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第6話 解除方法を探す→条件が地雷すぎる(言い換え作戦、全滅)
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公爵邸の朝は、戦場の前みたいに整っていた。
――正確には、“整えられすぎて”いた。
リリアの寝室(という名の、まだ落ち着かない部屋)の扉前に、侍女が三人。侍女長エルザが一人。さらに、見慣れない初老の女性が一人。
全員、完璧に直立。完璧に無表情。
そして、その無表情の奥にある「わくわく」が、空気の密度で伝わってくる。
「奥さま」
エルザが静かに言った。
「本日より、晩餐会に備えた“夫婦同伴の所作”を確認いたします」
「所作……?」
リリアが首をかしげた瞬間、初老の女性が一歩前に出て、優雅に一礼した。
「マダム・ヴァイオレットでございます。王都社交界の礼法を長年……ええ、長年、見て参りました」
“見て参りました”の言い方が、なぜか“狩って参りました”に近い圧を含んでいる。
リリアは思わず背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします……」
その時。
廊下の向こうから、低い声が落ちた。
「必要ない」
レオンハルト公爵が、いつもの冷たい顔で現れた。
しかし、いつもの冷たさのはずなのに、目がわずかに険しい。――“危険物(社交界)”を前にした顔。
マダム・ヴァイオレットは、にっこり微笑んだ。
「旦那さま。必要でございます」
「……七件も行かない」
「行きます」
即答。
エルザが淡々と追撃する。
「本日は一件に絞りました。『北方商会主催・冬の感謝晩餐会』。欠席は外交問題になりかねません」
カイルの疲れた声が遠くから聞こえた気がした。「すでに胃が外交問題です」と。
レオンハルトは、目を細める。
「……なら、私が“冷徹”で押し通す」
「それが押し通せないのが、今の問題でございます」
エルザの言葉は刃みたいに正確だった。
レオンハルトが黙り、代わりにリリアの手首へ視線を落とす。
昨日から、糸は見えないふりをしても存在感がある。リリアが緊張すると、ほんのり温かくなる気がするのが厄介だった。
レオンハルトは低く言った。
「……リリア。近くに」
「はい」
返事をした瞬間、彼の眉がほんの少しだけ緩んだのを、リリアは見てしまった。
(それ、呪いじゃなくて……落ち着いてるだけでは?)
考えそうになって、やめる。
やめる前に、マダム・ヴァイオレットが手を叩いた。
ぱん、と優雅な音。
「では、確認しましょう。旦那さま。奥さまへ腕を」
「……腕?」
「夫婦同伴の基本です。奥さまは、旦那さまの腕に軽く手を置いて歩きます。――“守られている”と示すのです」
守られている。
その単語に、レオンハルトの目が鋭く光った。
「……示す必要はない」
「あります」
マダムが即答する。即答が、ここ最近の屋敷の流行だ。
リリアは気まずく笑って、そっとレオンハルトの腕に手を添えた。
その瞬間。
レオンハルトの肩が、目に見えないくらい固くなる。
(あ、これ、照れてる?)
照れてるなんて、そんなはず――と思った瞬間、彼の口が勝手に動いた。
「……綺麗だ」
リリアは固まった。
マダムも固まった。
侍女たちが、石像みたいになった。
エルザだけが、視線を落としたまま、心の中で確実に手帳を開いている。
レオンハルト本人も、言った直後に目だけで「……違う」と言っていた。
けれど、出てしまったものは戻らない。
リリアは、慌てて“健康管理フォルダ”に入れた。
「ありがとうございます! えっと、それ、社交辞令の練習ですか?」
「……練習だ」
レオンハルトが硬く言う。
(よし、練習)
リリアの中で分類が確定した瞬間、マダム・ヴァイオレットが嬉しそうに頷いた。
「よろしい。とてもよろしい。旦那さま、では次。“奥さまを危険から守るように、半歩前へ”」
「半歩前へ?」
「はい。奥さまが誰かにぶつかられそうなら、自然に庇う」
自然に。
その指示が終わる前に、レオンハルトはもう半歩前に出て、リリアを自分の背中側へ収めた。
早い。
速すぎる。
「……ここが安全だ」
言い切った。
マダムが満足げに言う。
「完璧です」
リリアは小声でレオンハルトに言った。
「公爵さま、所作って、こんなに“守る”んですね」
「……当然だ」
当然、が最近多い。
そして当然のたびに、リリアの胸の奥がじん、と温かくなるのが困る。
――と、その時。
廊下の向こうからカイルが走ってきた。
「旦那さま! 呪いの資料が――書庫から見つかりました!」
レオンハルトの目が一瞬で“戦”になる。
