『呪いのせいで愛妻家になった公爵様は、もう冷徹を名乗れない(天然妻は気づかない)』

星乃和花

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第5話 天然妻、“呪い”を「健康管理」に分類する(※公爵は絶望)

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祠の中は、静かなのに騒がしかった。

外の人だかりのざわめきが壁越しにうっすら響いてくるせいもある。けれどそれ以上に、リリアの手首に淡く浮かぶ“金色の糸”が、呼吸みたいにゆらゆらと揺れていた。

神官長が、細い鈴を鳴らす。

ちりん――。

その音に合わせるように、糸がふっと細くなり、また戻る。祠の空気が甘い香りを帯び、暖かい春の風が、冬のはずの森に一瞬だけ通り抜けた。

「では公爵。奥方の手を、握ったまま――はい、そのまま。離さずに」

「……離さない」

レオンハルトの返事は早すぎた。

神官長の眉が少し上がる。

「ええ、とても良い返事です」

リリアは、何となく恥ずかしくなって手元を見た。指が絡んでいる。絡みが、さっきより迷いがない。

(離さないって、そんな即答……)

リリアがもじっとした瞬間、レオンハルトの親指が、落ち着かせるみたいに手の甲を一度だけ撫でた。

――撫でた。

ほんの一度。

ほんの一度なのに、心臓がふわっと浮く。

(熱だ、熱じゃなくて……呪いだ、呪い)

どっちにしても、今のは“症状”ということにしておく。

神官長は淡々と祝詞を唱え、鈴を鳴らし、糸の揺れが少しずつ落ち着いていく。

そして最後に、石の台座に置かれた古い鏡を示した。

「奥方。こちらをご覧ください」

リリアが鏡に顔を寄せる。

すると、鏡の面に――自分の姿ではなく、金色の糸の“結び目”が映った。

蝶結び、みたいに見える。

可愛い。

可愛いのに、なんだか怖い。

「これが……印?」

「ええ。印は“守られる対象”が確定し始めた証。ですが、今はまだ結びが弱い。焦って結びを強める前に、落ち着かせる儀式をして正解でした」

神官長はにっこり。

「そして何より、公爵の反応が良い」

「……反応?」

リリアが聞き返すと、神官長はレオンハルトの手元を見る。

「奥方を守る意志が強い。これほど強いと、放置すれば呪いは早く“定着”します。――解除のためにも、なるべく早く、公爵が自覚して言葉にするのが良いでしょう」

「…………」

レオンハルトが、石になった。

顔は無表情のまま。けれど、喉仏だけがかすかに上下する。

リリアは、ここでやっと理解した。

(この人、“認める”のが本当に苦手なんだ)

苦手というか、怖いに近い。

神官長が言う。

「本日はこれで。次に糸が暴れたら、すぐ来なさい。暴れやすいのは――」

神官長はさらりと言った。

「奥方が危険を感じた時。あるいは、公爵が嫉妬した時」

「……嫉妬?」

リリアが目を丸くする。

隣でレオンハルトが、わずかに目を細めた。

「……しない」

「します」

神官長が即答した。

「呪いが」

「……」

レオンハルトが、ほんの少しだけ悔しそうな顔をした。悔しそう、というより“言い返したいのに言い返せない”顔。

リリアは、妙にそこで安心してしまった。

(よかった。これ、呪いのせいだ)

そう思えば、昨日からの言葉も距離も、“公爵さまの本心”ではない、はず。

……はず。

 *

祠を出た瞬間、森の空気が一気に現実へ戻った。

そして現実は、想像以上に騒がしい。

「公爵様ぁぁぁ!」
「奥さま! その手、見せてくださいませ!」
「外套を貸したって本当!?」
「“いい子だ”って言ったの!? 言ったの!?」
「言ったなら責任取ってぇぇぇ!」

