

 彼女が休憩を選び、
 小さな菓子を差し出し、
 袖をつかんで、
 「明日も会える」と言ってくれる。

 それだけで、十分だ。

 恩返しの言い訳がなくなった今、残るのは自分の意思だけ。

 ――彼女の隣にいる。

 それが、自分の幸せだと、団長はようやく認めた。
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