「持て」
「はい!」
マダムが、にこやかに言った。
「続きは後ほど。今は“解除方法”が優先ですね」
リリアが「解除方法!」と反応した瞬間、レオンハルトの指が、ぎゅ、と強く絡んだ。
(あ、嫌そう……)
嫌そうというより、怖そう。
リリアは、それに気づいてしまった。
*
書庫は、屋敷の奥にあった。
分厚い本の匂い。古い紙の乾いた音。ここだけ時間が遅い。
カイルが机に資料を広げる。エルザも何故か同席している。侍女長なのに、顔がわずかに楽しそうなのが怖い。
「こちらが“ヴァルデン家の縁呪い”の記録です。……先祖が、縁結び祠に“守護の誓い”を立てたのが起点。代々、配偶者を守る力が強く出ると」
リリアは真面目に頷いた。
「じゃあ、やっぱり“守る呪い”なんですね」
「その言い方、優しすぎます」
カイルが泣きそうな声で言った。
「守るというより、固定です。強制で。“逃げられない”方向に最適化されます」
リリアの手首の奥が、ひやりとした。
――逃げられない。
それは、怖い。
その怖さを察したように、レオンハルトが低く言う。
「……大丈夫だ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫にする」
命令じゃなく、誓いみたいな声だった。
リリアは息を吐いて、笑ってみせた。
「じゃあ、大丈夫ですね」
その瞬間、レオンハルトの目がほんの少しだけ緩む。
――だから、リリアの「大丈夫ですね」は危険だ、とカイルは思った。思ったが、口に出したら死ぬので黙った。
カイルは咳払いして、資料の該当箇所を指した。
「解除条件は……やはり同じです。“本人が愛を自覚し、口にすること”」
「……口にする以外は?」
レオンハルトが短く聞く。
カイルは、申し訳なさそうに首を振った。
「ありません。言い換えも不可と書いてあります」
「言い換え不可……?」
リリアが首をかしげると、カイルが苦い顔で補足する。
「過去の当主が試しました。“大切だ”“守りたい”“慈しんでいる”“好意がある”“君を尊重している”――全部、だめ」
レオンハルトが、静かに拳を握った。
「……なら、“書く”は?」
「筆記も不可です。音声が条件」
「……」
沈黙が落ちる。
落ちた沈黙を、リリアがふわっと持ち上げた。
「じゃあ、公爵さま。今日の晩餐会、終わったら……練習しましょう」
「練習?」
「はい。“愛している”って言う練習。噛んでもいいし、小声でもいいし」
カイルが、目だけで叫んだ。
(奥さま、地雷を踏みに行かないでください!)
レオンハルトは、地雷を踏まれた顔のまま、言った。
「……しない」
「でも解除するには――」
「解除は、“必要ない”」
その言葉が、鋼みたいに硬かった。
リリアは一瞬だけ言葉を失う。
でも、すぐに“生活力”で立て直す。
「じゃあ、悪化させない方法を探しましょう。糸が暴れないように、睡眠と蜂蜜と――」
「蜂蜜は万能ではない」
レオンハルトが即座に否定し、否定しながらも、昨日蜂蜜を持ってきた自分を思い出してしまったのか、目がわずかに泳いだ。
リリアはその泳ぎに気づいて、少しだけ笑った。
「……じゃあ蜂蜜は“補助”ですね」
カイルは机に突っ伏した。
(補助って何……)
*
そして、その日の夕方。
晩餐会の準備が始まった。
ドレスの採寸のために仕立て屋が来た瞬間、屋敷の空気が一段緊張した。
「奥さま、こちらへ。肩のラインを――」
仕立て屋が手を伸ばした瞬間。
「触るな」
低い声。
レオンハルトが、壁の影から現れた。
仕立て屋が固まる。
リリアも固まる。
カイルが死にかけの顔で呟いた。
「……旦那さま、今は“必要な接触”です」
「必要でも、触るな」
「無理です!」
エルザが淡々と提案した。
「旦那さまが採寸なさいますか」
レオンハルトが一拍置いて言った。
「……できる」
「できるんですか!?」
リリアが思わず突っ込んだ。
レオンハルトは真顔で答えた。
「できる」
できると言い切る硬派の顔で、メジャーを握る未来が見えたリリアは、なぜか笑いが込み上げてしまった。
「公爵さま、それはさすがに……」
「……笑うな」
「だって……」
「……心臓に悪い」
またそれ。
仕立て屋が、震える声で言った。
「え、ええと……王都の噂通りで……」
リリアが真っ赤になり、カイルが青くなり、エルザだけが無表情で(手帳を開く音が)心の中に響いた。
そしてレオンハルトは、リリアの肩に外套をかけた。
屋敷の中なのに。
「冷える」
「今、暖炉――」
「冷える」
断言。
断言のまま、彼はリリアの耳元に、誰にも聞こえない声で言ってしまった。
「……誰にも、見せたくない」
リリアの心臓が、どくん、と跳ねた。
(それ、呪い……?)