どこから仕入れたの、その情報。

リリアの頬が、耳まで真っ赤になった。

レオンハルトは、ため息ひとつ吐かないまま、ひとつだけ動いた。

リリアを、自分の背中側へ――すっと隠す。

そして、低い声で命じた。

「下がれ」

たったそれだけで、空気が一段冷える。

人だかりが一瞬だけ止まり……止まりきらない。

「冷徹が出た!」
「いや、でも奥さま隠してる、優しい!」
「守ってる! 守ってるのよ!」

リリアは、背中越しに顔を覆った。

(むり……王都、情報が速すぎる……)

レオンハルトが小さく言う。

「……耳を塞げ」

「塞ぐには手を離して頂かないと?」

「……」

公爵が黙った。たしかに。

そのまま、彼はリリアの手を引く。

「行く」

「はい……」

人だかりの隙間を抜ける瞬間、誰かが叫んだ。

「公爵様! 奥さまに“愛している”って言ったって本当ですか!」

――それは。

リリアは息を止めた。

レオンハルトは、ぴたりと足を止める。

空気が凍る。

神官長が言っていた“解除条件”の言葉が、森の中に吊るされたみたいに重い。

レオンハルトは、ほんの一瞬だけリリアの方へ視線を落とした。

その視線が、妙にやさしくて、妙に苦しそうで――

リリアは、反射で笑ってしまった。

「……公爵さま、熱のせいです。または呪いです」

小声で、言い訳を渡す。

渡してあげたくなった。

するとレオンハルトは、外に向けて、硬派の声で答えた。

「……くだらん噂だ」

噂、で片づけた。

でも、リリアの手は離さない。

一歩も。

 *

馬車に乗り込んだ瞬間、リリアはぷはっと息を吐いた。

「疲れました……」

「……すまない」

「公爵さまが謝るの、珍しいですね」

リリアがそう言うと、レオンハルトは黙る。

黙ってから、ぽつり。

「……君が困るのは、嫌だ」

また出た。

甘い言葉が、本人の意思をすり抜けて落ちるやつ。

リリアは、きゅっと唇を結んだ。

(これ以上、心に入れたらだめ)

だって呪いの副作用だ。契約結婚だ。形式だ。

ここで絆されてしまったら、きっと――いつかの終わりに、立っていられなくなる。

リリアは、話題を変えた。

「公爵さま。呪いって、治療みたいなものですよね?」

「……治療?」

「はい。症状があるなら、対策して、生活を整えて、悪化しないようにする」

レオンハルトの眉が僅かに動く。

「……生活?」

「そうです。まず睡眠。次に水分。あと、栄養。蜂蜜」

「蜂蜜は……」

「効きます」

リリアは断言した。

(呪いにも、きっと効く)

レオンハルトは、少しだけ言葉に詰まった。

そして、心底困った顔を“ほんの一瞬だけ”した。

「……君は、呪いを健康管理に分類するのか」

「分類します」

「……そうか」

レオンハルトは、どこか絶望した声で言った。

「君は強いな」

リリアは笑った。

「強くないですよ。怖いのは怖いです」

「……」

「でも、公爵さまが守ってくれるんですよね?」

さらっと言った。

言ってから、(しまった)と思った。

――“守ってくれる”って、頼ってしまっている。

契約の範囲を超える甘えだ。

でもレオンハルトは、逃げなかった。

逃げずに、いつもの硬い声で言った。

「当然だ」

当然。

当然、って。

リリアは胸の奥がじんわりするのを、必死で“呪いのせい”に押し込めた。

 *

公爵邸に戻ると、侍女長エルザが完璧な顔で出迎えた。

「お帰りなさいませ。奥さま、旦那さま」

「ただいまです」

リリアが微笑むと、エルザは一瞬だけ目を柔らかくし――すぐに業務顔へ戻る。

その背後、控えの侍女たちが“完璧に平静な顔”をしているのが逆に怖い。

(絶対、見てたよね。絶対、聞いてたよね)

