雷が鳴ったら抱きしめて(流れ星は見ない方向で) ーー危機管理ゼロ令嬢 × 自責やさ男。辺境DIYラブコメ。

星乃和花

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第三話 斧とノコと馬鹿力と

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 朝、山はまだ眠そうで、空気は濡れた布みたいにやわらかかった。
 アデラは腰に縄を巻き、肩にノコを提げ、斧を手に持ち――すでに“絵として強い”。

「今日は梁の補強。材料:丸太。道具:筋肉」

「最後の材料、一般家庭に常備されてないからね?」

 エリは笑いながら背負い籠を背負い直し、標語板にさらっと追記する。

《第六条:重いものは“二人で”持つ。》

「うむ。いい条文。じゃ、いこう」

 小屋の外は、針葉樹の匂いが濃く、鳥が起き抜けの声で小さく鳴いた。
 斜面の途中、木こりのバルド・スプリットが、丸太に腰かけパンを齧っていた。

「お、山の新婚――じゃない、工事コンビ」

「挨拶の前に修正が入るの早いな」

「バルド、おはよう。今日は梁の補強用に、真っ直ぐで節の少ないの、二本ほしい」

「おう。じゃああっちの尾根。倒木がある。乾きもいい。兄ちゃん、担げるか?」

「担げる。……ただ、“二人で”担ぐ」

「標語に従っててえらい」

 ◇

 尾根の向こう、苔むした倒木は、まっすぐで、ちょうどいい太さだった。
 まず皮を少し剥いで、長さを揃える。ノコが、木の年輪をひとつずつ歌に変える。

「ノコって、歌うね」

「押すとき力を抜く。引くときだけ、素直に任せる。……人間関係に似てる」

「名言出た。標語、増やそう」

《第七条:ノコは歌わせる。斧は踊らせない。》

「斧を踊らせるって、どういう事故?」

「楽しくなって振り回す、の比喩」

「比喩でも危ない」

 アデラが笑う。エリも笑って、斧を構えた。
 狙いを定めて、短く息を吐く。振りかぶる。その一撃は、派手ではないのに、木の芯に素直に届いた。二撃、三撃――木目がほどけ、香りがはじける。

「わ、きれい。音もきれい」

「斧は力じゃなくて“角度”。筋肉は、角度を邪魔しないためにある」

「筋肉の哲学」

「筋肉には哲学が必要だ」

 皮を剥ぎ、端を落とし、丸太を二本。
 エリが肩に一本、アデラが反対側を受ける。
 持ち上げる瞬間、アデラの足が地面を押し、背中がすっと伸びる。小柄な体が、急に“梁”みたいに頼もしくなる。

「いける?」

「いける。木材より軽い」

「比較対象が揺るがない」

 ふたりで歩き出す。
 丸太が肩に載る重さは、痛みではなく、目的の形だ。
 エリは歩幅を合わせ、段差の前で必ず「いくよ」と声をかける。
 声をかける――それだけで、二人の足どりは嘘みたいに安定する。戦場では、声は“命令”だった。ここでは、ただの“合図”でいい。

 ◇

 戻る道すがら、村の子どもたちが山道の端で石を積んでいた。
 一番小さい子が、丸太を担いだエリを見上げ、ぱちくりと瞬きをする。
 次の瞬間、なぜか正座した。

「す、すご……」

「立って。膝が冷える」

「にーちゃん、すご……!」

「形容語が足りない」

「すごい“肩”」

「肩単位で褒められたのは初めてだ」

 アデラが笑って、子どもたちにハイタッチをしていく。
「道、ありがと。石の橋、上手だね」
 子らは照れ、石をもうひとつ積む。些細な手伝いが、世界を少しだけ“通りやすく”する。

 ◇

 小屋に着くと、梁の受け口を測って、仮の支えを組む。
 バルドが見に来て、顎で合図を送る。

「兄ちゃん、持ち上げは合図で。三、二、一、はい」

「三、二、一、――はい」

 ぐっと、丸太が上がる。
 エリの肩と腕は、静かに働く。唸らない。必要以上に誇示しない。
 支えに乗せる瞬間、アデラが指先で微調整し、角度が“ぴたり”と噛み合った。