呪いだと、思いたい。
でも、呪いにしては――あまりに寂しそうな声だった。
その瞬間、手首の糸が、ふわ、と熱を持つ。
まるで「今のは本音だ」と告げるみたいに。
リリアは慌てて笑って、言い訳を投げた。
「だ、大丈夫です! 採寸、すぐ終わります!」
レオンハルトは、硬派の顔に戻して言った。
「……終わらせろ」
カイルが小さく泣いた。
(今夜の晩餐会、絶対に荒れる……)
*
晩餐会の馬車が、玄関に回される。
リリアはドレスを整え、深呼吸した。
(社交界……怖い。でも、なんとかなる。公爵さまが――)
その続きを考えた瞬間、レオンハルトが腕を差し出した。
「行く」
「はい」
リリアが腕に手を置くと、彼の口がまた勝手に動きかけた。
「……」
言いかけて、飲み込む。
飲み込んだ結果、出た言葉がこれだ。
「……離れるな。絶対に」
絶対に。
その“絶対”が、今日いちばん怖くて、今日いちばん頼もしかった。
馬車の扉が閉まる直前、カイルが小声で祈った。
「どうか今夜、誰も“踊りません”ように……」
祈りは、たいてい叶わない。
なぜならその晩餐会には――
「奥さま。ぜひ、最初の一曲を」
そう微笑む、“社交界一の人気貴公子”が待っているのだから。
(つづく)
――正確には、“整えられすぎて”いた。
リリアの寝室(という名の、まだ落ち着かない部屋)の扉前に、侍女が三人。侍女長エルザが一人。さらに、見慣れない初老の女性が一人。
全員、完璧に直立。完璧に無表情。
そして、その無表情の奥にある「わくわく」が、空気の密度で伝わってくる。
「奥さま」
エルザが静かに言った。
「本日より、晩餐会に備えた“夫婦同伴の所作”を確認いたします」
「所作……?」
リリアが首をかしげた瞬間、初老の女性が一歩前に出て、優雅に一礼した。
「マダム・ヴァイオレットでございます。王都社交界の礼法を長年……ええ、長年、見て参りました」
“見て参りました”の言い方が、なぜか“狩って参りました”に近い圧を含んでいる。
リリアは思わず背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします……」
その時。
廊下の向こうから、低い声が落ちた。
「必要ない」
レオンハルト公爵が、いつもの冷たい顔で現れた。
しかし、いつもの冷たさのはずなのに、目がわずかに険しい。――“危険物(社交界)”を前にした顔。
マダム・ヴァイオレットは、にっこり微笑んだ。
「旦那さま。必要でございます」
「……七件も行かない」
「行きます」
即答。
エルザが淡々と追撃する。
「本日は一件に絞りました。『北方商会主催・冬の感謝晩餐会』。欠席は外交問題になりかねません」
カイルの疲れた声が遠くから聞こえた気がした。「すでに胃が外交問題です」と。
レオンハルトは、目を細める。
「……なら、私が“冷徹”で押し通す」
「それが押し通せないのが、今の問題でございます」
エルザの言葉は刃みたいに正確だった。
レオンハルトが黙り、代わりにリリアの手首へ視線を落とす。
昨日から、糸は見えないふりをしても存在感がある。リリアが緊張すると、ほんのり温かくなる気がするのが厄介だった。
レオンハルトは低く言った。
「……リリア。近くに」
「はい」
返事をした瞬間、彼の眉がほんの少しだけ緩んだのを、リリアは見てしまった。
(それ、呪いじゃなくて……落ち着いてるだけでは?)