レオンハルトはリリアの肩口に視線を落とす。

「……寒くないか」

「大丈夫です」

「外套を――」

「今日は、大丈夫です」

リリアがそう言うと、レオンハルトの手が宙で止まった。

止まって、少しだけ迷う。

その迷いに、リリアは“呪いじゃない何か”を見そうになって、目を逸らした。

その時、エルザが静かに咳払いをした。

そして、誰にも見えない角度で手帳を開く。

 *

《観察日誌:本日の甘さ》

・祠へ向かう馬車内:手を繋ぐ(「ずっとだ」発言)
・奥さまを背に隠す:完全防御
・噂への対応:「くだらん噂だ」(※否定しつつ手は離さない)
・帰還後:「当然だ」発言(奥さまへの守護宣言)

総評:甘さ レベル「継続的に危険」
(社交界への被害が拡大中)

 *

エルザは手帳を閉じ、何事もなかった顔で言った。

「奥さま、お部屋へ。旦那さまは……本日の執務が山積みでございます」

レオンハルトの目が細くなる。

「後だ」

エルザが微笑む。

「“後で”は三日後になると存じますが」

「……」

レオンハルトが黙った。

エルザは追撃した。

「旦那さま。奥さまは本日、大変お疲れでございます。――お休みの時間を」

レオンハルトが一拍置いて言う。

「……私が見ている」

(まだ言う)

リリアは小さく笑って、肩をすくめた。

「じゃあ、休みます。公爵さまも、休んでくださいね」

その言葉に、レオンハルトの表情が――わずかに崩れかけた。

崩れかけて、戻す。

戻して、硬派の声で言う。

「……命令か」

「提案です」

「……受け入れる」

受け入れるんだ。

リリアは、なんだか可笑しくて、でも嬉しくて、また笑った。

その笑いに、レオンハルトの視線が吸い寄せられる。

そして、呪いみたいに落ちる。

「……笑うな。……心臓に悪い」

「え?」

「……落ち着かない」

またそれ。

リリアは、笑いを止められなかった。

(公爵さま、それは多分……呪いじゃなくて)

その続きを考える前に、廊下の向こうから側近カイルの声が飛んできた。

「旦那さま! 社交界から招待状が――! “夫婦同伴”の晩餐会が、今週だけで七件です!」

七件。

リリアの目が丸くなる。

レオンハルトの目が、鋭く光った。

「破棄しろ」

「できません! “冷徹公爵がデレた記念”という名目で――!」

記念ってなに。

リリアは口元を押さえた。

レオンハルトは、低い声で言った。

「……殺す」

「殺しちゃだめです!」

リリアが反射で止めた瞬間、手首の“金色の糸”が、ふわ、と光った。

――揺れた。

神官長の言葉が、頭をよぎる。

(糸が暴れるのは、危険を感じた時……あるいは、嫉妬した時)

今の、危険?

それとも――嫉妬?

リリアが固まると、レオンハルトも固まった。

そして、二人同時に、ゆっくり視線を落とす。

手首の糸が、蝶結びみたいに揺れている。

カイルが青ざめた声を出す。

「……旦那さま。今の、まさか……」

レオンハルトが、喉の奥で息を飲む。

そして、硬派の顔のまま、言った。

「……違う。呪いだ」

カイルが泣きそうな声で返す。

「どっちでも地獄です……!」

リリアは、なぜかそのやりとりで少しだけ笑ってしまった。

でも――笑いながら、思った。

今週、晩餐会が七件。

夫婦同伴。

社交界の目の前で、過保護と甘い言葉が増える。

そして、糸は揺れやすい。

(……絶対、何か起きる)

リリアがそう確信した瞬間、レオンハルトが、淡々と命じた。

「リリア」

「はい」

「……私から離れるな」

その言葉に、糸がまた、ふわ、と光った。

(つづく)
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