「ぴたり」

「ぴたりだ」

 ふたり同時に言って、目が合う。
 視線がほんの一秒長く絡んで、エリは慌てて咳払いをした。

「えっと、固定する」

「はい、釘」

 金槌の音が、昼の空に軽く響く。
 その音は、不思議と眠気を誘う。平和な音は、人を眠くするらしい。

「エリ、休憩。パンとスープ」

「賛成。……でも先に、標語をひとつ」

 エリは板を手に取り、少し迷ってから、書く。

《第八条:痛みは“気のせい”にしない。》

 沈黙。
 アデラは板を見て、小さく、まばたきをした。
 それから、にっこり笑う。

「うん。それ、大好き」

「“大好き”の使い所が独特」

「安心が好きだから。ちゃんと痛いって言う人、安心」

 エリは頷き、手のひらの小さな擦り傷に草の汁を塗る。
 戦の頃、痛みは“あと回し”の象徴だった。今、痛みは合図に変わる。今、手当てできる。今、ここで。

 ◇

 午後は梁の固定。
 アデラが上、エリが下で支える。
「上、あと指一本分」
「指一本分了解」
 言葉が短く、正確で、やさしい。
 釘が進むたび、小屋が“家”の音で鳴る。

「ねえ、今度の星祭り、屋根の上でランタン影絵やろうね。流れ星は見ない方向で」

「“見ない方向”って方位?」

「東西南北、安心」

「新しい羅針盤が発明された」

 エリは笑い、釘を最後まで打ち込む。
 梁は、もう揺れない。
 アデラが上から身を乗り出し、親指を立てた。

「いいね!」

「いい。……降りるとき、手」

「はい」

 手と手が、空中で確かめ合う。
 その瞬間、外の木々がざわりと風に揺れ、薄い雲が日差しの上を歩いた。
 雷の気配はない。空は、ただ遠い。

 ◇

 夕方、バルドが余った端材を抱えて戻ってきた。
「棚でも作れ。記憶は置き場を決めると、迷子にならない」

「名言が木こりから出る日」

「木は人の言葉をよく聞く。お前らの梁も、たぶんもう“家になる覚悟”ができた」

「梁の覚悟……」

 アデラは端材を撫で、すぐに設計図――という名の“落書き”を炭で描き始める。
 棚は小さく、窓の下に置く予定だ。ハーブと、パンと、標語板の予備を並べる。

「エリ、棚できたらさ、わたしの“王都の思い出グッズ”も置くね」

「王都の?」

「ドレスの欠片。ほつれたリボン。……あと、雷の本。嫌いだから、表紙に布をかけて置いておく」

「嫌いなものに布をかける文化?」

「安心の布」

「万能布だ」

 ふたりで笑い、棚の寸法を測る。
 メジャー代わりの縄に、結び目で印をつける。
 簡単な工夫が、小さな誇りに変わる。

 ◇

 夜、焚き火台の上ではまたスープが湯気を上げ、パンが香る。
 梁は静かに小屋を支え、窓のハーブはほのかに揺れる。

「エリ、今日の“よかった”は?」

「丸太が“二人で”持てたこと。……あと、子どもに肩を褒められたこと」

「わたしは、“痛みは気のせいにしない”が、標語になったこと。すごく、好き」

「うん」

 火は小さく、夜はやわらかい。
 エリは壁の標語板を見上げる。

第一条:まず生きる。次に直す。
第二条:流れ星は見ない。避ける。
第三条:危ないと思ったら“いったん止める”。
第四条:空が怪しい日は、早めに帰る。
第五条:自尊心は、乾いてから。
第六条:重いものは“二人で”持つ。
第七条:ノコは歌わせる。斧は踊らせない。
第八条:痛みは“気のせい”にしない。

 板の文字が、火の明滅で揺れる。
 その揺れは、怖くない。
 怖い揺れは、雷のときだけでいい。
 ――雷が鳴ったら、抱きしめる。約束は、まだ先の空にしずかに待機している。

「アデラ」

「ん?」

「明日は、窓」

「世界の目、だね」

「うん。外を見るために、内側から直す」

「名言。メモ」

 彼女が炭を握る。エリは笑って、火をもう少しだけ弱めた。
 夜は、長くない。
 でも、明日は来る。
 梁の上で、家が一日ぶん、伸びをした。
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