考えそうになって、やめる。
やめる前に、マダム・ヴァイオレットが手を叩いた。
ぱん、と優雅な音。
「では、確認しましょう。旦那さま。奥さまへ腕を」
「……腕?」
「夫婦同伴の基本です。奥さまは、旦那さまの腕に軽く手を置いて歩きます。――“守られている”と示すのです」
守られている。
その単語に、レオンハルトの目が鋭く光った。
「……示す必要はない」
「あります」
マダムが即答する。即答が、ここ最近の屋敷の流行だ。
リリアは気まずく笑って、そっとレオンハルトの腕に手を添えた。
その瞬間。
レオンハルトの肩が、目に見えないくらい固くなる。
(あ、これ、照れてる?)
照れてるなんて、そんなはず――と思った瞬間、彼の口が勝手に動いた。
「……綺麗だ」
リリアは固まった。
マダムも固まった。
侍女たちが、石像みたいになった。
エルザだけが、視線を落としたまま、心の中で確実に手帳を開いている。
レオンハルト本人も、言った直後に目だけで「……違う」と言っていた。
けれど、出てしまったものは戻らない。
リリアは、慌てて“健康管理フォルダ”に入れた。
「ありがとうございます! えっと、それ、社交辞令の練習ですか?」
「……練習だ」
レオンハルトが硬く言う。
(よし、練習)
リリアの中で分類が確定した瞬間、マダム・ヴァイオレットが嬉しそうに頷いた。
「よろしい。とてもよろしい。旦那さま、では次。“奥さまを危険から守るように、半歩前へ”」
「半歩前へ?」
「はい。奥さまが誰かにぶつかられそうなら、自然に庇う」
自然に。
その指示が終わる前に、レオンハルトはもう半歩前に出て、リリアを自分の背中側へ収めた。
早い。
速すぎる。
「……ここが安全だ」
言い切った。
マダムが満足げに言う。
「完璧です」
リリアは小声でレオンハルトに言った。
「公爵さま、所作って、こんなに“守る”んですね」
「……当然だ」
当然、が最近多い。
そして当然のたびに、リリアの胸の奥がじん、と温かくなるのが困る。
――と、その時。
廊下の向こうからカイルが走ってきた。
「旦那さま! 呪いの資料が――書庫から見つかりました!」
レオンハルトの目が一瞬で“戦”になる。
「持て」
「はい!」
マダムが、にこやかに言った。
「続きは後ほど。今は“解除方法”が優先ですね」
リリアが「解除方法!」と反応した瞬間、レオンハルトの指が、ぎゅ、と強く絡んだ。
(あ、嫌そう……)
嫌そうというより、怖そう。
リリアは、それに気づいてしまった。
*
書庫は、屋敷の奥にあった。
分厚い本の匂い。古い紙の乾いた音。ここだけ時間が遅い。
カイルが机に資料を広げる。エルザも何故か同席している。侍女長なのに、顔がわずかに楽しそうなのが怖い。
「こちらが“ヴァルデン家の縁呪い”の記録です。……先祖が、縁結び祠に“守護の誓い”を立てたのが起点。代々、配偶者を守る力が強く出ると」
リリアは真面目に頷いた。
「じゃあ、やっぱり“守る呪い”なんですね」
「その言い方、優しすぎます」
カイルが泣きそうな声で言った。
「守るというより、固定です。強制で。“逃げられない”方向に最適化されます」
リリアの手首の奥が、ひやりとした。
――逃げられない。
それは、怖い。
その怖さを察したように、レオンハルトが低く言う。
「……大丈夫だ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫にする」
命令じゃなく、誓いみたいな声だった。
リリアは息を吐いて、笑ってみせた。
「じゃあ、大丈夫ですね」
その瞬間、レオンハルトの目がほんの少しだけ緩む。
――だから、リリアの「大丈夫ですね」は危険だ、とカイルは思った。思ったが、口に出したら死ぬので黙った。
カイルは咳払いして、資料の該当箇所を指した。
「解除条件は……やはり同じです。“本人が愛を自覚し、口にすること”」
「……口にする以外は?」
レオンハルトが短く聞く。
カイルは、申し訳なさそうに首を振った。
「ありません。言い換えも不可と書いてあります」
「言い換え不可……?」
リリアが首をかしげると、カイルが苦い顔で補足する。
「過去の当主が試しました。“大切だ”“守りたい”“慈しんでいる”“好意がある”“君を尊重している”――全部、だめ」
レオンハルトが、静かに拳を握った。
「……なら、“書く”は?」
「筆記も不可です。音声が条件」
「……」
沈黙が落ちる。
落ちた沈黙を、リリアがふわっと持ち上げた。
「じゃあ、公爵さま。今日の晩餐会、終わったら……練習しましょう」
「練習?」
「はい。“愛している”って言う練習。噛んでもいいし、小声でもいいし」
カイルが、目だけで叫んだ。
(奥さま、地雷を踏みに行かないでください!)
レオンハルトは、地雷を踏まれた顔のまま、言った。
「……しない」
「でも解除するには――」
「解除は、“必要ない”」
その言葉が、鋼みたいに硬かった。
リリアは一瞬だけ言葉を失う。
でも、すぐに“生活力”で立て直す。
「じゃあ、悪化させない方法を探しましょう。糸が暴れないように、睡眠と蜂蜜と――」
「蜂蜜は万能ではない」
レオンハルトが即座に否定し、否定しながらも、昨日蜂蜜を持ってきた自分を思い出してしまったのか、目がわずかに泳いだ。
リリアはその泳ぎに気づいて、少しだけ笑った。
「……じゃあ蜂蜜は“補助”ですね」
カイルは机に突っ伏した。
(補助って何……)
*
そして、その日の夕方。
晩餐会の準備が始まった。
ドレスの採寸のために仕立て屋が来た瞬間、屋敷の空気が一段緊張した。
「奥さま、こちらへ。肩のラインを――」
仕立て屋が手を伸ばした瞬間。
「触るな」
低い声。
レオンハルトが、壁の影から現れた。
仕立て屋が固まる。
リリアも固まる。
カイルが死にかけの顔で呟いた。
「……旦那さま、今は“必要な接触”です」
「必要でも、触るな」
「無理です!」
エルザが淡々と提案した。
「旦那さまが採寸なさいますか」
レオンハルトが一拍置いて言った。
「……できる」
「できるんですか!?」
リリアが思わず突っ込んだ。
レオンハルトは真顔で答えた。
「できる」
できると言い切る硬派の顔で、メジャーを握る未来が見えたリリアは、なぜか笑いが込み上げてしまった。
「公爵さま、それはさすがに……」
「……笑うな」
「だって……」
「……心臓に悪い」
またそれ。
仕立て屋が、震える声で言った。
「え、ええと……王都の噂通りで……」
リリアが真っ赤になり、カイルが青くなり、エルザだけが無表情で(手帳を開く音が)心の中に響いた。
そしてレオンハルトは、リリアの肩に外套をかけた。
屋敷の中なのに。
「冷える」
「今、暖炉――」
「冷える」
断言。
断言のまま、彼はリリアの耳元に、誰にも聞こえない声で言ってしまった。
「……誰にも、見せたくない」
リリアの心臓が、どくん、と跳ねた。
(それ、呪い……?)
呪いだと、思いたい。
でも、呪いにしては――あまりに寂しそうな声だった。
その瞬間、手首の糸が、ふわ、と熱を持つ。
まるで「今のは本音だ」と告げるみたいに。
リリアは慌てて笑って、言い訳を投げた。
「だ、大丈夫です! 採寸、すぐ終わります!」
レオンハルトは、硬派の顔に戻して言った。
「……終わらせろ」
カイルが小さく泣いた。
(今夜の晩餐会、絶対に荒れる……)
*
晩餐会の馬車が、玄関に回される。
リリアはドレスを整え、深呼吸した。
(社交界……怖い。でも、なんとかなる。公爵さまが――)
その続きを考えた瞬間、レオンハルトが腕を差し出した。
「行く」
「はい」
リリアが腕に手を置くと、彼の口がまた勝手に動きかけた。
「……」
言いかけて、飲み込む。
飲み込んだ結果、出た言葉がこれだ。
「……離れるな。絶対に」
絶対に。
その“絶対”が、今日いちばん怖くて、今日いちばん頼もしかった。
馬車の扉が閉まる直前、カイルが小声で祈った。
「どうか今夜、誰も“踊りません”ように……」
祈りは、たいてい叶わない。
なぜならその晩餐会には――
「奥さま。ぜひ、最初の一曲を」
そう微笑む、“社交界一の人気貴公子”が待っているのだから。
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